ep1 力と銃
月たちはいいものだ。暗い夜を照らしてくれる。そして、手が届きそうで届かない、でも実は届くかもってところにロマンがある。
「出てこい。何者だ?」
夜空を照らす月光は生い茂る木々に遮られ見渡しの悪い空間が広がる山林に、力強い声が響き渡る。体格のひと回り大きい若い男が片手に透明の防弾シールドを構え、もう一方の手に握った銃を目の前の1本の木に向けている。男は前進しながら、さらに続ける。
「武器を捨てて、手を頭の上にあげてこちらに出てこい。抵抗するなら撃つ」
隊長らしきその男の言葉で、連れていた周囲の部下たちも手持ちの銃の銃口を前に向ける。
すぐに反応はなかった。隊長は一歩、また一歩と少しずつ疑惑の木に近づいていく。4歩進んで、目標の木まで15メートルほどの距離になったところで、軽快な足取りで上半分はふらふらとした動きを伴った影が現れた。
周囲の宵闇に溶け込んでいて、うまく姿が捉えられない。それでも、揺れ動く木々から漏れるわずかな光を頼りに、シルエットを把握し相手を図る。目を凝らしてようやく、平均的な人の輪郭が浮かび上がる。全身真っ黒で、着丈の長いジャケットを羽織り、フードを深々と被っていて顔は見えない。ポケットに片手を突っ込み、要求に従った様子はない。
隊長は足を止めて銃の引き金に触れている右の人差し指に力を入れ直してから、黒い人影に問いかけた。
「おまえも襲撃者たちの仲間か?」
黒い人影は、意外にもすんなりと返事をしてきた。
「いやあ、こんな人間がテロリストに見えますか。襲撃だなんて、まさか」
声の雰囲気は男、それも比較的若い男のようだった。
黒ジャケット男の嘲るような返事に取り乱すことなく、隊長は厳しい口調で言葉を投げかける。
「一応聞こう。何者だ? なぜこんなところにいた?」
「なぜって。それならあなたがたもなぜここに?」
男は、こちらが何者かは聞いてこなかった。隊長は、情報という面では不利がついていることを把握し、今ある情報を脳内で整理する。
ここの付近にいるということと、この余裕ぶった態度からして、この男は今夜この山林を少し下った先にある料亭『亀路都』が襲撃されるという情報を知っているに違いない。雰囲気からして、テロ実行部隊というよりかはスパイや斥候の部類だろう。この場合、軒並み脳筋なテロリストよりも、幾分か頭の回る偵察者のほうが相手にするなら多少厄介だ。周囲に仲間はおらず、紛れもなく1人。それでも、一目散に逃げずにのうのうと姿を現したということは、諦めたのか、それとも自分たちの足止めが目的か、もしくはそれ以外の目的があるのか。時間稼ぎなのか。もしくは今回のテロリストとは無関係なのか。見逃される可能性にかけて話し合いを持ち出してきたのか。色々な可能性を考慮しながら慎重に声をかける。
「地面に額を付けて投降しろ。命だけは保障してやる」
「それは困る」
男からの返答は食い気味だった。
隊長はますますわからなくなると同時に、嫌な予感がする。
「じゃあ今回は見逃してやる。今すぐこの山を下りろ。ただ、持ってる情報は全て吐け」
「何も知らない。知ってても言わない」
隊長は自分が無意識のうちに緊張して萎縮し、後手で守りに入っているということにそのときはまだ気付いていなかった。
そんなとき、どうやら騒がしい音が伝わってくる。
どうやら、かの料亭で襲撃戦闘が始まったようだった。
しかし、発砲音はすぐ傍からも聞こえた。
部下の1人が男に向けて発砲していた。
「何してんだ」
「隊長がヌルいからっすよ。さっさと先に進みましょうよ。ちょうど、下でも始まったみたいですし」
「どれだけ実力があっても、指示には従ってもらわないと困る。お前の軽率な―」
新入りの部下を叱咤しながら隊長は正面を確認する。しかし、さっきまでいたはずの男がいない。そこには何もなかった。
