第117話 調査開始
「これが例の豪華客船か。デカいなぁ」
碓氷雅樹は港に停泊している船、トパーズ・プリンセス号を見上げている。和歌山沖で発見された後、現場検証を行い和歌山まで移動させた。
東坂香澄の指示で、大江イブキ達の調査が終わるまでこのままである。調査が終わり次第、大阪港へと返還される予定となっていた。
雅樹とイブキの後を、那須草子と冷泉翠が着いて行く。トパーズ・プリンセス号は全長が250メートルもある。
全高は水面から40メートルで、大体13階建て程のビルに相当する。船内の階数は12階までで、豪華客船の中では中型サイズだ。
それでも雅樹からすれば、相当な大きさであり初めて見た豪華客船だった。もっとも、知る事が出来たのは無人の状態だが。
「人間てのは、物を作るのが本当に好きだねぇ。アタシには理解出来ないよ」
翠は豪華客船を見ながら、思ったままの感想を述べた。シャチから進化した人魚である彼女にとって、豪華客船ほど無駄に見えるものはない。
泳ぐ能力が低い人間は、水中だと無力である。魚より早く泳ぐ事は出来ないし、野生のシャチが相手なら先ず勝ち目はない。
現代の海を生きる生物の中で、頂点捕食者とされているのはシャチだ。高い知能と仲間との連携、その上強靭な肉体まで持ち合わせている。
体格の大きなオスなら、10メートル近くまで成長する。どう足掻いても、人間には勝てる要素がない。生命としての強度が違う。
だというのに無駄にデカい船を浮かべて、海上で遊興に走ろうというのだ。翠からすれば理解出来ない行為だ。
「モノづくりは人間の才能さ。私達と違って、興味深いものも作る」
イブキはそう言いながら、トパーズ・プリンセス号の中へと入っていく。圧倒的な強者である妖異は、道具の類を量産する必要性が薄い。
大体は素の力でどうにでもなるし、妖術だって使う事が出来る。1000年以上前の文明に戻ったとしても、特に困る事は無い。
ただ物によっては、妖異達も使用する事がある。例えば現代の家電製品は、それなりに便利だ。妖術でも代用は出来るが、全く同じではない。
米を炊く事に特化した道具はあっても、米を炊く為の妖術なんてない。作れば生まれるとしても、誰もそんな術は作ろうとしない。
見ようによっては、人間の文明が全て無駄とは言い切れない。無駄も多いが、良い物だってある。事実イブキは、タバコを好んでいる。
今も手に持ったキセルから、紫煙を登らせている。本来船内は禁煙だが、そんな事を気にするイブキではない。
「衣類なら私は好きよ。着物を着るのも、嫌いではないもの」
草子が過去を思い出しながら、人間の衣類について思いを馳せる。妲己として生きていた頃、そして玉藻前として生きていた頃。
どちらであっても草子は、派手な衣装を着て妃扱いを受けていた。自らの美しさを際立てる事が、当時は楽しいと思っていた。
今では昔ほど着飾っていないが、興味を失ったのではない。必要が無くなったから、華美な格好は控えているだけだ。
「……確かにお前は、やたらと着飾っていたな」
イブキは草子の過去を知っているので、かつての姿を思い出した。玉藻前として、鳥羽上皇の寵姫をやっていた頃だ。
「貴女が適当なだけでしょう? いつ見ても貴女は、機能性重視よね」
「面倒な事はやらないだけさ」
自らの美しさを活かそうとしないイブキを、草子は不思議に思っている。美貌を活かす方が、より多くの男性を虜に出来るのにと。
だがイブキは、そのような事に手を染めない。素の状態でも美しい彼女は、ただ立っているだけで男性を魅了出来る。
草子だってそう変わらないのだが、着飾るとやはり効果が段違いだ。現代風の着こなしで、雅樹を魅了して来た実績もある。
「イブキさん! ここじゃないですか!」
雑談をしながら船内を移動していた彼らは、大量の血痕が残されている5階のレストランへとやって来た。
本来なら景色を楽しむ為にある、展望デッキも兼ねているフロアだ。ガラスで囲まれており、見渡せる範囲はとても広い。
