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名のない贈り物

作者: 雉白書屋

「ははーん、そういう感じね、ふーん、ほー……」


 とあるアパートの一室。男は腕を組み、じっと床を見下ろしていた。

 その視線の先――床に転がっていたのは、人間の指だった。


 すべての始まりは、ある日、いつものようにポストを開けたことだった。小さな紙袋が入っており、中には缶詰が一つだけ。差出人の記載はない。もしかすると母親が寄ったのかと思い、後で電話で確認したが違った。

 消費期限の部分が削られており、気になったものの、缶自体には穴やへこみ、錆もなく新品に見えた。生活に困っていた彼は、ありがたくそれをいただくことにした。

 それからというもの、毎日のようにポストに何かが届くようになった。

 缶詰、カップ麺、レトルト食品、新品のシャツや靴下など、いずれも実用的で、今の彼にはありがたいものばかりだった。食品は例外なく、期限表示が削られていたが、味に問題はなかった。手料理が来たら、さすがに口にするのはやめておこうと身構えていたが、送り主はそのあたりをちゃんと心得ているようで、届くのは既製品だけだった。


 ――これは、きっと隠れファンだな。


 頭が良すぎて、どこか近寄りがたいと思われているのだ。彼はそう結論づけた。彼は確かに並の人間よりは賢かったが、二十歳そこそこの大学生。少しばかり自惚れていた。

 だが、『送り主はちゃんと心得ている』という認識は、改めることになった。

 ある日、ポストに現金入りの封筒が届いたのだ。万札が五枚。きちんと整えられて封筒に入っていた。

 さすがに背筋が寒くなった。ありがたいのは確かだが、そこまでする理由がわからない。ただの善意か、あるいは贖罪か。

 警察に相談しようかとも考えたが、実害が出たわけではない。心当たりもなく、そもそも男がストーカー被害を訴えたところで、真剣に扱ってもらえるとは思えない。

 結局、何日かそのまま保管していたものの、何事もなく、金は普段通りに使った


 しかし今日、ポストには白髪の束が入っていた。まるで猫の毛をブラシでこそぎ取ったかのように。

 彼は顔をしかめ、すぐに鍵を差してドアを開け、中に入った。ドアを閉め、ほっと息をつく。だが振り返った瞬間――床の上にそれはあった。

 人間の指。痩せ細り、皺だらけの皮膚。爪の先が微かに割れていた。


「ま、まあ、予想はしてたけどな、ふーん」


 彼は間の抜けた声で呟いた。そうしなければ、今にも喉の奥から叫び声が飛び出しそうだった。

 ポストの白髪の束とこの指をつなげて考えると、送り主の正体は老婆だろうか。干からびた細い体、歯の抜けた笑み。山姥のような女を想像し、彼は震え上がった。

 とにかく捨ててしまおう。そう思い、手を伸ばしかけた、そのときだった。

 ごとり――。

 天井のほうから何かが落ちた音がした。続いて、かすかに呻き声のようなもの。

 次の瞬間、彼は玄関へ引き返した。サンダルをつっかけ、ドアを開け放ち、外へ飛び出す。そして、駅前のネットカフェへと駆け込んだ。その日はそのままそこに泊まった。

 後日、彼は一人で部屋に戻り、荷物をまとめて手早く引っ越しを済ませ、この出来事をなかったことにしようと、記憶ごと蓋をしたのだった。

 ――そして、時は流れ……。




「博士、ついに完成したんですね」

「ああ、やっとな……。問題なく送られているはずだ」


 二人が見つめる先には、大きな金属製のカプセルのような装置があった。無数の配線とチューブが絡まって床を這い、中央には大きな扉がある。


「でも、どうして缶詰や服、現金なんですか?」

「ふふっ、若い頃の私は貧乏学生でね。人付き合いもほとんどなく、勉強ばかりしていたんだ。恋人なんていなかったし、ちょっと寂しかったんだよ」


「へえ、なんだか想像できちゃいますね」

「ははは、だろう? だが、その孤独と苦労があったからこそ、こうして物質転送装置の完成にこぎつけたのだから、まったく人生とはわからんものだな」


「ええ、本当に……」

「ははは、これで私の名が歴史に残るなあ」


「そうですね……あれ? 博士、装置の中に何か……」

「え? まさか、転送ミスか? いや、そんなはずは――あっ、何をする!」


 博士が慌てて装置の扉を開け、中を覗き込んだ瞬間だった。助手が突然、博士の背中を強く押し、装置の中へ突き飛ばした。そして、扉を閉めた。


「開けろ! 出せ! 出すんだ!」

「博士は実験中の不慮の事故で亡くなった。世間にはそう伝えておきます。これからは、私が後を継ぎますよ……」


 助手は冷ややかな声でそう言い放つと、転送装置のスイッチを押した。

 まず、博士の髪が空気中に霧散するように消えた。

 次に指が。それから――

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