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Life of this sky

空 Sunshine

作者: 甲斐 雫

「Life of this sky」シリーズ5作目になります。

短編

食堂のおばちゃん、花さんの友人の話。


 梅雨が明け、日本の夏がやってきた。

 湿度が高い日本の夏に慣れていない豪などは、もう早速音を上げている。

 空も同じはずなのだが、こちらは左程つらく感じていないようで、クールな佇まいである。


 FOI日本支局の食堂でも、夏らしいメニューが並ぶようになった。冷やし中華、素麺、生ビールに枝豆などが人気である。

 とは言え、食堂の利用者は捜査官6名と看護士1人なのだから、料理人の花さんは少々家族が多い一家のお袋さんのように、毎日楽しく腕を振るっている。


 そんなある日、局長である博と専任捜査官の空は、一緒に朝食を摂っていた。

 博は和食の朝御膳、空は洋食のモーニングプレートだ。花さんは、朝食だけでもセットメニューを6種類は用意してくれている。好みも考慮し、栄養面でのバランスも考えられた献立になっていた。

 その日他のメンバーは既に朝食を終え、それぞれの仕事を始めているらしい。


「空、これは美味しいですよ。食べてみませんか?」

 そう言って、博が一夜干しのカレイの身をを箸で摘まみ上げ、空の口元に差し出す。近頃こういうことが多いので、慣れてしまったのだろう。素直に空は口を開けて美味しそうに食べた。

「・・・これは、何という魚ですか?」

「カレイですよ。どうですか?」

「・・・美味しいです」

 こんな感じで、好きな食べ物がどんどん増えている現在の空である。増えすぎて、何が一番かと問われると返事に困るくらいだ。

 空のトレイには、朝からデザートのプリンが果物と一緒に乗っている。以前の任務で怪我をしてベッドに居た時、花さんの心づくしの食事が医務室に運ばれてきたのだが、その中でも空が一番気に入ったのがプリンだったのだ。それ以来、花さんは2日に1度は空の食事にプリンをつけている。


 食事が終わり、今日の予定などを話し合っていた2人のテーブルに、花さんが厨房から出て近づいてきた。

「あのう、急で申し訳ないんだけど、これからお昼ごろまでお休みを貰っても良いかしら?」

 申し訳なさそうに言う花さんに、博は笑顔で答えた。

「それは構いませんが、何かあったのでしょうか?」

 花さんがこんな風に、勤務時間中に休みが欲しいと言うからには、きっとのっぴきならない事情があるのだろう。

「はぁ・・・実は・・・」

 彼女は一度厨房に戻ると、小さな段ボールを持って戻ってくる。

「先ほど送られてきたんですが、何だか凄く気になって・・・」

 宅配便の伝票が貼られた段ボールを開けて見ると、封筒が1つ。

 それ以外は、くしゃくしゃに丸められた新聞紙が入っているだけだ。

 花さんは封筒を取り出し、博に見てくださいと言って渡す。


「私の名前を覚えておいてね」


 一筆箋が1枚。1行だけの文がそこにあった。

 そして、転がり出て来た鍵。


「それは、彼女のマンションの鍵だと思うのよ。これを送ってきたってことは、来てくれって言うことじゃないかなって思うんだけど・・・」

 何だか妙な気がするので、直ぐに行ってみたいのだと花さんは言う。

「差出人の信田日向子って、古い友人なのよ」


「何だか気になりますね。僕たちも一緒に行きましょう。幸い今日は、特に急ぎの仕事もありませんし」

 良いですよね?と博は傍らの想い人に確認する。

「はい」

 空は短く返事をした。


 花さんの友人のマンションは、支局のビルからゆっくり歩いて15分ほどのところにあった。

 夏空を突き抜けてくる日差しが、眩しくて暑い。

 日陰を縫って歩きながら、花さんは信田さんの事を話し始めた。

「彼女とは、市民講座の『食べられる山野草』で出会ったの。何だか馬が合って、それ以来の付き合いなのよ」


 信田日向子は、家族運がない女性で、若い頃に夫と子供を亡くしていた。それ以来ずっと、1人暮らしなのだと言う。関西方面に遠縁の男が1人いるくらいで、親戚も居なかった。


「お互いの家を行ったり来たりしてたんだけど、彼女両膝を痛めちゃってね。家の中なら何とか歩けたし、買い物は通販を利用してたから何とかなってたけど、やっぱり寂しいだろうなと思って、休みの日とかは料理を持って遊びに行ったりしてたのよ」

