第127話 狂気の崩壊
森山隆司は混乱していた。どうしてこうなってしまったのかと。地下研究所はどこを見ても破壊の跡だらけ。
地上へ上がる為のエレベーターが全基停止し、通常の方法で脱出は不可能。避難用の非常口は既に水没している。
突き破られた壁は建材が剥き出しで、千切れたケーブルからは火花が散っている。あちこちで火災が起きており、焦げた匂いが漂っている。
床に散乱した研究資料やレポートが、スプリンクラーのお陰で水浸しになっている。今も残っている生存者達が、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
檻から放たれた生物兵器が、研究者や職員達を襲っている。ライオンの体に蛇の尾を持つキメラが、通路を走り回り人間を襲う。
(どうしてこんな……)
異常な大きさとなった蜘蛛が壁に巣を作り、白衣を着た女性を喰らっている。サソリ人間が半魚人と戦いを始めた。
この世の終わりのような光景が、隆司の目の前で広がっている。もはや完全に研究所は崩壊していた。全ての実験体が制御不能に陥っている。
まるで質の悪いB級ホラー映画のような状況だ。異形の生物が徘徊し、人間を襲い続けている。無事でいるのは、辛うじて隠れる事が出来た者だけ。
隆司もその僅かな恵まれた側の存在だった。自分のラボへ逃げ込んだ事で、どうにか事なきを得ただけに過ぎない。
(私は、間違っていなかった! 愚かな奴らのせいで!)
今もまだ命の危機は去っておらず、気付かれないように息を殺して隠れている。部下で助手の荻野順平は、既に襲われた後だった。
異形の化物に喰われてしまい、一部の肉片だけが近くの廊下を転がっている。果たしてそれも、いつまで残っている事やら。
徘徊している怪物に、いつか喰われてしまうだろう。隆司もいつ狙われるか、分かったものではない。時間の問題と言えよう。
閉鎖された空間の中で、いつまでも隠れ続けるのは不可能だ。生理現象や空腹、睡魔などが隆司を襲うだろう。そうなれば終わりだ。
(私のせいじゃない!)
どうしてこうなったのか。その始まりは隆司を妬んだ男の行動からだった。隆司の成果物である実験体、γ-1stへと手を加えようとした。
性能を落としてやろうと、保管されているプールへと向かいダイバー達に指示を出す。麻酔を打って眠らせ、連れ出そうとした。
訝しむダイバー達だったが、ここでの権力は研究員の方が上だ。渋々従ったダイバー達だったが、専門が違う男は分かっていなかった。
γ-1stは一定の期間を空けないと、二度目の麻酔からすぐ覚めてしまう。知らなかった男のせいで、作業の途中でγ-1stは覚醒した。
そのまま暴れ出したγ-1stは、男とダイバー達を襲撃。その最中にプールの一部が破損し、海水ごと研究所内をγ-1stが移動を開始。
一部エリアは海水が流入し水没。多数の研究者と職員は水死する事となる。広々と暴れ回るγ-1stにより事態は悪化。
電力供給に問題が発生し、予備電源へと移行。しかしその騒動のお陰で、別の実験体達が脱走してしまう。陸上で行動出来るタイプが所内を徘徊。
海中でのみ行動が可能なタイプは、水没したエリアを回遊中。お陰で一度海へ出てから脱出しようにも、複数の実験体と遭遇する魔境に。
そんな状況では誰も脱出する事が出来ず、海からの救助は複数の犠牲が出て中止。まさに手詰まりという状況だった。
事故発生から数時間が経過し、人間という餌が尽きた事で、現在水中では化物達のバトルロワイヤルが発生している。より危険な状態となっていた。
研究所内で生き延びていた人々も、着実に数を減らして行っている。そうこうしている間にも、ロッカーに隠れていた職員がキメラに見つかった。
もはや誰から順番に見つかっていくか、という状況に陥っている。隆司とてその定めから逃れるのは難しい。唯一の手段は、ラボの床下にあるプールぐらいだ。
そこから水路を辿って海へと繋がるトンネルに出られれば、大平洋へ出て研究所からの脱出可能だ。動かないエレベーターよりは、まだマシだろう。
