第121話 巨大な敵
太平洋の海上に浮かぶタンカーにて、謎の巨大な敵との戦いが繰り広げられている。周囲が濃い霧に包まれているせいで、視界はそう広くない。
「小僧下がれ!」
「っ!?」
那須草子から借り受けた妖刀、小鴉の指示に従い碓氷雅樹は後方へ飛ぶ。直後に彼が居た場所へ、2本の太い触腕が叩き付けられる。
巻き込まれた鉄製のコンテナが、あっさりと叩き壊されている。人間に直撃すれば、潰れたカエルより酷い事になりそうだ。
あまりの威力に、雅樹の背中を冷たい汗が流れる。戦いが始まって以来、九死に一生どころでは済まない状況が続いている。
もし草子に小鴉を借りていなければ、普段の木刀しか使えていなければ。間違いなく死んでいたと雅樹は理解させられた。
妖異達が雅樹へと極力攻撃が行かないよう、カバーしているが相手は神出鬼没。濃い霧のせいで全てを防ぐのは難しい。
「左だ!」
小鴉の指示に従い、雅樹が刀を振るう。妖刀のお陰で雅樹のようなただの人間でも、迫る触腕を斬る事が出来ている。
だからこそ、大江イブキは攻勢に出る事が出来ている。イブキは蛇女アカギとの戦いを経て、雅樹の戦闘力を知った。
彼は適切な装備を与えれば、妖異が相手でもそれなりに戦える。元々師匠であった草子は、これぐらい出来て当然だと思っている。
だからこそ彼女達は、ある程度雅樹を放置する事が出来ている。もちろん無視はしていない。自分達が目立つ事で、雅樹への攻撃を減らしている。
「この霧が厄介だね。玉藻前、何とか出来ないか?」
複数の触腕を同時に相手をしながら、イブキが草子へと問う。イブキはどちらかと言えばパワータイプだ。手先は器用だが、基本的には力で解決して来た。
逆に草子の方はバランス型で、使える妖術も幅が広い。その代わり手先はそれ程器用でない。護符などの小物を作る能力はそう高くない。
ただし策略等を練るのは得意であり、こう言った状況を打破する方策は複数持ち合わせている。だからこそ、イブキは草子へ尋ねた。
イブキもやろうと思えば、力技で霧を晴らす事も出来なくはない。しかし問題は、ここが船の上だという事だ。
力に任せた方法を取ると、足場であるタンカーが沈み兼ねない。そうなれば自分だけでなく、雅樹まで巻き込んでしまう。
相手が恐らく海の妖異だという状況で、足場を失うのは不利になるだけだ。特に雅樹は普通の人間だ。海に投げ出されれば、自衛すら難しくなる。
「……少し時間をくれるなら出来るわ」
何やら方法があるらしい草子は、雅樹と交換した木刀で触腕を斬り伏せながら答えた。妖異である草子が使う為に、護符は現在剥がされている。
代わりに妖術を使用しているのか、木刀には金色のオーラが纏わりついていた。ただの木刀で斬っていただけでは無いらしい。
「何だい? 女狐なら策があるってのかい?」
「……そうよ。黙って手伝いなさい」
草子に手を貸すのを嫌そうにしながら、冷泉翠は渋々従う事にした。イブキと翠が前線に立ち、草子が少し後ろに下がる。
何やら呪文を唱え始めた草子は、無防備な状態となる。しかし草子は、何も心配していない様子で棒立ちとなる。
何故なら彼女は信頼している。幼い頃から鍛えて来た、自らの弟子の能力を。霧の向こうから迫る触腕が、草子へ直撃する事は無い。
「先生!」
「油断するな小僧! 後ろだ!」
妖刀を手にした雅樹は、普段以上の戦闘力を発揮する。草子を狙う触腕の、悉くを斬り飛ばして見せた。
この組み合わせは有りだなと、草子は弟子の活躍を見ながら考えていた。そして遂に、草子の妖術が発動する。
「舞蹈、风!」
巨大な竜巻が発生し、イブキが打ち上げた鬼火を巻き込む。熱風を撒き散らしながら、霧を巻き上げていく。
草子は雅樹が巻き込まれないように、彼の体を抱きとめている。瞬く間に周囲の霧は、上空へと打ち上げられた。
