ep5 日常の換装
三行後、本題に入る。
「ねえ、聞きたいことがあるの」
「あんたがここに来るなんて、伝言だけじゃないとは思ってた。で、なあに?」
「あんた、ボウトに詳しい?」
「有名どころくらいなら知ってるけど」
「全身真っ黒の服着た左腕が無いボウトって知ってる?」
「うーんと。ちょっと待ってて。調べてみる」
サトミは壁一面のモニターの前に戻って、パチパチとキーボードを叩き始める。
ユウはサトミが働いている間にプリンを頬張った。ユウがほとんど食べ終わった頃に、やっとサトミが話かけてくる。
「さっと調べた感じ、情報はないなあ。で、どうしたの?」
ここでユウには2つの選択肢があった。昨日あったことを正直に話すか、誤魔化すか。
職場柄、ボウトの情報は逐一入ってくる。争いの絶えない世界であるので、その入れ替わりは激しい。だからこそ、その名を耳にする期間の長さと強さが比例するという認識で差し支えはない。まだ情報部やサトミですら把握していないということは、新米ということだろうか。あれだけ強くても、頭角を現すのには時間がかかるだろうから。
あの黒い男は会長を追っていた。いわば自分と同じ道を探す同志である。ここで変に見つかって、消されてしまったら、ゆくゆくは何かの損につながるかもしれない。
よって、あの黒い男のことは誰にも話さず黙っておくことにした。黙っていても別段問題はないし、ちょっとした期待というか投資という心意気だった。
「ちょっと誰かが話してたのが聞こえちゃって。もしかしたら間き聞違い(まききちがい)かも」
「あんたと違って、私は聞き間違わないわよ。まあボウトなんてキチガイしかいなんだけどね。そこら中にいるしね。大抵のやつはすぐに消えるか消されるかするさ」
「そう考えると悲しいなあ」
「それに本当に片腕しかないってんのなら、なおさら生き残るのは難しいだろうしね。飛び出る水鶏は撃たれるっていうし」
「それを言うなら、出る杭は打たれるでは?」
「そうともいう。でも、本当に怖いのは、鷹だよ。爪を隠すって言うしね」
「なにそれ。鷹は目立つでしょ(笑)」
「間違いねえ」
2人して口を開けて笑った。久しぶりに心から笑ったせいで、ユウは心が浄化されたような気分になった。そして、洗われた心には純粋な疑問が残った。それが詰まりものがなくなったため、口からポロっと流れ出てしまった。
「そういえばなんでボウトになるんだろう?」
「急に何よ。賢者ぶっちゃって。まあそれぞれ大なり小なり事情があるんじゃない」
「そんなことはわかるよ」
「理由は置いといて、ボウトになる明確なメリットはある。今は本当に不安定な時代だから、一番強いやつがこの国のトップになれる」
「そんな戦国時代じゃあるまいし」
「今のところは、BB(うちの会社)が治めているけれど、それはBBが一番戦力を保有しているから。武器、人員そして財力も。だから、それよりも強ければ天下が取れる。なんでボウトになるかは知らんけど、ボウトを極めた先には一国の王っていうドデカいモノが手に入るってわけ」
「そっかあ。確かに」
ボウトの中には、バトルジャンキーな、戦場こそが生きる世界の、そういう人間も確かにいる。それしか生きる道がない者だっている。BBの統治に反対する者たちもいる。そして、BBを打倒しなくても、会長を捕まえてBBを乗っ取るっていう方法で天下を取ろうとする者もいるだろう。
会長を見つけて真実を知ることを目的にしていたユウにとっては、頭の中が真っ白になる話だった。言われてみれば確かにと感じる部分はあれど、BBをひっくり返そうだなんて、とんだレジスタンスもいるものだと思う。
でも、それでも気になることがある。
あの黒い隻腕のボウトの目的は何なんだろうか。BBの乗っ取りや天下が目的なら、会長を探るのは少々回りくどい気がする。あの腕前なら勝ち逃げだって可能なはずだから。それに、「敵意のない人間は殺さないって決めてる」っていうフレーズを、ひよっこ新人が使うとは思えない。強力なボウトは大方情報部が押さえているはずだ。そうなると、まだ注目されていないギリギリ中堅といったところだろうか。もしくは、本当に鷹……?
会長がどこに逃げたかを追うというアプローチから調査を再開しようと考えていたが、昨日の黒い隻腕のボウトからアプローチかけてみるのも悪くないように思えた。
「いい性格してるわ、ほんと。自分の好奇心の解消に人を使うとか」
サトミの目はユウを睨んでいたが、口角は上がっていた。信頼の一種と理解してくれているようで、ユウも嬉しかった。
「ボウトとコンタクトって取れないのかな」
「あんた、何言ってるの。むこうは何人殺してるかわからないし、知れ渡っていないだけのお尋ね者よ。むしろ知れ渡ってない方がよっぽど怖い。そんなことは考えないほうがいいわ。もっと自分の命を大事にしなさい」
それ昨日も言われたなあと思いながらも、周りからは自分がそんなに自分の命を粗末にしているように見えるものかなあと頭に小さなクエスチョンマークが浮かぶ。
個人的な頼み事なのでこれ以上研究者の時間を使わせるわけにはいかないと、平静を装いながらこの話を切り上げ、底に残った味の濃いカラメルに浸かった少量のプリンを流し込む。
説教後のプリンを食べ終わって、なんとも幸せそうな顔をしているサトミを、今度はユウがはやし立てて2人で部屋の片づけを始める。ものの数分で大きなゴミ袋が2つも精製される。
「会長のこと、なにかわかったら教えてね」
「わかったけど、期待はしないで。それに、危険なことはしないで。アンタがいなくなったら、私、マジで友達ゼロになるから」
「ありがとう。私も、そうかも」
昼の休憩時間も残りわずかである。ゴミ袋2つを抱えながら足早に研究開発部の棟を後にする。
サトミからの情報提供は期待できないだろう、ユウはそう感じた。天才の彼女なら、本気で追えば尻尾くらい簡単につかめるのだろうが、親友を危険に向かわせまいと、本気の助力を躊躇するような気がした。そして、会いたいのなら自分でコンタクトをとるかいないとユウは確信した。
次会って殺されない保証はどこにもないが、せっかく尻尾の毛の一本でも掴めたチャンスを棒に振りたくはない。危険だが飛び込むほかない。じゃないとここ4年の状況から一歩も進めないままになる。
決意を固めて、ユウは仕事に戻った。