第118話 大平洋にて
碓氷雅樹達を載せた妖異対策課の巡視船が、和歌山を出発して大平洋を進んで行く。船上で雅樹は、複雑な気分になっていた。
何故なら海に入る可能性があるからと、ウェットスーツを着ているからだ。当然雅樹だけではなく、女性陣も着替えている。
大江イブキと那須草子は、その抜群のスタイルがハッキリと出ている。美しい女性的なボディラインは、彫刻のように滑らかだ。
そして人魚である冷泉翠は、ウェットスーツなど必要ない。黒と白のマーブル模様のビキニを着ている。
「やっぱり海はいいねぇ!」
翠は巡視船の船首に立ち、潮風を受けて笑っている。人魚にとって、海は自らのテリトリーだ。
彼女は自らのスタイルに自信があるのか、惜しげもなく肌を晒している。Tシャツすら羽織りもせず、水着だけで過ごしている。
3種類の美女がそれぞれ違う形で、魅力的な肉体美を晒していた。思春期の男子高校生には、かなり刺激的な光景だ。
黒髪のポニーテールが特徴的な鬼、金髪ショートの金毛九尾に、黒髪ショートの人魚が船上に立っている。
「……」
目のやり場に困るとばかりに、雅樹は視線を泳がせている。翠などは見られても何ら気に留めない。むしろ誘惑する意味も込めている。
だからどれだけ見たところで、不快感を示す事はない。だが雅樹にとっては、それどころじゃない。何故なら怖い保護者が居るからだ。
「……まー君?」
「な、何!? どうしたの先生?」
草子がとても良い笑顔で雅樹を見ている。翠の水着姿を見て、彼が意識してしまった事を草子は見抜いているからだ。
男子として仕方のない反応なのだが、草子としては全く面白くない話だ。突然押しかけて来た人魚に、雅樹を喰われるのだけは阻止したい。
少しでも隙を見せてはいけないというのに、肝心の雅樹が鼻の下を伸ばしているのだから。草子としては、文句の1つでも言いたくなって当然だ。
保護者として、師匠として、そして将来の妻候補として。ここで中途半端な態度を取られては困ってしまう。
「そんなに裸が見たいなら、私にしておきなさい」
「ち、違うよ! 勘違いだって!」
雅樹としては、少し気を取られただけだ。そこまでの欲求を、この場で発揮しているのではない。たまたま視界に入っただけだった。
ただ女性に興味があるのは事実であり、全否定する事は出来ない。どうにかこの場は誤魔化して、無かった事にしてしまいたい。
だが草子なら見せてくれるのだろうか? という邪な気持ちも一応ある。初恋のお姉さんから、そんな事を言われたら意識してしまう。
雅樹とて健全な精神を持つ高校生に過ぎない。それ相応の下心ぐらいは持ち合わせている。興味がないとはとても言えない。
「玉藻前、真昼間からマサキを誘惑するんじゃない」
慌てふためく雅樹の後方から、イブキが姿を現した。航行する海域について、船長達と打ち合わせを終わらせて来たところだった。
失踪事件が確認されている海域を、順番に回っていく予定で進行している。先ずは一番近い漁船が複数消えたポイントへ向かう。
「あら、私の夫になる相手だもの。どうしようが自由でしょう?」
「それだけは認めないと言っただろう」
いつもの争いが始まり、雅樹は追求から逃れる事が出来た。適当に小競り合いが進んだタイミングで、話題を変えに行く雅樹。
「あ、あの~。海の支配圏って、どうなっているのかなぁって……」
イブキに聞くと草子が機嫌を損ねる。だから雅樹は、どちらに聞いたのか、ハッキリとしない言い方で尋ねる事にした。
彼なりに学んだ結果である。質問を受けた両名は、一旦口喧嘩を辞めて雅樹の方へ向き直る。先程までの空気は、一瞬にして消えた。
こういうところは息が合うのになぁと、雅樹は思ったが黙っていた。余計にややこしくなりそうだからだ。
「海は地上とは違う、と言っても分からないか。海には深度があるだろう? どこからどこまで自分の縄張りか、決めるのが難しいのさ」
