3章-2
●
異変はあたしが魔女に目覚めた翌日からじわじわと起こっていたのかもしれない。
古の魔女は古代語魔法の力である魔力の源だ。
そのあたしが目覚めたってことは、魔力が戻っていくということで。
「おい」
決定的な変化を指摘したのは、実技授業中のルキスだった。
「メイの魔力が伸びたのはわかった。でも、俺たちの魔力も増幅していないか」
今は宝石の中に炎の魔力だけ詰める実技授業をやっていた。なんでもいいから魔力を込めるあのテストから比べたら、かなり難しいはずだった。
カノン先生も皆の出来に唖然としている。
アルフェさまはいい。アルフェさまはなんでもできるもの。
あたしも魔女だから、このくらいは朝飯前のこと。
でも、ルキスやディルくん、レイファさんは苦戦するはずだったのだ。それが、苦もなくすんなりと魔力は宝石に収まった。ルキスの炎の魔力なんて純粋な魔力で、見ているだけでも綺麗だ。
「うん、俺も思った。これ、こんなに簡単な魔法じゃないよね?」
「私やメイちゃんはできないと思ってました。それが……」
ディルくんとレイファさんも困惑げだ。カノン先生はコホンと咳払いをする。
「実は、2年、3年の実技でも似たようなことが起きています。不安がるといけないと思い、生徒には内緒にしておりましたが……あきらかに魔力自体が増幅しています」
「原因はなんでしょうか」
アルフェさまが落ち着いた声音で問い返す。カノン先生は首を振った。
「調査中です。魔力の増幅がこの王都だけでなく、市街まで流れ出ると、魔物の増強にもつながるため、慎重な調査が必要です」
ルキスが唇を噛み締めた。そう言えば、畑が兎型の魔物に荒らされたって言ってたっけ。畑が荒らされるだけならいい。森を通ってくる隣国の人が魔物に襲われたりもしているのだ。魔物の強さが変われば、危険度も増す。
ただ、魔女として言わせてもらえれば、魔物も生きている。それに動物よりも数は少ないから、被害だって多くはない。大げさに言われるだけだ。
……あれ? そういえば、魔力で魔物は存在しているけど、精霊力でそういう人に害為す存在っていないんだろうか?
あたしが首を傾げている間に、カノン先生は軽く手を叩いた。
「仕方がありません。原因がわかるまで、実技の授業は中止と致します。魔法騎士の授業ももちろん中止です」
「えー」
「えー!」
ルキスとディルくんが一斉に不満の声を上げた。
「素振りくらいはいいだろう? 剣は一日休むとすぐに腕が落ちるんだ」
「そうだよ。剣に関しては魔力とは関係ないはずだ」
「それは魔法騎士の先生に直談判してください。私の範囲ではありませんので。ただ」
カノン先生は心配そうに言う。
「このことが各所に知られたら、騒ぎになります。下手に魔力が上がったと騒がないように。特にメイルディさん」
「はい!」
「騒がないように。いいですね」
「……はい」
あたしってそんなに信用ないのかなあ。ちょっとしょんぼりしちゃう。
魔力が上がるっていいことづくめだと思ったのに、現実はなかなかうまくいかない。だって魔力が上がったら、精霊魔法使いたちを驚かせることができるのに。
そこで、授業終了の鐘が鳴った。カノン先生はあたしたちを見渡す。
「面白半分に魔力を使ったりしてもいけませんよ。いいですね」
あたしたちは「はい」と返事をする。
「では、授業を終わります。アルフェリーナさん、職員室まで来てください。学年代表として話しておきたいことがあります」
「わかりました。メイ、先に戻っていてください」
「はい、アルフェさま」
カノン先生について、アルフェさまが出ていく。ディルくんはルキスに詰め寄った。
「俺たちも職員室に行って、魔法剣士の授業のこと話してこようよ」
「あー……」
ところが、ルキスはちょっと迷ったように頭を掻いて、それからあたしを見た。
「ちょっとメイと話したいことがある。先行っててくれねえか」
「うん、わかった。レイファさん、ついてきてくれる?」
「ディルくんがいいのなら」
ディルくんとレイファさんは仲良く教室を出ていく。あたしは瞬きをひとつした。
「話したいこと?」
「ああ、ちょっと場所を変えるか」
ルキスはさっさと教室を出ていく。あたしは慌ててルキスの後を追いかけた。
●
ルキスが足を向けたのは、今は使われていない最上階、三階の談話室だった。生徒が多かった頃はここでたくさんの生徒がお茶をしてたんだろう。今は椅子も机も片付けられ、がらんとしていた。