真っ白だった空間に、青空と夏の日差しが戻って来る。姿を隠すヴェールを失った海上には、巨大な頭足類の姿があった。
「何だいコイツ? アタシは見た事ないよ」
シャチから進化した人魚である翠が、姿を現した妖異を知らないという。イブキと草子も同様で、初めて見たという反応だ。
「突然変異かな? それとも都市伝説?」
イブキはタコのような体と、イカの腕を持つ生物を見て考察している。明らかに頭部はタコの物だが、本来持たない触腕を持っている。
タコが持つ擬態能力も有しているのだろう。霧が晴れるなり体色が変化していく。タンカーの船体を真似たのか、黒に近い色へ変わる。
「何でもいいわ。早く倒してしまいましょう」
草子は目の前の妖異が何者だろうと興味はない。攻撃して来た以上は、殺されても文句は言えない。相手が誰か知らなかったは通じない。
問答無用で命を狙った以上、掟を破った事実は変わらない。それにどうやら、周囲の妖異を喰い荒らした犯人と思われる。
草子達妖異組には良く見えている。新参の妖異にしては、あまりに強大な妖力を有している事が。相当な量を喰らったのだろう。
翠ですら知らない以上は、大昔から居た妖異ではない。恐らくはここ数年に、妖異へと至った生命だと思われる。
「タコ、で良いんですかね?」
「何でもいいさ。後は私達に任せて、マサキは下がっていると良い」
霧を払われたのが不快だったのか、タコのような妖異が怒っているらしい。憎らしげにイブキ達を見ている。
イブキ達は本体への攻撃を開始する。触腕がどれだけ失われても倒れない以上、相手にしても無駄だと判断したのだろう。
そのまま雅樹は後方へ下がり、彼の護衛兼後方支援に草子が回る。狐火を周囲に大量発生させ、本体へ向けて放つ。
イブキはタンカーを上手く足場に使い、鬼火と爪で攻撃を加えて行く。同族を喰われた仇と言わんばかりに、翠は勢い良く突撃し眼球へとエルボーを叩き込む。
そのまま翠は下半身を人魚の姿へと戻し、海中へと消えて行く。海へと逃げる道を、完全に絶つつもりなのだろう。
「まー君、前に出ないでね」
「う、うん」
霧が晴れてしまえば、どこから攻撃が来るのか丸見えだ。雅樹へと触腕が向かう前に、草子の狐火で焼かれてしまう。
集めた妖力で何度も再生させていたのだろう。触腕の本数が徐々に減り始めている。戦闘開始直後と比べて、明らかに勢いが無くなっている。
大量の妖異と人間を喰らって、短い期間で強い個体になれたのだろう。時間を掛ければ、この海域の王にはなれたかも知れない。
だがやり過ぎてはいけない。大雑把ながらも、妖異には妖異のルールが存在している。妖異を喰らうのは最大の禁忌だ。
陸の妖異と契約を交わし、人間を譲って貰う程度に留めておけば許された。しかしこの化けダコは、踏み越えてはいけないラインを越えた。
「どれだけ時間が経とうとも、愚かな判断をする者は消えない。これも妖異の本質なのかな?」
呟きながらイブキは、化けダコの本体を容赦なく斬り裂く。新しく出来た傷には、再生する前に草子の狐火が焼き払い回復を阻害する。
海中からは容赦なく翠が攻撃を繰り返し、余波が水柱となって海上に打ち上がる。その苛烈さはまさにシャチを思わせる。
シャチは愛情深い生き物であり、仲間を大切に扱う傾向が強い。当然翠にとっても同様であり、自分の支配圏ではなくとも、人魚を殺されて許すつもりは無い。
彼女の激しい攻撃は時に、化けダコの体を浮き上がらせる程だ。海中から容赦なく体を噛み千切り、強烈な尾による打撃を加える。
「さあ、終わりにしようか」
海上からはイブキと草子の攻撃が、海中からは翠の攻撃が化けダコを襲う。ある程度の強さは得た化けダコだったが、永きに渡り支配者をしていた彼女達には及ばない。
逃げる事も許されず、化けダコは最後を迎える。致命的な一撃を受けて沈黙した。巨大な遺体は灰へと変わり、母なる海へと散って行った。




