5章-1
翌日から、本当にネヒトさんは学園に来なくなった。
あたしは案内をする研究員さんがいなくなってしまったので、カノン先生から自由行動を命じられていた。
うーん、どこに行けば疑われずに済むかなあ。
相手が魔物のことになると見境なくなっちゃうネヒトさんだったから、バレなかったのかもしれない。理詰めで証拠を出すいわゆる普通の研究員さんに見つかったらあたしが魔女だって容易にバレちゃうのかも。
それは、大変に困る。
ほとんどの研究員さんは学園と寮に絞って調査をしているみたいなので、あたしは結局また庭に出てぶらぶらと歩いていた。
あたしの魔力はどこまで広がってるのかなあ。こうして庭に出ることで王立古代語魔法学園全体に広がってるんだろうか。それとも、もっと遠くまで広がっているんだろうか。
ルキスのお家のほうまで広がってたら、魔物の被害が出てるかもしれない。それは、申し訳がない。
ネヒトさんも魔物の研究をするなら、人間と魔物が共存できる方法を研究してくれればいいのになあ。退治する方法ばかり考えているみたいだから、あたしとしては容認できないわけで。
でも、こんなこと、人には絶対に言えない。
「はぁぁぁぁぁぁぁ」
大きなため息をついていると、どこからか声がした。
「おや、お嬢さん、困り事かい?」
あたしはきょろきょろと周囲を見渡す。
「ここだよ、私はここにいる」
「そんなところで会話をしていないで、お戻りください、トールさま」
まだ若い男の人の声が、二人。それも上のほうから。
あたしは上を見上げた。木の上。きらっきらの美少年が一人、へっぴり腰で木の枝に捕まっている。蜂蜜色の髪はくるりと少しカールがかかっていて、青空のように澄んだ青の瞳はぱっちりと大きい。睫毛も長く、瞬きをすると音がしそうだ。紅色の唇は弧を描いて魅惑的な笑みを浮かべている。
ぎゃー。何事ー!?
「セツナ、可愛らしい乙女がため息をついているのに戻れると思うのかい?」
いや、そもそも、あなた、動けないんじゃないですか。
枝にしがみついた美少年は、微妙な位置にいた。このあたりは石壁一枚隔てた向こうが王立精霊魔法学園の敷地だ。その精霊魔法学園の敷地から伸びた木の枝の先にしがみついているのだ。
アルフェさまから古代語魔法学園と精霊魔法学園の仲がよくないと聞いてから、あたしはできるだけ、精霊魔法学園とは距離を取ろうとしていた。そもそも精霊騎士嫌いだし。それが向こうからやってきた形になる。それもバラの花を背中にしょっているような美少年。あたしだって乙女だ、美少年を見るのは目の保養になるし、すごいなあと思うけど、この状況はまずいんじゃないか。
「あの」
「なんだい、乙女よ」
「精霊魔法学園に戻ったほうがよいのではないですか」
「君もセツナと同じことを言うのかい? 壁に隔たれていた二人が出会った運命を感じることはしないのかい?」
そういうのは遠慮してます。
とは言え、それをはっきり言うのは申し訳なかったので、話題を変えることにする。
「あの、どうしてそんな状況に?」
「ああ、実はね、そこに可愛らしい子猫がいるんだよ」
見ると美少年から少し離れた先にやはり降りられなくなったとみられる子猫が震えていた。美少年を威嚇しつつ逃げようとして、逃げられない黒の子猫。あれは可哀想だ。
「あの猫を助けてあげようと思ってね」
「じゃあ、私が助けますから、それでお戻りいただけますか」
「おお、乙女が助けてくれるのかい? だが、その姿で木を登るのは……」
「――あたしの姫さまのために」
これくらいならお手の物だ。あたしは慣れ親しんだ呪文を唱えると右腕をぐいーんと巨大化させた。
「怖くないからね」
右手で黒猫をつまみ上げて、地面におろしてあげる。黒猫はやっぱり怖かったんだろう、走ってどこかへ消えてしまった。
