取り返せない過去を数えて 〜Web作家、鋼鉄の心得〜
もう、3ヶ月くらい前になるでしょうか。
とあるエッセイを開いて興味を持った私は、後からそのエッセイをじっくり読もうと考え、取りあえずブックマークをタッチしました。
しかし、そのエッセイはブックマーク出来ず、どうやらそのエッセイの作者に私がブロックされていることを知るのです。
その作者とは直接絡んだことはなく、その作者が評価している作品を批判したこともなかったのですが、私が過去に書いたエッセイにその作者が★1を入れて以降、私はブロックされていたことになっていました。
『小説家になろう』サイトに来て4年近くになろうとしている私ですが、かつてエッセイに書いていた様に、サイトに来たばかりの頃は結構失礼な振る舞いをしていました。
批判的な感想もガンガン書いていましたし、サイトの仕組みやWeb小説のルールを知らない物言いや書き方を続ける中、感想交流から相互ユーザーが増え始めてようやく気取りのようなものが抜け、無難な人格になってきたのです。
例のエッセイの作者がブロックを決断したと思われる私の作品は、155作品の中でただ1作だけ、愚痴と不満をぶちまけた短編エッセイ。
このエッセイを書いた背景を知るユーザーからは同情を集め、私の行動を大人げないと感じたユーザーからも、批判というよりは諭しに近い、あたたかい言葉をいただけたのが幸いでした。
ただ、特定こそ出来ないものの個人や団体への攻撃を含む内容は、例えどれだけ自分が傷つけられていたとしても、読んだ人の環境や心情によって不特定多数の人間を傷つける刃物になりかねません。
私をブロックしたユーザーが最初に読んだ私の作品がそれであった場合、私の印象は、ただブチ切れるわがままな作者でしかないのです。
このサイトのシステムでは、ブロックした作者の作品は見えなくなるみたいですし、私をブロックしたユーザーにとって私は一生、ただブチ切れるわがままな作者のまま。
しかしながらこれは仕方のないことであり、むしろこの経験を活かして、近年私の沸点は少し高くなったと自認していますね。
私自身はかねてよりミュートやブロックは使わないたちですが、人には改心や成長の可能性があるということを、自分にだけ適用することに後ろめたさを感じるから。
これがシサマ流、『Web作家、鋼鉄の心得』です。
勿論、鋼鉄でありたくなければ参考にしないで下さい(笑)。
自分が傷つけられた怒りによる個人や団体への攻撃というテーマは、実は創作の世界では普遍的なものでした。
ハイファンタジー全盛期には自分を追放した仲間や王国などを見下すタイトルが多かったですし、異世界恋愛全盛の現在も、婚約破棄の当事者や愚かな貴族を挑発するようなタイトルが多いと感じます。
そしてエッセイでも、自分が傷つけられた、迷惑を被った怒りによる個人や団体への攻撃が結論になった作品が増えていますね。
結局、このテーマは普遍的で数字が取れるため、一度当たると次々に書きたくなってしまうのでしょう。
個人的には、最初の作品が共感出来れば評価しますが、2作目以降は無視します。
書きたい物として選んだのがその題材なのか、ポイントと賛同で注目を浴び続けることが目的になってしまったのか、そこは冷静な分析が必要ですが、その作者の過去の作品に素晴らしいものがあったなら尚更ですね。
創作にはインプットが重要ですが、自分の言葉と価値観が際立つエッセイで、個人や団体への攻撃が増えてきている現実。
それは今の日本で、辛いインプットに耐えなければならない時間が激増したことを物語っているようです。
Web作家の心得として、今や欠かせないものになりつつあるSNS。
書籍化作家の宣伝手段としては勿論ですが、特にTwitterはその性質上爆発的な拡散力がありますので、プロを目指していない趣味人作家の方も、交流や情報ツールとして活用していますよね。
私はかつてエッセイで述べていますが、自分の人間性を考えるとTwitterは出来ません(笑)。
余計すぎる一言で噛みついてしまいそうですし、その日のメンタルで「老害正義マン」から、「やさぐれ世捨て人」まで急変したりしそうだからです。
とは言うものの、親しいユーザーのつぶやきを覗きに行ったことがきっかけで、アカウントを持たない身分ながらしばらくTwitterを眺めていた時期がありました。
そこでとても貴重な経験を積めたことに、今は感謝していますね。
創作界隈のTwitterが、他の界隈と比べて特に荒れている訳ではありません。
ただ、特にライトノベル系の創作界隈は漫画、アニメ、ゲームなどのサブカルチャーに馴染んでいるユーザーが大半であるため、アイコンに可愛らしいキャラクターを採用している方が多いです。
可愛らしいキャラクターが毒を吐く……というスタンスは、サブカルチャーに馴染んだ人にとってはひとつのテンプレ属性ですが、サブカルチャーから距離を置いているユーザーからは「アニメアイコンの奴はヤバい」なんて言われることもありましたね。
そのギャップを、その瞬間に初めて見たユーザーからは、かつての私の様にひとつの言葉で作家としての価値を決められてしまうかも知れません。
また、書籍化作家には、著書と絵師の宣伝も兼ねて、書籍の表紙キャラクターをアイコンに採用している方が多いと思います。
そのキャラクターの顔の横から、汚い言葉や憎悪を煮詰めたような匂わせが放たれると、気持ちとは裏腹にそのキャラクターや絵師の印象が悪くなってしまう危険性があります。
ですから、そこはプロフェッショナルらしく言葉を選ぶか、毒を吐く時は悪そうなキャラをアイコンにするなどしていただけると、だいぶ印象が和らぐのではないでしょうか。
Web小説の世界では、公募による書籍化に比べて嫉妬や理不尽を呼び込みやすく、書籍化作家が誹謗中傷に対して言葉を荒げる背景には、それなりの正当な理由があるはずです。
ただ、広大なSNSの世界で、誰がどのタイミングで、どんな環境の下でつぶやきを見てしまうかは全く想定出来ません。
作家本人の注意とともに、つぶやきに嫌な感情を持ったユーザーも発言を遡って人となりを知るなど、たかがSNSであっても単なる消費物にはしない意識が必要でしょうね。
私がこんなことをいう背景には、つぶやきがいちいちイラッとくる作家と、共感出来るつぶやきが多い作家をそれぞれ、3ヶ月分くらいの発言をまとめ読みした経験があります。
アカウントなしの野次馬、課金なしのユーザーには色々と不便になった今のTwitterでは出来ないことです(笑)。
そして確信したことは、100%反感しかないユーザーなんて存在しないということと、100%共感出来るユーザーも存在しないということ。
殆どのユーザーが創作者であるため、身体に流れる血には必ず共感出来る部分があり、しかしながらそのプライドから、譲れない価値観が強固であることも確かでした。
共感していたユーザーが自分と相容れない思想の持ち主だったとしても、 「一気に嫌いになった」みたいな発言をするのは、自分がネットの世界でしか生きられないことを認めるような愚行だと思いますね。
……尚、私は創作界隈のTwitterに参加しないことに一種の優越感というか、多少の上から目線があったことを白状します。
しかしながら、参加しなくてもいちいち発言を見に行ってイラッとしたりすること自体が十分愚かなことですので(笑)、この世界では極少数派でしょうが、マスク氏のTwitter改悪に感謝しています。
Twitterの発言に文句をいう権利を失うことで、自分の立場もよりニッチに……いや、より仙人に近づいたといえるでしょう。
嫌なら見ない、嫌がりそうな相手には見せに行かない……その意識を徹底するのも『Web作家、鋼鉄の心得』ですね!