ep19 遭逢(そうほう)1
「そういえば、まだ名前聞いてないんですけど。教えてもらえますか?」
「うーんと。人に名前を聞くときは自分から名乗れよ」
まるで相手にしていない気の抜けた二つ返事に、ユウはむぅっと顔が歪む。急激に既聴感もこみ上げてくる。だが、今度は答えることができた。
「私の名前は、九鳥ユウ、BBの情報指令室配属の社員でした。それであなたは?」
「俺のことは何とでも呼んでくれ」
答えになっていない。名乗ってすらいない。
喋ったことについて怒られないことが判明したため、心の中の遠慮の壁が完全になくなった。
「あなたは結局何者なんですか?」
「普通の人間だよ。それ以外何に見えるの?」
答えになっていないその2。
いや、ボウトの時点で普通じゃないし、戦闘力も人並みじゃない。さっきも不良たち相手に片腕で圧倒していたし。いわゆる正真正銘の爪を隠した鷹タイプだ。見つからないように出歯亀していたのではなく、見つかることなく陰で暗躍し続けてきたのだろう。それは全てその腕前のなせる離れ技だ。
あれっ?そういえば……
「左腕はどうしたんですか?」
「どうもしてないよ」
「え、でもさっき……」
ユウの目の前にある後ろ姿から見て取れる左側の袖に芯はなく、動くたびに空気に押されてたなびいている。でも、あのとき、屋上から落ちたあのとき、掴んでいたのは絶対に左の腕だった。わざと隠すのがこの人流なのだろうか。
「しっ、静かに」
隻腕のボウトは急に止まる。ユウも茂みの中でかがんで身を潜める。ちょっと背伸びして見えた先には境内が広がっていて社がすぐ目の前にある。
すると、隻腕のボウトが立ち上がる。
ユウは両手で口を押えて必至で声をこらえる。
ユウには銃口が向けられていた。隻腕のボウトは銃を向けていた。
ユウはせっかく口を抑えた両手を、恐る恐る上げる。
「誰だ?」
ユウはそれが自分に向けられた言葉ではないことを察して、今度は恐る恐る後ろに首を回す。
後ろには幽霊?がいた。薄暗い色の丸いシルエットをした幽霊が銃を向けている。ユウは広げた両手をまた口に空気ごと押し付けて、喉を必死に抑える。
「あなたたちこそ誰で……。ショウさん!!!」
幽霊は銃を落とし、心弛びしたのがわかるがそれに似つかない男の低い声で喋った。
「お前、誰だ?」
「も、申し遅れました。稀代の天才を名乗る者です。あなたであれば、『ネコ』という呼び名のほうが聞き慣れているかと思います」
ユウはゆっくり息を吐きながら、後ろを確認する。その幽霊は動物を名乗った。しかし、その姿は頭から灰色の布を被って、そこにはどことなく細くて不気味な目のみが書かれている。まるでどこかの神様のような格好だった。あまりにも浮世離れした格好に笑いが出そうになる。
「お前本当に情報屋か?」
「メール見ていただけたんですね。今日の待ち合わせは大丈夫でしたか? こんなことになって補助できなくてごめんなさい。いやっ、あっ、申し訳ない……です」
「差出人はお前か?」
「はい。襲撃されて、緊急事態でしたので」
「なぜ俺のアドレスを知っている?」
「そのくらい当然知ってます」
ユウはその言葉に女の本能で狂気に似た怖さで身震いがする。そんなことに気付く様子もなく、2人は会話を続けている。
「俺は情報系の話には疎いのだが、漏れる可能性は?」
「そうですね。スマホしか持ち出せず、私が構築した特製秘密回線が使えなかったので危険性はあります。緊急事態とはいえど普通回線を使うのは危なかったですが、世の中に溢れたスパムメールに偽装したので、すぐにはバレないでしょう。どのみち方法が手に入ったら、痕跡は完璧に抹消します」
「どうやら本当の情報屋っぽいな。で、今の状況は? これからどうするつもりだ?」
ここでようやく、隻腕のボウトは頭から布を被った自称神に向けていた銃を下ろした。
一度ネットにアップされた情報は完全に削除できない、と一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。しかしながら、この情報屋の前ではそれは例外たりえる。その腕前のなせる離れ技その2だ。だからこそ、「完璧」や「完全」と言いきることができるのだ。それは、傍から見れば怪しさかもしれないが、当人たちには築かれてきた信用なのである。
「ボウト数人に追われています。付近の街を捜索しているようですので、ここまで捜索が及ぶのも時間の問題かと。そして、私は別宅のアパートに行きたいです。ここで死んじゃうのなんてまっぴらごめんです」
「それは以前教えてもらった緊急避難場所か?」
「いや、あそこは雨風凌げて水道が通っている程度なので、情報操作となるとできかねます。それよりはマシな別の場所があるので、そちらに」
「で、あのボウトたちはお前狙いの追手か?」
ここに来る途中で、何かと物騒な感じのボウトを何人か見かけた。1人を狙うにしてはどう見ても大がかりに思える。
「はい。アジトを襲撃されまして。サイバー攻撃を防御している間に動いてきたので察知が遅れました。あと少し気付くのが遅かったら本当に危なかったです」
「俺もいつかは追われる身だし、マンションまでは連れてってやるから一夜泊めてくれ」
「一夜とは言はず……。ええ、構いません」
まだ続きそうな会話を遮るように、境内で声がする。
正面の参道から2人登って来たようだった。
「このままここにいても、バレない保証はない。ここはひとつ陽動といくか」
お前らはここに居ろ、そう言って隻腕のボウトはスタスタっと草むらを駆けていって、即刻やってきた2人の背後をとると、後ろから1人に飛び掛かって蹴り飛ばし、もう1人の後ろ頭に柄殴りを入れて意識を奪うと、蹴り飛ばしてうつ伏せに転がったもう1人に飛び乗り、首にナイフを押し当てる。一瞬の出来事だった。
「声を出すな。質問に答えろ。少しでも不穏な動きを見せたら刺す。2人とも命を失いたくなかったら嘘はつくな。いいな? お前たちは何人いる?」
取り押さえられた男の全部の指がピクピク動いている。
「10か。いや、15か」
ボウトは動かしにくそうに顎を動かす。
「どこの集まりかは知らんが、移動は車だろ? 足はどこだ?」
ロストは喋らずにどうやって伝えるんだよって顔をしながら、指でその方向を指す。
この辺は安全度の高い地域の住宅街である。15人の仲間を連れてくるなら、車しか移動手段はない。
「どこだ?」
隻腕のボウトは首のナイフの押し付けをさらに強める。首の皮膚が裂け、血がたらたらと伝い始める。
「空き地、公園、あっちの」
ロストの指の方向が変わる。
「嘘は見逃せないけど、吐いてくれたから許すわ。運がいいな」
ボウトは頭を殴られ、意識を失う。
それから、取り出した閃光弾を神社の柱に固定し、そのピンに細い紐を括り付ける。
「このまま下山して、奴等の車を奪って逃走する。途中で乗り捨てて、地下鉄でも乗ろうか」
ユウと幽霊は、ゆうゆうと戻って来た隻腕のボウトに促され、裏道を下っていく。