あたしは右腕を元に戻す。あーあ、また制服破いちゃった。
「猫は助けました。あの」
「……君は」
美少年は目をきらきらさせてあたしを見ている。
「素晴らしい! 古代語魔法とはそのようなことも可能なのかい!? 精霊魔法とは大違いではないか!」
「トールさま、お待ちください」
「あの、ちょっと待ってください」
精霊魔法学園にいるらしい男性とあたしの声は同時に響いた。
いや、だって、精霊魔法学園の人が古代語魔法を褒めたらまずいでしょう。立場とか大丈夫なのかな。
「トールさま、古代語魔法は野蛮なる魔法です。滅亡の魔女が残した汚れた遺産。それを褒めるとはいささか問題があります」
でも、こう言われるとカチンとくるなー。
「だが、セツナよ、お前は見ていなかったからわからぬと思うが、あのようなことは精霊魔法ではできぬぞ。古代語魔法とは底知れぬ可能性を持っているのかもしれぬ」
「あの、それより、枝、折れませんか」
そろそろ、美少年の乗っている枝がみしみししてきたんだけど。
「おお、そうだな。ありがとう、乙女よ。最後に名を聞いてもよろしいか。私はトール。トール・サイレアと言う」
「メイルディ・ラザです」
サイレア? サイレアっていったらこの国の名前じゃない。どういうこと……?
「娘、礼儀がなっていないぞ。この方こそ、サイレア国の第三王子、トール・サイレア様である」
壁の向こうの男性が声を上げる。
ええっ!? 王子さまぁ!? 枝に乗ってふるふるしている、この方が!?
「す、すみません、あの、下ろしましょうか」
「古代語魔法の力は借りぬ!」
壁の向こうの男性はぷんぷんに怒っているらしい。たぶん、王子さまの侍従かなんかなんだろうなあ。
「セツナ、そういう言い方はないだろう。だが、メイルディ、心配は無用だ。セツナはこれでも、精霊魔法の腕には長けているのでな」
「風よ!」
セツナさんと言うらしい、侍従さんが声を上げる。木の葉を揺らして、風が舞い上がった。その風がトールさまをふわりと持ち上げる。
「では、メイルディ、近いうちに会おう。お前は大変、私好みだ」
トールさまは最後に爆弾発言をして、壁の向こうに消えた。
●
「その王子、趣味悪いな」
夕方、研究員さんたちが帰った後、みんなにきらっきらの王子さまの話をしたら、開口一番ルキスが言った。
「私のメイのよさを理解していただいたことは好感が持てます。とは言え、メイは私の侍女ですが」
アルフェさまもなんだかトールさまに張り合っている。
「でも、メイ、本当に近いうちにその王子に会うかもしれないよ」
ディルくんが言った。
「こっちがこんな混乱した状況なのを視察しに、精霊魔法学園の人間や研究所の人間が来るんだって」
「え、ディルくん、それは本当なの?」
不安げな声でレイファさんがディルくんに聞く。ディルくんは頷いた。
「俺が案内してた研究員が渋い顔で言ってた。どうせ嘲笑いに来るんだろうって」
「……それは」
レイファさんはうつむいた。手を握りしめる。
「ええ、嘲笑いに来るんでしょう。魔力に翻弄されてる私たちのことを」
「そうに違いないわ。精霊魔法使いってそういう人たちですもの」
アルフェさまもいつになく攻撃的だ。ルキスは面倒そうに言う。
「まあ、それは構わねえんだけどさ、もうこっちの調査もいいんじゃねぇ? 魔力が増えたところで、困るのは魔物のことだけだ。さすがにまだ、街までは魔力が漏れてるとは思えねえしなあ」
「俺も早く剣の訓練したいなあ」
ディルくんもルキスに同調する。と、アルフェさまが首を振った。
「駄目よ。原因がわからなければ、古代語魔法の人間は自分たちの魔力の源もわからないのか、と精霊魔法使いたちに馬鹿にされるだけだわ」
「ええ。精霊魔法使いたちに付け入る隙を与えるわけにはいきません」
