ep21 世故に長けた天才
車で南下し、地下鉄の駅から少し離れたところに車を乗り捨て、徒歩で駅に向かう。中学生が出歩いていい時刻では決してないが、駅に近づくにつれて人が増えてくる。人のいない路地から大通りに出るときに、ユウは思い切って注意をした。
「ねえ、あのー、フード取らないんですか? 明らかに怪しいですよ」
「あっ、そうだな」
隻腕のボウトはあっさり返事をして、フードを取って、服装を整えた。
「ふわぁ」
ユウは思わず声が出た。想像していたよりも顔つきが若い。声からの推測とは違った結果だ。元彼とはまた違ったタイプの顔で、細身でごく普通の青年って感じだった。学校のクラスカーストでいうところの、格好次第で一軍にも、最下層にもなれるようなごくごく普通の青年だった。
幽霊ちゃんは、それを初めて近くで見たようで、目が輝いていた。
ユウは思わず幽霊ちゃんを睨んだ。
人混みに紛れながら、気まずい空気が蔓延して会話もないままに歩いていくと、地下鉄の改札が見えてくる。だが、ここで問題が発生した。
「あ、あのー、皆さんお金はありますか?」
「げぇっ、がぁ」
「心の声漏れてますよ」
幽霊ちゃんの質問でユウは忘れていたことを思い出し、表情が歪む。そして、どうやらその動揺は表に出ていたらしい。
「私、あのとき、スマホと一緒にバッグも落としちゃったから……」
「ですよね……。期待した私がバカでした」
「……」
「ロストさん(このひと)は余計な荷物は持たないですし、外で買い物は滅多にしませんよ。今日はかなり例外ですが。持ってるわけないです」
「でも電子決済できるんじゃ?」
「そんな危ないことするわけないじゃないですか。情報筒抜け、逆探知され放題ですよ」
「私たち皆一文無しじゃない! どうするの?」
「はあ、ちょっと待っててください。ここは稀代の天才が何とかしてきますよ」
幽霊ちゃんは頭を抱えるが、考えたふりなのがわかるくらいすぐに溜め息をついてから、人混みに紛れていった。
そして数分後、1000円札を握って戻ってきた。
地下鉄代をどうにかしないといけない。
天才を自称する少女は、混雑した駅の中で、人を見極める。目に入る人を己の勘で選りすぐり、すぐに目標を定める。
改札から出てきた会社帰りの中年サラリーマンで、足取りが比較的ゆっくりで、酔っぱらっていなくて、スーツの胸ポケットにボールペンが刺さっている。条件はそろっている。
「あのー、すみません」
少女はそのサラリーマンに裾をつついて、話しかける。
「お財布なくしちゃって。家に帰るお金がないので、あのー、貸していただけませんか? 後日必ずお返ししますので……」
「お嬢さん、お名前は? いくつ? 家はどこ?」
「菜野リカ、中二です。家までここから徒歩で1時間半くらいです」
「そうなんだ」
「後日きちんとお返ししますので、助けてくださいませんか?」
「いくら必要かい?」
「言いにくいんですが……。1000円もあれば十分ですぅ……」
あざとくないギリギリの上目使いを使いこなし、少女はサラリーマンに訴えかける。人並みに良心のある人間なら、困った女子中学生を無下にすることなんてしないだろう。たかが1000円、されど1000円の人助けを頑なに拒むなんてことはできない。
「わかったよ。本当に1000円でいいのかい?」
「はい、十分すぎるくらいです……」
人の良いサラリーマンは、自身の財布を広げて札を探し、困った少女に差し出そうとする。
「ありがとうございます! あと、もうひとつお願いなのですが、電話番号お聞きしてもよろしいでしょう……か?」
「?」
「後日ご連絡差し上げるので……。メールアドレスやお名前も教えていただけると……」
「わかったよ。気を付けて帰るんだよ」
サラリーマンは、メモ帳を取り出して何かを書いてから、ちぎって1000円と一緒に少女に渡した。
「ありがとうございます」
去って行くサラリーマンの姿が見えなくなるまで、少女は深々と頭を下げ続けていた。
リカが借りてきた1000円で3人分の切符を買い、地下鉄に乗った。駅から少し歩いて、目的のマンションに到着した。