しかしその勇気を、隆司が持つ事は出来ない。何故なら彼は、γ-1stが逃げ出した事を知っているからだ。他ならぬ生みの親であり、一番性能を理解している。
通常のサメを遥かに超えるレベルまで高められた知能は、イルカやシャチと変わらない領域に達している。人類に届きかねない知能を持つ。
まだγ-1stは、外で待機している。そう隆司は断言出来る。彼の作ったγ-1stは、まだまだ人間が施設内に居ると知っているからだ。
(無理だ……救助を待つしかない)
こんな事態に陥った事を呪いながら、隆司は息を潜めて隠れ続ける。自分は悪くないのだと、他者へ責任をなすりつける。
確かに事の始まりは彼のせいではない。学会を追われたのも、友人の裏切りによるものだ。だがこんな場所で、神を気取っていたのは彼だ。
間違った研究に手を出して、生命を冒涜し続けた。当初の目的を忘れて、承認欲求を満たす事だけに邁進した。
初心を忘れず人の為に研究を続けていたら。腐らず挑戦を続けていたら。彼はこんな場所に居る事は無かった。今日ここに居なかった。
自分にとって都合の良い所だけを見て、自らを正そうとしなかった。倫理観を捨て、己の欲望に従い続けた。その結果に過ぎない。
今更誰かのせいにしようとしても遅い。結局のところ、自分の選んだ行く末がこれだったというだけだ。因果応報という言葉がお似合いだ。
(クソっ! 私は、こんな所で!)
結果を受け入れる事が出来ない隆司は、心の中で恨み節を吐き続ける。そんな事をしたとて、何も変わらないのだが。
しかしもう、彼に出来る事はそれぐらいだった。ここで自らを改められる程、マシな人間性をしていれば、こうなる前に改心出来たかも知れない。
だがそれは、絵に描いた餅でしかない。自分で掴み取った運命は、これだったと受け入れるしかないのだ。もう何も変えられない。
「レベル5の緊急事態を確認しました。これより毒ガス処理を開始致します。繰り返します、これより毒ガス処理を――」
無機質な機械音声が、研究所内に響き渡る。各所に設置されたスピーカーから、最悪の事態を回避する為の対処が行われると告げられた。
所長クラスの承認が必要な処置であり、ただの職員や研究者では発動させられない。生き残っていた所長か、それとも地上からか。
いずれにしても、研究所内でまだ生きている人間も巻き込まれる。実験体達を殺せるレベルの、高い致死性の猛毒が散布される。
「じょ、冗談じゃない! 私を見捨てるつもりか!」
隆司はここで死ぬつもりは無かった。きっと上層部が助けてくれると信じていた。だが下された処置は、全員実験体と纏めて殺処分だ。
そんな終わりは認められないと、脱出する事を決意する隆司。ラボには1人分だけだが、ダイビング用の装備が置かれている。
イルカなどの凶暴性が低い海洋生物を、プールへと入れた時などに使う為だ。隆司は一応ダイビングの経験がある為、正しく使用出来る。
このまま毒で死ぬよりも、海へ出て生存する道を選ぶ。水生生物も扱っている為、散布される毒は水中でも効果を発揮する。
酸素ボンベと水中メガネがあれば、どうにかギリギリ耐えられる。肌の露出を最低限にしておけば、死に至る事は無い。
「皮膚病程度で済むのなら!」
急いで着替えた隆司は、酸素ボンベを背負って床下のプールへと入る。生物を移動させる為の通路を使い、水中を進んでいく。
あちこちに水死体が浮かんでいるが、気にしている場合ではない。喰い散らかされた実験体と思われる死体が、水中を漂っている。
死体の中に、隆司のγ-1stの姿はない。もしもまだ生きているとすれば――そんな嫌な予感が隆司の脳裏に浮かぶ。
だがもう、引き返している余裕はない。猛毒の散布で死んだと信じて、隆司は海へと向かっていく。もう少しでトンネルを抜け、大平洋まで行ける。
(た、助かったのか?)
完全に施設から抜け出した隆司は、ホッと胸を撫で下ろす。しかし次の瞬間、触腕の生えたオオメジロザメが、隆司の体に喰らいついた。
まるで良くも弄んでくれたなと、怒りを示すかのように。おびただしい量の血が海中に広がり、1人の男はその人生に幕を下ろした。