レイファさんも大きく頷く。
え、じゃあ、あたしが魔女だって隠してるってことは、精霊魔法使いたちにいいように使われるってことか。
あああ、でも、とてもあたしが魔力を上げてますなんて言えないよ。
あたしがもんもんと頭を抱えて悩んでると右からアルフェさまが、左からルキスが顔を寄せてきた。
「ねえ、メイ。やはりこの原因を一刻も早く解決して、精霊魔法使いの方々に目に物見せるべきですわよね?」
「なあ、メイ。こんな魔力のことでぐちぐち言ってねえで、さっさと授業に戻るべきだよな?」
「え」
あたしが二人を見ると、アルフェさまとルキスは顔を見合わせて睨み合った。
「メイは私の侍女ですわ」
「メイはクラスメイトだぞ」
で、二人で火花をちらし合う。なんだ、なんだ。
「ふふ、二人とも、メイちゃんが好みなんていう男性が現れたから気が気でないのね」
レイファさんがころころと笑った。そういう意味じゃないと思うんだけどなあ……。
とにかく、あたしたち五人の意見も割れたままだった。
●
ディルくんの言葉は数日後、現実となった。
「今日は皆さんと話したいと精霊魔法学園の生徒会の方々が来ています。研究員の方々にも精霊魔法研究員の方がお話するそうですので、今日は研究員の方をご案内する必要はありません」
カノン先生もどこか憂鬱な表情で言った。
「ただ、三年生と二年生は本日学外実習なので、皆さんが生徒会の方に対応していただくことになります。くれぐれも粗相のないよう努めてください」
「待ってください、カノン先生」
アルフェさまが焦ったように立ち上がった。
「どうしましたか、アルフェリーナさん」
「私は嫌です。無理です。席を外してもよろしいですか」
「あの……私も、すでに胃痛が……」
レイファさんもお腹を押さえている。顔が真っ青だ。
カノン先生は困ったように言った。
「ですが、向こうが礼儀を尽くして会いに来ている以上、こちらも対応しなければなりません。少しだけ我慢してください」
「うぅ……」
レイファさんはもう泣きそうだ。アルフェさまも下唇を噛んで何も言えないでいる。
「大丈夫だよ、レイファさんは俺が守るから」
ディルくんがレイファさんの背中をさする。私もアルフェさまに言った。
「なにかあれば、お守りいたします。あたしは、アルフェさまの侍女ですから」
「ありがとう、メイ。でもね。私はメイが傷つくのも見ていられないわ。生徒会に帰ってもらえるよう、伝えていただくことはできませんか」
「それが、もう談話室にお通ししてあるんです。ここで帰っていただくわけには……」
カノン先生もたぶん、精霊魔法使いのことは苦手なんだろう。アルフェさまの気持ちはわかると言わんばかりだ。
「そうですか、わかりました」
アルフェさまは一度俯いてから立ち上がった。
「売られた喧嘩を買わないわけにはいきませんね。そうでしょう、ルキス?」
「大げさだとは思うけど、まあ、その論は俺も賛成だ。まぁ、なんだ」
ルキスはにやりと笑った。
「俺は腕っぷしだけじゃねえんだ。舌戦も得意だって見せつけてやるよ」
「喧嘩は控えてくださいね、ルキスさん」
カノン先生が頭を押さえる。
かくて、私たちは談話室まで移動した。レイファさんのことはディルくんがしっかりと支えている。談話室と言っても、最上階のあのがらんとした談話室だったところではない。今も上級生と話したり、お茶を飲んだりするこぢんまりとした部屋が寮のほうにあるのだ。
渡り廊下を通って、寮へ戻り、私たちは互いの身なりをチェックしてから談話室の戸をノックする。
「まあ、随分と遅いお出ましですのね。わたくし、喉が渇いて死にそうですわ」
ツンケンした女性の声がする。なるほど、精霊魔法使いというのは性格が悪そうだ。私たちは戸を開けた。