マシな避難先と聞いていたので、ユウはドラマに出てくるような人里離れた山小屋や倉庫を改修したコンテナハウスのようなものを想像していた。しかし、目的地はモロ住宅地の中で、立地がよく外観も綺麗なマンションだった。明らかに稼ぎのいい都会のサラリーマンが一世一代のローンを組んで購入するような不動産だった。節々から感じていたこの10代半ばの少女とは思えない落ち着きといい、逃走するにあたって銃を手にする肝の太さといい、リカちゃんの家は相当なリッチなのだろうという理由でしか納得ができない。
だが、ここで再び問題が発生する。
3人は自動ドアの前で立ち止まる。
「どの部屋だ?」
「最上階です」
「部屋には誰か住んでいるのか?」
「いえ。空き部屋です。いつか引っ越そうってことで父が買ったものですので」
「セキュリティよさそうだしな」
「オートロックですし、なかなか上等なセキュリティしてますよ」
「さっきから何してるんだ? 鍵ないのか?」
「襲撃から命からがら逃げてきたのに、そんなの持ち出す余裕があるわけないじゃないですか」
「どうするんだ?」
「もうちょっと待っててください」
リカちゃんはさっきからずっとスマホを触っている。ずっとこの少女のペースで事が運んでいるため、立場の弱さを感じているユウは迂闊に話しかけられない。隻腕のボウトにも遠慮の色が見えるし、関係値の低いユウはなおさら口を出せない。
「できました」
リカちゃんの声と同時に、オートロックの自動扉がスライドする。
「お前、まさか」
「やっとこじ開けられました」
「セキュリティガバガバじゃねえか」
「いやいや、固いからこんなに時間がかかったんですよ」
「そんなこと言われても素人にはわからねえよ」
「私がこんなに突破に時間がかかるセキュリティはなかなかないですよ。むしろ、ここのセキュリティは私レベルじゃないと破れません。もし破られたら、覚悟するしかないですね」
「蹴破ったほうが早かったんじゃねえか?」
「犯罪ですとか、しばらく滞在するんですから後先考えてとか、私、ツッコみませんよ? まあ、手っ取り早いのは否定しませんが」
「どうせ防弾ガラスだし割る方が大変かもな」
「まあ、トラックが突っ込んで来るなら話は別ですけど。ここは住宅街ですし暴力は慎んでください」
「慎むもなにも、暴力は基本禁止されてるものだし、やみくもに振り回したりはしないさ」
「いえいえ、それもおかしな話だとは思いますよ。暴力はすべてに先立つんですから。それゆえに暴力への対応は絶対に後手に回ってしまう。それへの対応策を持たないまま、ただ暴力を禁止しても、根本的な解決にはならない。次は第二の力が頭角を現すだけです。そうですねえ、圧力とかでしょうか。そういった意味で、圧力はオッケーで暴力はダメって、どういった料簡なんでしょうか?」
「なに、不満か?」
「いえいえ、結局、人にはまだ力を扱うためのメカニズムを持っていないんですよ。それに、暴力禁止のダメなところは、やり返す手段に乏しいことです。暴力以外の方法で一方的に叩かかれた場合、暴力以外で対抗するのは至難の業ですし、手痛い反撃がないとわかっているので、叩く手もなかなか収まりません。
暴力がある意味まかり通っている今の世界は、暴力絶対禁止とかいう上っ面だけの綺麗事が幅を利かせた世界よりかは幾分かマシだと思ってるだけです」
「ほぅ、わかった」
「それはわかってない人の返事ですよ」
「稀代の天才とやらは伊達じゃないってこと」
そうしてようやく案内された部屋の中は、まるで物が無い。人の住んでいる影もない。一応、備え付けと思われる食卓のテーブルと椅子や、シングルベッド、冷蔵庫などのひと通りの家電はあるが、まるで使用感がない。部屋の装飾も食器も生活用品もない。入居者待ちの物件って感じだった。しかし、リビングにポツンと置かれた3人掛けのソファーは、後から置かれたものであることが確信できるほど高価に見えた。
そんなことはどうでもよくて、リビングに到着してすぐに、三つ巴の戦が開戦した。「家に帰るまでが遠足」の意味するところは、きっと「家に帰ってからは次の遠足」なのかもしれない。