男は、一瞬で、無駄のない体裁きで、付近の木の陰に回り込んで姿を隠していた。
次の瞬間には、男は一番端にいた部下の目の前に飛び出してきた。それを反射的に察知できた隊長は、部下に飛び掛かった男に、手にしていたサブマシンガンを撃ち込んだ。
部下の1人を仕留めそこなった襲撃者は即座に地に落ち、地面を転がっていく。
だが、これでホッとできる……わけがなかった。ヒットした感覚がまるでない。
男は転がりながらも銃を放ち、数発を部下数人に当てた後、そのまま近くの木の陰に転がり込む。
「お前ら一旦下がれ。必要な奴は治療を。こいつは相当の猛者だ。俺が殺る。援護に徹底しろ。生死は問わない。とにかく自分の命最優先で」
隊長は部下に指示し、こちらも近くの木を遮蔽にする。部下たちも被弾した味方の前に出てすぐに陣を立て直し、各々の方法で身を潜める。
男は冷静に、部隊の乱れが整う前に、隊長めがけて飛び出してくる。ピストルを片腕で構えながら走ってくるのがわかる。
男が使っていたのはピストルだったから、装弾数は8発で、このシールドで5発は防げる。相手が4発撃ったところで顔を出して(ピークして)撃ち返せば勝ちだ。経験上、ピストルを好んで使う奴なんて、素早さ(スピード)重視の物好きしかいない。自分ならその動きが追えるから負ける要素はない。
隊長は瞬時に勝利の胸算用をした。
横から突っ込んで射線を通してきた男に対して、隊長は木で身を隠しながら、シールドで銃弾を防ぐ。男は的確にシールドに銃を撃ち込んできた。認識した4つの破裂音と狂いなく、4回の衝撃がシールドから伝わってくる。
しかし、予想は甘かった。
飛んできた4発をシールドで防ぎ、反撃の銃を構えようとしたころには、もう男は目の前に来ていた。1度瞬きを挟む前は、全身を視界にとらえられるくらい向こうのほうにいたはずなのに。気づいた頃にはすでに遮蔽が意味を失っていた。隊長は、襲撃者が残り1発撃ち込んでシールドを破壊するのではなく、シールドの張れない距離まで詰めてくるだろうことを認識した。隊長はシールドを手放し一歩引いて態勢を立て直そうと考える。しかし、そんなことをする猶予もなく、襲撃者は走って来た勢いそのままに隊長をシールド事蹴り飛ばす。
パンと一発分の音がする。隊長はとっさにもう一方の手に持ったサブマシンガンを撃とうとするが右手に力が入らない。撃たれたせいで血が噴出している。治癒が頭を過るが、無意味だった。隊長は、勢いがそのまま乗った男の肘打ち(エルボー)をクリティカルに顔面にもらい、背中から倒れる。そして、すかさず持ち替えられた男の右手のナイフに首を掻き切られる。
刹那の出来事、一瞬の決着だった。周囲には少し鉄っぽい血の香りが掠めた。
状況を察知し、残された部下たちの悲鳴が上がる。それほどこの男が信頼されていたということだろう。
ギリギリ正気を保って、男に銃を撃つ者もいた。しかし、銃弾が襲撃者に届くことはなかった。
そこからは一方的な虐殺だった。
素早い動き、正確な射撃、非凡な近接格闘を、この少ない月明かりの中でこなし、残りの9人もあっという間に最初の隊長と同じもぬけの殻になった。
最初に銃を撃った部下は、男によって隊員たちが無残にも惨殺されていくのを見るなや否や、這い這いの体で逃げ出していた。しかし、他の隊員を全て蹴散らし終えた男にいとも簡単に追いつかれ、仲間の後を追うことになった。
錆びた山地に1人残った男は、インカムを取り出し耳に当て通話を始める。
「すまない。BBの別動隊らしきやつらに絡まれた。で、状況は?」
「かなりマズいです。BBのガードが押されています。ボウトの数が予想より多いです」
「どちらにせよ、関係ないか。ここは血生臭いから場所を変える」
「りょーかいしました」
インカムをポケットにしまうと、男は暗い森の中へ消えていった。