ルキスは部屋を突っ切って、談話室からバルコニーへ出る扉を開ける。扉は軋みながら開いた。爽やかな風が吹き込んでくる。
「わあ……!」
この王立古代語魔法学園は高台に作られている。バルコニーから見ると王都から徐々に広がっていく畑、そして国を囲む森が手に取るように見えた。
「この国の話は習っただろ」
ルキスも目を細め、遠くを見ながら言う。
「うん」
この国、サイレア王国は魔法国家だ。周囲を森と海に囲まれ、あまり隣国との交易はない。王宮は高台にあり、同じ高台に貴族院とそれぞれの魔法研究院、そして魔法学園が建てられている。いかに魔法を重視しているかがそれだけでもわかるというものだ。
確かに、前世のあたしも精霊王も、隣国に魔力や精霊力を送ったりしていない。隣国にも同じような存在がいるのかもしれないけれど、隣国の話も魔法の話もあまり聞かない。魔法はこの国にとって、切り札とも言えるのかもしれない。
「……この国は貴族で魔法を使えなきゃ、地獄みたいなもんでな」
「え」
だから、あたしはルキスの言葉に驚いてしまった。
「身分だから仕方がねえけどよ、農民は魔法を使えなきゃ一生農民だ。夢も希望もねえ。兎型魔物に畑を荒らされても耐えるしかない」
……あたしは物心つく前に、アルフェさまの家の前に捨てられていたと言う。あたしを養子に迎えてくれた厩番の義父は「口減らしのためかなあ」ってあたしを見るたび哀れみをもって言っていた。ただ、あたしが幸せだったのは、アルフェさまと年が近かったから、遊び相手としてルイーズ家の侍女にしてもらえたことだ。読み書きも計算も、あたしは覚えが悪かったけど、アルフェさまと一緒に教えてもらった。
でも、一般の人は。読み書きできない人も多いって聞いたことがある。
「俺は、たまたま魔力があったから運がよかった。学園から支度金ももらえたし、今も家に援助金が送られてる。魔力さまさまだ。だけどなあ」
ルキスは畑のほうを見て、ため息をついた。
「畑の魔物は、精霊騎士は追い払ってくれねえんだよ。一文の得にもならねえからな」
「そんな……」
「魔法騎士は苦労してる奴らが多い。だから手助けしてくれるが、圧倒的に人数が足りねえ。結果、畑は魔物に荒らされる。メイ、わかるか」
ルキスはあたしを見た。あたしはこんな真剣なルキスの顔を初めて見た。
「魔力が増幅すると、魔物が強くなる。畑がもっと荒らされるんだ。畑が荒らされれば、俺たちは食っていけねえ」
「ルキス……」
「アルフェのヘマでお前がおかしくなってから今日まで、変わったことだらけだ。お前、この魔力の増幅にもなにか絡んでるんじゃねえだろうな?」
……すぐには返答できなかった。だって、あたしは古の魔女であり、それは魔力の母、魔力の源ってことになる。
たぶん、この増幅も、あたしを中心に起こってるのは確かだ。でも、あたしにはどうすることもできない。
「……あたし、何もしてないよ」
ルキスに言えるのはこれだけだった。だって、本当に何もしてない。何かできるなら止めてる。そりゃ、精霊魔法使いたちに自慢できる、とは思ったけど、ルキスのこんな話聞いちゃったら、なんとかしなくちゃって思うもん。
「……本当だな? あれ以来、どうも信用ならねえ」
「本当だよ。だって、増幅なんてあたしにできるわけないじゃん」
ルキスの目は鋭くて、あたしは声が思わず震えてしまう。ルキスは野生の勘で詰め寄ってくるから、理詰めのアルフェさまよりも正直、怖い。
あたしが、一歩、ルキスから後ずさったときだった。
「メイ!」
アルフェさまの声がした。驚いて振り返ると、アルフェさまがなりふり構わず、綺麗な髪を乱してこちらへと駆けてくるところだった。ルキスが舌打ちをする。
「アルフェの邪魔が入らないようにここを選んだのに、どうしてわかるんだよ」
「はぁ……はぁ……見たと言う者が、おりましたから……はぁ、はぁ」
アルフェさまは息を乱して、胸を押さえた。大きく息を飲み込むとルキスをにらみつける。
「メイに何をしたんですか」
「何もしてねえよ。あーあ、つまらねえな。アルフェ、どっちの魔力のほうが大きいか競争でもするか。勝ったほうが、メイと話せるとかさ」
「致しません。カノン先生にも厳重に注意を受けたところではありませんか」
「つまらねえな。今ならあそこにある椅子、吹き飛ばすくらい、簡単にできるのによ!」
言うなり、ルキスは談話室の端に重ねられていた椅子を吹き飛ばすように手を振った。
駄目だ、ルキスに魔法を使わせちゃいけない!
