第10話 病院での調査
大阪市内のモーニングが美味しいと評判の喫茶店で、ゆったりと朝食を済ませた2人は、依頼者の元へと向かう。
花山総合病院は、それなりの規模を持つ大きな病院だった。来客用の駐車場が空いているが、今回は調査依頼を受けての事。裏手に回って関係者用の入り口に向かう。
入場ゲートの手前まで進み、イブキは運転席からガードマンに名前を告げる。
「花山院長の依頼で来た大江イブキと、助手の碓氷雅樹だ」
年老いたガードマンの男性が、リストを確認して2人の名前を見つける。
男性の操作でバーが開き、イブキは車を進めて地下駐車場へと車を進めて行く。
適当な位置に停めたイブキは、雅樹を連れて花山の元へと向かう。
道中で精神を落ち着けた雅樹は、既に平常心を取り戻している。もう妖異と戦おうなんて考えてはいない。
適当な雑談を交わしながら、イブキと共にエレベーターで院長室のある5階へ。
やや奥まった所にある院長室へ入ると、依頼主の花山一正が自身のデスクに座っていた。
「よう来てくれた。時間通りやな、エエこっちゃ。お茶でも持ってこさせるわ」
一息入れる雰囲気を見せた花山を静止して、イブキは早速調査に移る旨を伝える。
「いえ、2日しかありませんから、早速調査を」
「そうか? 君らが来るんは言うてあるから、まあ好きに調べてや。患者のプライベートにだけは気をつけてや」
見られても困る所は無いと言わんばかりに、自由な調査を認める花山。
幾つかの注意事項を伝えた後に、様々な資料をイブキに手渡した。
どこを見られても困らないのか、見られる所には置いていないのか。
それは分からないが、2人は院長室へと迎えに来た看護師の案内で調査を開始した。
「マサキ、私と居る間は御守りを返して貰おう」
「え……それじゃあ……」
囮役としての本格的な仕事が始まると言う事かと、雅樹は少し身構える。
「安心して良い、こんな時間から本命は来ないさ」
覚悟を決めようとした雅樹だったが、どうやら違うらしいと知り肩透かしを食らう。
首から下げていた御守りを外し、一旦イブキに預けた。ただ囮役じゃないなら、何故外させたのか雅樹は疑問に思う。
「じゃあ何のために外したんですか?」
「すぐに分かるさ。さあ行こうか」
花山から渡された病院の見取り図を確認しながら、イブキは看護師に行きたい場所を伝える。
現在居る場所はA棟の5階。花山総合病院は、三の字に並んだ3つの棟と、縦に長い棟の4棟で主要な施設が構成されている。
それぞれが連絡通路で繋がっており、どの棟からでも自由に行き来が可能となっている。
滅菌室などには入らない様に言われているが、他は好きに移動する事を許されている。
イブキが先ず目指したのは霊安室だ。縦に長いA棟から、三の字に並んだ1番上のB棟へと移動する。
残りの棟は真ん中からC棟で、1番下がD棟である。目的の霊安室はB棟の地下1階にある。
B棟のエレベーターで地下まで降りて、霊安室へと向かう。
案内を任された柏木という若い女性の看護師は、何とも言えない表情でイブキ達の調査に同行している。
霊能探偵だか霊媒師だかを呼んだと言われ、その案内役を任されたのだ。普通は困惑するだろう。
しかも最初の行き先が霊安室だ、尚更疑いの目を向けてしまう。
「こちらです」
看護師の柏木が霊安室のドアを開け、3名が室内へと入って行く。
すると雅樹は、何かに見られている様な視線を感じた。最初は気の所為かと思ったが、雅樹の直感が勘違いではないと告げていた。
「イブキさん、ここ――」
「ああ、居るね。弱いけど霊が」
一般人に過ぎない柏木は、イブキ達の会話を理解出来ない。そんな柏木を放置して、イブキが動きを見せる。
「あの、イブキさん……それは一体、何を?」
突然イブキの腕が動き、雅樹の右肩辺りにある空間を掴んでいる。だが何を掴んでいるかは分からない。
「小動物の霊だよ。今君に憑こうとした。それにしてもここは、異様に霊が多いねぇ」
「霊安室だから、ですか?」
あくまで雅樹のイメージとして、霊安室になら幽霊ぐらい居るのだろうと思っていた。