 彼女は手芸とベランダ園芸が趣味で、それで時間を費やしていたらしい。

 花さんが遊びに行くと、大層喜んで一緒に食事したりおじゃべりを楽しんでいたようだ。


 そんな話をしながら、3人は彼女のマンションの部屋の前まで来た。吹き抜ける風に涼しさを感じながら、花さんが例の鍵でドアを開ける。

 室内からエアコンの効いた空気が流れだしてきたが、博はその中に微かな異臭を感じ取った。

「花さん、玄関で待っていてください。空、中へ・・・」

 2人は静かに、室内に入った。


「空、ここはリビングですか? 室内の状況を説明してください」

 アイカメラを使っているとはいえ、初めての場所では行動が難しい。空の眼を貸してもらう方が合理的なのだ。博はリビングの入り口に立っている。

「12畳ほどの広さのリビングルームです。正面にベランダ、その手前にシーツを被った家具のようなものがあります。中央にソファーセットがあります」

「そのシーツの下には何がありますか?」

 空はソファーセットを迂回して、微かな臭いの元であるシーツを被った物体に近寄り、シーツをそっと取り除けた。


 立ち上がり補助機能が付いた高座椅子に座る、50代女性の遺体があった。


 博は背後の花さんに、ドアに鍵を掛けて中に入るよう告げる。

 友人の変わり果てた姿を見た彼女は、かなり衝撃を受けたようだったが、直ぐに立ち直った。

「・・あたしに何か、できることってありますか?」

 食堂管理者とはいえ、流石はFOIスタッフである。花さんは気丈にそう言ってのけた。

「では、僕の傍にいてサポートしてください。空、初動捜査をお願いします」

 花さんのようなタイプの人間は、むしろやる事がある方が落ち着くものだと博は知っている。

 空はバッグからいつも持ち歩いている使い捨て手袋を出す。そして遺体の傍に膝をつくと、手袋をして捜査を開始した。


「遺体は死後3時間程度、死因は絞殺だと考えられます。室内とベランダを捜査します」

 遺体にシーツを掛けなおし、そう報告すると、空は先ずベランダを眺める。窓ガラス越しに、ヒマワリが植えられた大型プランターが2つ眼に入った。

 ミニヒマワリという種類なのだろう。50センチ程度の高さで、幾つもの黄色い花が綺麗に並んでこちらを向いている。空はその様子を報告すると、ベランダに出た。

 ベランダ園芸が趣味だったというだけあって、様々な鉢植えが並んでいる。一番数が多いのは、デイジーだろうか。盛りが終わった花は枯れかけているが、種を取るためなのだろう、花びらを落としかけた花が幾つか咲いている。

 ミニヒマワリのプランターの周りには、土が落ちている場所があって、誰かがそれを動かしたらしいと解った。


 室内に戻った空は、ベランダの様子を博に伝え、改めてリビングの様子を観察する。博は花さんにサポートして貰って、一緒にソファーに座っていた。

「周囲の壁に、額が飾ってあります。サイドボードの上に鉢植えが3つ。その他にも、フラワースタンドが5つあって、それぞれの上にも観葉植物などの鉢植えが乗っています」

 博は、アイカメラでその1つ1つを確認していく。家具の引き出しがきちんと閉まっていなかったり、調度品を動かしたような形跡もあった。

「額はね、彼女の趣味のクロスステッチなの。全部、植物でしょ。自分でデザインしてたのよ」

 花さんが説明すると、博はそれらが何の植物であるかを空に問う。

「朝顔、金木犀、福寿草、フリージア、桜、菊、ポトス、オリヅルランです」

 季節も色も様々で、観葉植物もあった。

「鉢植えの植物の種類は?」

「ポトスが2鉢、アイビーが3鉢、カポックとドラセナ、デイジーが1鉢ずつ」

 スラスラと植物の名前が出てくる空が凄い。デイジーが1鉢だけ室内にあったのだが、こちらはエアコンと当たっているデスクライトのせいだろうか、まだ元気に花をつけている。


「おそらく犯人は、犯行後室内を物色したようですね。ベランダのミニヒマワリのプランターも動かしたり底を見たりしたのでしょう」

 ふとベランダを見て、こちらを見ているようなヒマワリにギョッとし慌ててベランダに出たのだろう。気の小さい人間かもしれなかった。そしてプランターの底を見るために傾けたので、土が零れたと考えられる。

「ヒマワリは名前の通り太陽の方を向くものだと思いつき、それが室内を向いているのは怪しいと思ったのかもしれません。けれど、ヒマワリは蕾のうちは太陽を追いますが、花が咲くと動かなくなります」

 花が咲いてその位置が固定されてから、信田さんはリビングからよく見えるようにプランターを動かしたのだろう。悪い膝を庇いながら、少しずつ。

「けれど、目的の物は見つからなかった。そこで犯人は、しばらく室内を探していたけれど、何かあって一旦ここを出たのでしょう。見つからなかったので、また戻ってくるつもりで。その時、室内にある遺体が眼に入らないようにシーツを被せておいた・・・」

