沢庵とヤカン
「摂取」
自身の体の材料を得ると言う行為。命を頂くと言う意味。圧倒的満足感。生活の中の刺激、喜び。
「貪食」
むさぼり食うこと。飽きることなく欲する。常なる空腹から生まれる食への渇望から来る行動。尽きない食欲。
同じ“食す”と言う行動にも関わらず、この二つが持つ側面は正反対だ。
本来、“食す”と言う行動は、前者のように幸福感や充実感を味わうと言う意味が多い。だが、それは欲望が尽きることを前提としたときのみ成り立つことでもある。
後者に該当する者は、ひたすらに欲望が満たされることないし、“食す”事が喜びとはならず、不幸だ。
僕はこの後者でなくて良かったと思う。僕は、所謂美食家と言われる部類である。
美食家と言うにからは、一般的に大食らいのイメージが強い。が、僕の場合量はその欲望を満たす条件には含まれない。
否、あるいは僕の場合は極端なのかもしれない。少しで良い、それも違う。そう、味わうことができれば良い。
もっとわかりやすい言い方をするならば、僕は一度に沢山食べられないのだ。
「沢山、食べて下さい」
僕には以前から放浪癖があり、今回は青森の金木へフラリと立ち寄った。太宰治の出生の地だ。自身が小説家であるために、一度訪れてみたかったのもある。
僕が住む都心からは約 時間の飛行機、そう遠くない場所だ。
金木は、青森の中でも田舎の町である。太宰の生家を後にした僕は、あてもなく歩き始め、やがて小高い山を見つけた。
そうしてその山を見た瞬間に、どうしてか登りたくなり、一人歩く内にたったの一つだけある民家へと足を運んでいた。
かれこれ、二時間余り歩き続けたせいか、酷く喉が渇いていたのだ。
「麦茶を一杯ください」
「ただいま」
古い民家の中から出てきたのは、意外にも若い女性だった。僕より二、三年下だろう。髪は黒く、こざっぱりと切り揃えていて、好ましい。
「蕎麦茶で構いませんか」
「ああ、構いません」
娘は、僕を縁側に座らせると、茶を置いてそそくさと奥に引っ込んでしまった。
もしや田舎とは言え、若い女性が一人暮らす家に上がり込んだのは失礼だったやもしれぬ。
僕はさっさと湯のみを空にして立ち去ろうとしたが、ふと、茶請けに沢庵があるのを見つけ、少しばかり感動した。沢庵を茶請けとして出すと言う習慣は、最近はもう希薄なのだ。
沢庵は、同じ名前の坊様が提唱したとか、“じゃくあん”からなまったものであるとか、定説は幾つか有る。
その製法は、手で曲げることができる程に干した大根を、塩と糠で漬ける。沢庵の塩辛さは塩から、甘味は糠から生み出されるのだ。
近年は高甘味低辛味が好まれ、本来糠の色素により色付くはずのあの淡黄色は、合成着色料によって着色される帰来が強い。したがって、僕なんかは目を覆いたくなるような黄色の沢庵が増えた。
しかし、娘が出した沢庵は、見事に淡い黄色、しかも三片程ある内の、一片は色合いが異なる。おそらく、この一片だけは別の漬け物糠で漬けられたものなのであろう。
僕は、その色合いの違う一片にそっと手を伸ばした。噛み砕かれる瞬間にコリリ、と音を立てるのが心地よい。
「うまい」
いつの間にやら、沢庵は三片ともなくなっていた。
ふと、その沢庵の乗せてあった皿の隣を見ると、何とも不格好なことに、僕に出されたであろう蕎麦茶の入ったヤカンが所在無さ気に、置かれている。
僕はそのヤカンを見た途端に、酷く興醒めしてしまった。これでは、いけない。何だか、このヤカンの中の蕎麦茶を全て飲み終えるまで、立ち去ってはならないと言われているようで、いたたまれない。
ヤカンの蕎麦茶を全部いただかないと、失礼に値するのではないだろうか。僕は元来から心配性なのである。
その心配事が抜けず、娘が引っ込んで行った先の様子を窺っていると、何やら良い匂いがする。暫くするとコトリ、と目の前にお膳が並べられた。
「沢山、食べて下さい」
「どうして?」
突然のことに戸惑いつつも、何か思う所有りての行動と取って尋ねてみた。
すると、どうだろう。娘は大変言いにくそうに、こちらの様子を窺いながらこう言ったのである。
「私、失礼かと思われますが、貴方があまりに痩せてらっしゃるので」
「ははは」
僕は思わず笑ってしまった。食の細い僕は、確かに気の毒な程痩せていた。
「山道を来たのでしょう? 沢山食べないと帰れなくなります」
娘は僕を心配しているのだろう。そう思うと、先程億劫に感じた全てが吹き飛んだ。
「申し訳ありませんが、僕は一度に沢山食べなられない体質でしてね。失礼は承知ですが、完食できないかも知れません」
お膳には、沢山の料理が乗せられていた。
「はあ」
娘は、納得しきれぬような顔をしたが、押し付けるような無粋な真似はしなかった。
しかし僕だって、全く腹が空いていないと言えば嘘になる。放浪する前からあまりきちんとした食事を取っていなかった。
「いただきます」
僕は、まずスープから手をつけた。和風出汁の中に芯ごともぎ取ったようなキャベツが浮かんでいる。アクセントに、小海老とベーコン。
薄口の和風出汁とベーコンの旨味が混ざり合って、不思議と体の中に染み込む。気がつくと僕は一皿完食していた。
「驚いた」
出された料理を一皿完食したのは、生まれてはじめてであった。僕はすぐに他の料理も試したくなった。
ズッキーニと蕗の薹の天ぷら、菜の花味噌が乗った大根、椎茸をオリーブオイルで炒め、抹茶塩を振りかけたもの、魚の竜田揚げ。どれも、ほんの少し皿に盛りつけてある。
僕は夢中になって食べた。味わうと言う域を越えていた。身体が、目の前の料理を欲しがっているのである。
料理を半分くらい食べたときに、僕はあることに気がついた。先程から、とても茶を飲んでいるはずなのに、湯のみの茶が耐えることがないのだ。
味噌汁を啜りながら、注意深く湯のみの様子を窺っていると、気づいた。
僕が顔を下げたまさにそのとき、それまで僕の食べ様をじっと見ていた娘が、さり気なく――本当にさり気ない仕草でヤカンから茶を足したのだ。
「成る程」
ヤカンは僕に料理を出すことを前提にそこに置かれていたのだ。
「湯のみが空にならないわけです」
娘は、ほんの少しその手を止め、微笑んだ。
「完食なさいましたね」
「はい、生まれてはじめてです」
「それは良かった。食べ物は、あなたの血となり肉となります。体に染み渡って行くでしょう?」
娘の言葉は、なぜだか良く理解できた。では、僕が今まで食べてきた料理は何だったのだろう。きっとあんなものは料理とは言わないのだろう。
その後、僕は自分で料理するようになった。もちろん、完食だ。
料理の上達は周りの人たちにも伝わり、とあるエッセイを出すことになった。僕は今度、この話を作品として発表するつもりでいる。
食べ物は大事だ。
皆さん、こんにちは。
紗英場です。
今回は僕が好きな料理について。
皆さん、良いものを食べていますか?
そうでない方に料理に込められた暖かい何かを感じて欲しくてこの作品を書きました。
僕は肉よりも野菜を愛しています。
感想いただけると嬉しいです。