言い方を変えれば死体安置所なわけで、幽霊と直結しそうな場所である。
だがイブキが言っているのは、そういう意味での多いでは無かった。
「いや。普通の病院なら、霊安室でももっと少ない。明らかに周辺から集まって来ている」
イブキの説明によると、強い意思を持つ幽霊が現れると周辺の霊が引き寄せられるらしい。
その土地に集まり、居心地の良い場所を見つけると定着する。
集まった霊達はいずれ強い意思を持つ幽霊の影響を受けて、徐々に取り込まれて1つになっていく。
放置するとより強い妖異へと変貌し、実体を得たり現実への干渉を始めたりする。
やたらと死亡事故が多いスポットや、心霊現象で有名な場所などがその実例である。
車内に幽霊が現れて事故を起こさせたり、心霊スポットへ向かった若者が行方不明になったり。
「じゃあこの病院は――」
「そうなる前の段階だね。本命の方は実体ぐらい得ているかも知れない。ここに居るのは弱いのばかりだけど」
イブキ達の会話を聞いていた柏木は、やたらと専門的な会話が続くので、本当に幽霊が居るのかと思い始めた。
「あ、あの〜」
「ああ、君は気にしないで。案内役だけやってくれれば良い」
余計な事は知らなくて良いと、イブキは柏木の干渉を拒否した。
ここでイブキが説明しているのは、雅樹を助手として育てる為である。病院関係者に詳細を説明する為ではない。
まだまだ雅樹が覚えないといけない事は沢山ある。今回は現場を見せながら、より詳しいレクチャーをしている。
「ねぇ君、死亡者の記録を見たいんだけど」
「は、はい……分かりました」
柏木はどう判断して良いか分からず、イブキ達を資料室へと案内する。
まるで本物の霊媒師や霊能力者であるかの様に、イブキが解説をしている。
看護主任が幽霊を見たと行って休んでいるのは、もしかして本当なのではないか? そんな思いがより強くなっていく。
滲み出る恐怖心を抑えながら、柏木はイブキ達をB棟からD棟の資料室へと案内する。
「あ、その、この棚です」
「ありがとう。雅樹、私が確認した物を順番に棚へ戻してくれるかな?」
イブキは慣れた動作で、病院の資料に目を通していく。まるで何度も、病院で資料を見た事があるかの様に。
イブキが紙をめくる音と、雅樹が棚を触る音が流れるだけの時間が暫く続いた。
「ふむ…………なるほどね。ねぇ、幽霊の目撃証言が多い場所ってある?」
イブキが手を止めて柏木に尋ねた。1番目撃証言が多いのは、C棟の3階だと言う。
次はそちらへと移動し、3階の廊下を何度か往復した。そしてイブキが何かに気付いたらしく、1階へと降りていく。
イブキが足を止めたのは、集中治療室と書かれた扉の前だった。
「イブキさん?」
黙って立ち止まったイブキに対して、どうしたのかと雅樹は問う。
「マサキにはまだ分からないかな。ここは酷く淀んでいる」
「淀み、ですか?」
病院の集中治療室は、人が助かる場でもあり亡くなる場でもある。
どうしても生と死が入り乱れる場所である以上は、幽霊と関わりが生まれがちだ。
誰もが死にたくないと思って、この部屋に入っていくのだから。ただそれにしても、この場所はイブキからすれば異様である。
「マサキも場数を踏めば、何となく感じ取れる様になるよ」
「そうなんですね」
「ともかく、結構早く解決しそうだ。早ければ今夜にでも」
そういうとイブキは、スッと柏木に近付き人差し指を彼女の額に当てた。
次の瞬間には、柏木が崩れ落ちる様に倒れかけた。だがイブキがしっかりと支えて倒れるのを防ぐ。
イブキはそのまま、少し離れた位置に置かれたイスへ柏木を座らせた。
「あの、今のは?」
「少しだけ記憶を消させて貰ったのさ。私達と関わった部分のね」
雅樹の様に保護するつもりが無い人間に、いつもイブキが行う処置だ。
わざと消さずに罰とする事もあるが、今回柏木には何の落ち度もない。
イスで眠る柏木をそのままにして、イブキは雅樹を連れて病院の外へと向かった。
病棟の並びはこんな感じです→三|




