第111話 噂を聞きつけたとある人魚の話
日本には50を超える妖異達の支配圏がある。西日本と東日本で派閥が分かれており、その仲はあまり良くない。
より正確に言うならば、敵対関係にあり現在は休戦状態だ。わざわざ荒立てる事はないが、ともすれば再燃する可能性がある。
お互い不干渉を貫いているだけで、思う所がある者は多い。そんな中で、福岡の支配者にもとある情報が届く事となる。
それまだ、碓氷雅樹と永野梓美が共に行動していた時の話。今頃彼らは、滋賀で依頼をこなしている最中だ。
季節は夏、日本海を泳ぐ人影がある。普通ならダイバーか海水浴客と思うところだが、明らかに人間が出せる速度ではない。
魚すらも追い越して、グングンと速度を上げていく。最早イルカに匹敵する速度で、人影は海中を進む。
その姿は確かに、上半身が人間の女性に見える。だが下半身は、どう見てもイルカやシャチに似ている。
スイスイと泳ぎ進んだ彼女は、小さな島の岸壁に出来た洞窟へと入っていく。川のようになった水路を進み、奥へと向かう。
洞窟の奥まで進むと、天然のホールが出来ていた。隙間から差す日差しの下に、恐ろしく美しい女性が居る。
岩を削って作られた、玉座のような立派な椅子。そこに座る美女は、肘掛けに凭れながら立膝で座っていた。
座り方が男性的で、王かと思わせる貫禄がある。堂々と座っている彼女は、女帝という言葉があまりにも似合う。
片まである黒い髪の内側には、真っ白なインナーカラーが入っている。少しキツイ印象を受ける顔立ちの、30歳ぐらいに見える女性だ。
何より目立つのは挑発的な笑みと、人間では有り得ないギザギザの歯。まるでサメやシャチ等、肉食性の海洋生物を思わせる。
彼女は座っていても、背の高さが隠せていない。長い手足から、相当大柄な女性である事は間違いないだろう。180センチはありそうだ。
ただ背が高いだけでなく、スタイルの良さも見るだけで分かる。赤いブラウスの胸元と、ジーンズに収まった臀部。どちらも男性を魅了するには十分だ。
「冷泉様、ご報告がございます」
洞窟を泳いで来た人魚が、水面から顔を出すなり言葉を発する。彼女もまた美しい蒼髪の持ち主で、可愛らしい顔立ちの女性だ。
彼女が声を掛けたのは当然、岩で出来た玉座へ座る美女だ。この女性は福岡の支配者であり、シャチの祖先から妖異へと至った者。
名を冷泉翠という、永きを生きて来た古参の妖異である。知名度こそ低いものの、大江イブキや那須草子に匹敵する力を持つ。
海で暮らす多くの妖異を従えて、福岡の女帝として君臨している。かつては海賊達を従えて、海の覇者をやっていた事もある。
「なんだい? どうかしたのかい?」
女性にしては低いドスの効いた声で、翠は部下の報告を促す。ここ最近は平和そのもので、わざわざ報告の必要がある出来事は無かった。
だというのに、翠の部下はかなり急いで来たらしい。少し息が上がっている様子だ。何が起きたのかと、翠は訝しんだ。
「その……玉藻前が京都へ移住するらしく――」
「……はぁ? あの女狐、何を考えているんだい? そもそもイブキはどうした?」
東日本を代表する妖異である玉藻前が、わざわざ酒吞童子の居る京都へ移住するという。翠からすれば、正に青天の霹靂としか言えない。
草子の考えている事が理解出来ず、啞然としている。殴り込みならまだ翠にも分かるが、移住だというのだから意味不明だ。
そんな事をして、何の得があるのだ。雅樹と草子の関係を知らない翠には、そうとしか思えなかった。事情を知らないのだから仕方ない。
驚いている翠に向けて、調べて来た事を部下の人魚が話し始める。どうやら詳しい現状について、しっかり調べて来たらしい。
「どうやら酒吞童子様と玉藻前が、1人の男を取り合っているという話があります」
「……ほう? 面白い話になって来たじゃないか。それで?」