夜にワインでも飲みながら、夜景を楽しむにはもってこいだ。しかし今となっては、惨劇の跡が残る痛々しい空間だ。
「銃弾の跡は無い……ね。刃物で斬られたのかな?」
「……斬ったにしては、少し違和感が残るわよ?」
イブキと草子が血痕を見て、原因を探っている。まだこう言った調査に疎い雅樹は、両者の意見を黙って聞いている。
凄惨な事件現場なら、既に何度か目にした雅樹。しかし血痕から何かを見通せる程、知識が十分とは言えない。
何が起きたのか調べつつ、次の場所へと移動する。船尾から中央にむけて、広範囲に渡る破壊の跡が残った後部デッキ。
爆発があったにしては、焼け焦げた跡がない。まるで重量のある何かを、上空から落としたかのように見える。
「翠、こんな事が出来る妖異に心当たりは?」
イブキの質問に、ぼうっとしていた翠が反応した。暫く悩んでいた後に、彼女なりの答えを話し始めた。
「うーん、まあ色々居るさね。海坊主とかお化けダコとか、幽霊船って可能性もないとは言えない」
翠は侵入する為の先制攻撃として、砲撃を受けた跡との見方も可能だという。幽霊船の砲弾は、彼らが去ると現世からも消える。
後方から集中砲火を受けた後、船内へと侵入されて全員が連れ去られた。これまでの歴史上で、既に起きた事のある事象だ。
他にも大きな体を持つ海坊主や、妖異へと進化した巨大なタコという可能性。他にも都市伝説の何か、という説も考えられる。
現状を見ただけでは、コレだという決め手に欠けている。ただ1つ言えるのは、どうやら人間の仕業である可能性は下がったという事。
「じゃあ、妖異の方だという事ですか?」
「マサキ、答えを焦ってはいけないよ」
まだ可能性が下がっただけだとイブキは言う。自分達が知らないだけの、何らかの兵器が使われた可能性もあるからと。
人間はいつの時代も、様々な兵器を作って来た。ここ近年も、兵器開発は進んでいる。何かしらの実験として、船舶が襲われているとすれば。
秘密裏に試験運用を行い、目撃者を消す為に誰も生かして返さない。そんな可能性も残されている。何であれただ人攫いの類ではない、というのがイブキの答えだ。
人身売買をする為だけに、ここまで大掛かりな事をする意味は薄いからだ。人だけを連れ出せば良いのだから、無駄な破壊行為は必要ない。
「写真だけで判断出来ない部分は、これで確認出来た。次は海に出てみようか」
「だ、大丈夫なんですか?」
何が起きているのか分からないのに、船で海へ出ても良いのかと雅樹は不安に思う。幾らイブキが強いと言っても、彼女はあくまで鬼だ。
草子だって九尾の狐だし、海に特別強いというわけでは無い。現状の戦力で頼れるのは、人魚の翠だけしかいない。
もし海の妖異が相手だった場合、襲われたら応戦出来るのだろうか。その辺りが雅樹には分からない。まだ海へ出る経験が少なすぎた。
「ビビるんじゃないよ! アタシが居れば、何が来ても大丈夫さ」
雅樹の背中を軽く叩きながら、豪快に笑う翠がギザギザの歯を見せている。翠から強そうな雰囲気は、雅樹もしっかり感じている。
ただ信頼関係が築けていない以上、どこまで信じて良いのか分からないのだ。東西の確執があるとは言え、草子が警戒している相手だ。
手放しに信用するのは難しい。ただイブキは警戒していないので、そこまで危険ではないのだろうとは彼も思っている。
シンプルに人魚へのイメージが、やや悪いというのもあるだろう。男性を干からびるまで喰らうという話が、雅樹の脳裏をちらつくのだ。
「じゃ、何かあったら翠に任せるという事で」
「おいイブキ、タダ働きはゴメンだよ?」
任せるなら対価を寄越せと、視線で訴える翠。要するに、雅樹を喰わせろという事だ。当然そんな事を、草子が承認する筈ない。
またしても揉めながら、雅樹達はトパーズ・プリンセス号を降りていく。次は妖異対策課の巡視船で、海上での調査となる。