 焦る気持ちを落ち着かせるために、鍵をかけて外に出たのかもしれない。遺体を見ずに落ち着いて探せば、見つかるだろうと考えて。

 時間はある、と思ったのだろう。


「見るべきものは全部見ましたね。それじゃ、警察に通報しましょうか」

 博がスマホを取り出すと、空は念のため玄関に移動する。

 しばらくして、外の通路から足音が聞こえ、ややあって鍵を開ける音がする。空はドアの陰になるよう移動すると、中を窺うようにそっと空いたドアのノブを掴んで思い切り引いた。

 玄関内に、痩せた男が転がり込んできた。

 空は慣れたように男の手首を掴み、背中に捻り上げて男を拘束する。通報を受けた警察が来るまで、さほど時間はかからなかった。

 男は被害者の遠縁の男性だった。


 警察の犯人連行、室内捜査や遺体の運びだしなどが終わって、リビングには3人が残る。

「日向子は、犯人を捕まえて欲しかったのかしら?」

 花さんがポツリと呟く。

 連行されて行く時、男が叫んだ内容から、金の無心をにべもなく断られてカッとなって犯行に及んだらしいということが解った。

「それもあったと思いますが、彼女は貴方に渡したいものがあったんだと思います。空、室内のデイジーの鉢はどうなっていますか?」

 空はフラワースタンドの上にあるデイジーの鉢に近寄る。

「・・・花が3輪、クリップ式のデスクライトの方を向いています」

「ライトの背後には?」

「額があります。デイジーのクロスステッチです」

「では、その額を外して中に何かないか見てください」

 額を壁から外し、裏側を見る。そこには、封筒が挟んであった。


「花ちゃん、いつも本当にありがとう。こんなもの残しても迷惑かもしれないけど、貸金庫の鍵を受け取って。このデイジーの額も貰ってくれたら嬉しいわ」

 そう書かれた便箋と、小さな鍵が入っていた。


「推測ですが、彼女はあの男が来るという連絡を受けていたのではないでしょうか。そして、彼が金銭を欲しがっていて、自分を殺そうとするかもしれないということも。だから彼女は、時間指定が出来る宅配便で封筒とマンションの鍵を送ったのでしょう」

「それじゃ、あの手紙の文は・・・?」

 私の名前を覚えておいて、という短い文。

「あれは、彼女の最後の、ちょっとした遊びだったのかもしれませんね。彼女の名前、日向子がヒントだったんです」


 デイジーはヒマワリと違い、花が咲いている間ずっと向日性を表す。つまり、灯りの方向に花を向けているのだ。自分の名前日向子は、デイジーそのものを表すと思っていたのだろう。

「向日性がある花が好きだったのかもしれませんね。殺されるかもしれないと思った時、財産を犯人に奪われたくないという気持ちと、大切な友達に感謝を伝えたかったのでしょう」


 花さんは、空から受け取ったデイジーの額を、しっかりと抱きしめる。

「お金なんていらないけど、これは大事にするわ・・・」

 そう呟いて、花さんは顔をあげる。

 日向子はいつも、どこか寂し気だった。死にたいとは思わないけど、早く夫と子供には会いたいわねぇ、とよく言っていた。殺されるなら、それでもいいと思っていたのだろうか。

「もう夕方なので、支局の晩御飯の用意は無理ですよねぇ。今日はこのまま帰ってもいいかしら? もう少しここにいて、それから家に帰りたいのだけど・・・」

「ええ、構いませんよ。何なら明日も、休暇を取ってください」

 しかし花さんは、きっぱりと断った。

「いいえ、今晩食材を発注して、明日は思いっきり料理するわ。日向子が好きだった料理を全部作って、皆に食べてもらう。それがあたしにできる、一番の供養のような気がするの」


 それはいい考えですね、と博は答えて優しく微笑んだ。

 花さんは、ふっと彼女が座っていたベランダの傍の高座椅子を見る。

「日向子、可哀そうなことしたわ。殺されるなんて怖かっただろうし、1人で死ぬのは寂しかったでしょうね」

 そんな花さんの言葉に、それまでずっと黙っていた空がポツリと言った。

「ヒマワリたちが居ましたよ」

 きっとあの花たちが、彼女の最後を看取ってくれたのだろう、と。


 花さんを置いて支局に帰る途中、博は近くの公園に足を向けた。

 誰も居なかった。

 夕暮れの公園には、今日最後の陽の光が射している。昼間の暑さを生み出した強烈な日差しの残滓が、最後の時を迎えて沈黙しているかのようだ。

「・・・空、花さんに『ヒマワリたちが居た』と言いましたね」

 感傷的とも言える台詞は、彼女にしては珍しいと思ったのだ。


「・・・・・人の死は、逃れることが出来ないものですが、最後に眼に映るものが自分の好きなものなら、それは幸せなことではないか、と・・・そう思ったものですから」


 博は、彼女の身体をそっと抱き寄せた。

 死と隣り合わせの仕事をする彼女に、今 何が言えるのだろう。

 いつものように穏やかに微笑むその唇に、そっと静かに自分の唇を重ねる。

 この腕の中の存在が、いつまでもここにあるようにと願いながら。



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