何事かと思えば、色恋沙汰が絡むという。人と妖異の間で、愛が育まれた事は何度もある。翠だって、人間の男性を好んで喰らう。
性的な意味で搾取して、精気と感情を同時に喰らうのが好きだ。イブキと草子が取り合うなら、相当な価値のある男だろうと翠は考えた。
実際その予想は当たっていて、人間を愛せるタイプの妖異から見れば、雅樹はかなり魅力的だ。もちろん餌としても、高い価値を持っている。
純朴な魂と強い感情の持ち主であり、子供を作れば強力な妖異に育つ可能性も持つ。女性の妖異ならば、そちらの観点からも価値を見出せる。
「どうやらアカギが討たれた話についても、その人間の男が関係しているそうです」
群馬県の支配者である蛇女アカギが、イブキと草子に討たれた。それは大きなニュースとなって、すぐさま妖異の間で広がった。
アカギが酒吞童子と玉藻前を殺そうとして、返り討ちにあったという。何を馬鹿な事をやったのだと、翠は鼻で笑ったものだ。
だがそれが1人の男を巡る戦いでもあったというなら、翠としては俄然興味が湧いて来る。一体どんな男なのだと、人魚として期待してしまう。
「どんな男だい? 顔は良いのかい? 腕っ節の方は?」
翠はかなりの肉食で、他者の男でも構わず狙う。気に入った男は、とりあえずつまみ食いするスタンスだ。
一旦喰ってから考えれば良い。それが翠であり、福岡に住まう人魚達は、全員その在り方に従っている。肉食な女性で溢れ返っているのだ。
「アカギの腕と尾を、刀で斬ったそうです。彼は線の細い美男子だとか」
「良いねぇ! アタイの好きなタイプだ。男はそれぐらいガッツがないとね!」
部下の人魚も同感ですと頷いている。ここ福岡の人魚達は、漢気のある男性を好む傾向にある。戊辰戦争の時代などは、彼女達にとって最高の期間だった。
頼りになる強い男こそが、彼女達が好んで喰らう対象だ。それは今の時代も変わらない。しかし妖異を相手に戦える男性は、そう多くはない。
現代の基準で言えば、雅樹は特殊な部類だ。金毛九尾、玉藻前に鍛えられた剣士。そして酒吞童子の守護を受けてもいる。
これ程までの逸材となると、翠達は当然喰ってみたいと考える。ペロリと翠は舌なめずりをしながら、これからの行動をどうするか悩む。
「アタイが京都へ行くとすれば、何時から動ける?」
「冷泉様にお願いせねばならない案件を考えれば……8月に入ってからでしょうね」
「そんなに待つのかい?」
翠は不満そうな表情を浮かべているが、部下の面倒を見ないのもポリシーに反する。トップとして、やる事はしっかり済ませる女性だ。
部下に仕事を押し付けて、勝手に行動する事は無い。支配者として、支配圏の管理をせねばならない。そういう意味では、珍しいタイプだ。
あくまでも姉御肌が理由で、自分のシマを守っている。それは人間も含めてであり、安易に見捨てる事は無い。
細かい事は部下に任せているが、最終的な決定などは全て翠が自分で行ってる。イブキとはまた違う理由で、人間に寄り添う妖異だ。
それに正しく管理していれば、自分好みの男達を好きなだけ喰える。人間を管理する意味も、ちゃんとあるのだと理解している。
「少しは我慢して下さい。私だって、喰らってみたいのですから」
「安心しな! 美味い男だったら連れ帰るさ」
豪快に笑いながら、翠は目を輝かせている。今時妖異を斬る人間なんて居ない。だというのに、やってのけた男が居る。
そんな実績を持つ男なら、きっと美味しいに違いない。翠の直感が、そう告げている。ただ喰ってみないと確定しない。
実際に味見をしてから、判断するべきだろうとも考えている。冷静に判断も下せるのが翠だ。猪突猛進なだけではない。
「そいつの名前は、なんて言うんだい?」
「確か……碓氷雅樹だったかと」
雅樹の知らない所で、事態は進行していた。草子だけでなく、別の支配者が雅樹の身柄を狙っている。雅樹の貞操を狙う海のハンターが、ギラギラと瞳を輝かせていた。