あたしは反射的にルキスの魔力の上に魔力をかぶせた。ルキスが放った魔力の上にさらに強い魔力をかぶせることによって、魔力を抑え込む効果がある。
古代語魔法は魔力戦だ。魔力の強いほうが勝つ。だから、今のあたしに敵うものはいない。
ルキスは、自分の魔力が抑え込まれたことに気づいたのか、驚いたようにアルフェさまを見た。
「邪魔するなよな、アルフェ」
「……カノン先生に進言致しますが、どう致しますか」
あ、ルキスは魔力を抑え込んだのはアルフェさまだと思っているんだ。アルフェさまもそれを知ってて――そして抑え込んだのは自分でないことも自覚してて、素知らぬふりして会話しているんだ。
アルフェさまは、気づいている。あたしが、ルキスの力を抑え込んだことを。
「勝手にしろ。メイ、覚えておけよ。俺は、お前を疑ってるからな」
ルキスはそういうと大股で歩いて行ってしまった。
ルキスの後ろ姿を見送って、アルフェさまはぺたり、と座り込む。
「アルフェさま!」
あたしは慌ててアルフェさまに駆け寄り、背を支えた。アルフェさまは胸を押さえ、もう一度深呼吸をされた。
「もう少し体を鍛えねばなりませんね。少し走っただけですのに」
「でも」
「それより、ルキスに何もされていませんか。何か言われていませんか」
アルフェさまをこんなにも心配させてしまった、と思うと申し訳なくて涙が出てくる。あたしは、魔女に目覚めてからアルフェさまに迷惑をかけてばかりだ。
「魔力の増幅の原因はあたしじゃないかって言われました」
「まあ。私がメイに聞きたかったことと同じですのね。聞き方にマナーというものがあることを、彼は知らないのでしょうか」
あたしはしょんぼりとうなだれた。アルフェさまにも疑われてたのかあ。それはなんだか、すごく悲しいなあ。
あたしは、みんなのためになると思ったのに。結果、迷惑をかけることしかしていない。
「あたし……」
涙がこぼれた。ぽたぽたと埃っぽい床に水滴が落ちる。
「あたし、みんなのお役に立ちたいだけなのに、迷惑かけたり疑われたりして……」
「メイ……」
「誰も笑顔にできないなんて、嫌です。侍女失格じゃないですか」
強引に目をこすると、アルフェさまはあたしを優しく抱きしめてくれた。
「メイのその気持ちは、よくわかっておりますよ。ただ、……カノン先生にも確認しておいてほしいと言われましたもので」
アルフェさまは申し訳なさそうに言う。
「数日後から、王立古代語魔法研究院の方々が学園に視察に来るそうです。メイのことは申しませんが、十分注意して行動してください。いいですね?」
あたしは頷いた。確かに疑われる可能性は高い。
こんな面倒な力なら、目覚めなければよかった。もう、誰かの役に立とうとか考えるのはやめよう。たとえ――アルフェさまであっても。
あたしは止まらない涙を拭いながらそう思ったのだった。