先ずはイブキが説明を始める。海は地上と違って、東西南北だけじゃない。深度という上下の概念も、考慮せねばならない。
様々な妖異が己の好む深度で生活しており、非常に複雑な構造となっている。例えば、深度200メートルで暮らす妖異が居たとする。
同じ深度で暮らしたい妖異は当然他にも居るし、深度200~300メートルを縄張りにしたい者だっている。
こんな状態で、どこまでが誰の支配圏とするか、決めるのは難しい。パズルのような入り組んだ形で、どうにか形成している。
「だけど複雑な分、争いが地上よりも多いのよ。昨日までの支配圏と、今日からの支配圏が変わっていても、全く不思議じゃないの」
草子が続きを引き継いで、海の複雑な現状を伝える。地上については、支配圏が明確で縄張り争いは起きていない。
日本で言えば都道府県で、アメリカなら州ごとに妖異が支配している。元々妖異が持っていた支配圏に、人間側が合わせて出来たのが、都道府県や州という概念だ。
地上は海と違って、上下の概念を気にする必要が非常に薄い。空を飛ぶ妖異も、基本的には地上の支配圏に従っている。
何故地上は海ほど揉めないかと言えば、空を飛ばない妖異は地上にしか居ないから。わざわざ空の領域を犯す事が無い。
そこが海と地上の明確な違いであり、今も縄張り争いが続いている。昔ほど激しくはないものの、弱肉強食が地上より厳しい。
「アタシらみたいなタイプは、また少し違うけどねぇ」
「……翠さん」
船首に立っていた筈の翠が、雅樹達の会話に混ざって来た。海の妖異として、より詳しい説明を翠が雅樹へ説明する。
翠のように地上と海の両方へ移動出来るタイプは、非常に大きな範囲をカバー出来る。その分、当然支配圏は広くなる。
現在の福岡、翠の支配圏は福岡沖まで続いている。地上でだけ生活する妖異よりも、かなり広い支配圏を持っている。
だがその件について、地上の妖異達は気にしていない。食料である人間は、地上でしか生活出来ないからだ。
無理に海へと侵攻した所で、管理するのが大変になるだけだ。しかも人間が殆ど居ない領域を増やしても、メリットはかなり薄い。
「海の生き物にも感情はあるからね。アタシみたいなシャチはもちろん、クジラやイルカ辺りを筆頭に。だけどやっぱり、人間が一番美味いのさ」
「な、なるほど」
海の妖異達は、基本的に海産物を食べて暮らしている。そこからも妖力を得る事は可能だ。しかし一番良い餌とは言えない。
だから海上を移動する人間を襲う事もあるし、地上の妖異から譲って貰う事もある。他にも国と交渉して、上手くやっているタイプも居る。
例えば特定範囲の航路の安全を保証する代わりに、人間を報酬として貰うという手段を取っている妖異も居る。主に人魚などが、良く使う手だ。
「以前マサキに教えただろう? 罪人を受け取る妖異が居ると」
「あ、ああ。あれって、そういう事なんですね」
花山総合病院で起きた事件の結末にて、イブキから教わった話だ。一定以上の罪を犯した犯罪者を、妖異へと献上しているという真実。
特に人間を喰らう機会が少ない海の妖異達は、悪意に染まった人間でも喜んで喰らう。むしろ好んでいると言っても良い。
罪人特有の臭みが良いと、海の妖異達からは好評だ。イブキや草子には理解出来ない話だが、翠は海の妖異なので良く分かる。
「性犯罪者の男達を、発狂するまで貪るのが最高なんだよねぇ」
とても楽しそうな表情で、翠はそんな事を言う。人魚に喰われた男性の末路を知る雅樹は、身震いがする話だった。
恐らくは情け容赦なく、死ぬまで絞られ続ける。ミイラとなって、その命が枯れ果てるまで。少しだけ翠に惹かれた心は、一気に冷めてしまった。
「そ、そうなんですね」
どれだけ魅力的に見えていても、この女性は男性を喰らう人魚なのだ。出来るだけ関わりたくないなと、雅樹は改めて警戒心を強くした。




