74.この胸のときめきを
「クララ様、お元気で」
名残惜しいが、ここでモタモタして誰かに見られては本末転倒。
リーベンス塔から少し離れた場所に用意された馬車を前に、クララは私の手を握って言った。
「何から何までありがとう。……あの、落ち着いたら、ちゃんといただいたお金は返すわね」
「いや、それはいいから! 一人暮らしは大変なんだから、そこは気にしないで! それより、お願いしたいことがあるの」
私の言葉に、クララが首を傾げた。
「何かしら?」
「あの……、たまにでいいから、時々、お手紙をいただきたいの。住所はデズモンド家で大丈夫だけど、私宛だと問題が起きるかもしれないから、宛名は……、その、ハイジ、と……」
「ハイジ?」
クララは不思議そうに目を瞬かせた。
「南方の名前かしら? ……ええ、もちろん、かまわないけれど」
「ほんと!? ありがとう!」
やったー!
クララとハイジの文通だよ!
ハイジは偽物だけど、クララは本物だよー!
ぐふぐふと喜ぶ私に、クララが小さく笑った。
「マリア様は……、変わっていらっしゃるわね」
おおぅ。
王子様のみならず、クララにまで変人扱いされてしまうとは……。
「いいえ、その、悪い意味で言ったのではないの。わたくしは……」
クララは少し逡巡し、そして意を決したように私を見た。
「マリア様、これを……」
クララは耳元に手をやり、黒い石がはめこまれたピアスを外した。
そのピアスの針に、人差し指をつぷりと突き刺す。
「え」
驚いて見ていると、クララは人差し指にぷくりと盛り上がった血を、ピアスの黒い石の上に一滴、垂らした。
すると黒い石は砕け散り、代わりに黒い靄のようなものが生まれた。
それはだんだんと小さく形を変えていき、最終的には丸めて封蝋のほどこされた書状のようなものへと変化した。
「えええ……?」
何だこの魔術。こんなの初めて見る。
「型変えの魔術か……?」
王子様が小さくつぶやいたけど、いやいや、型変えって、大きさや形を変えることはできるけど、紙を石に変えるとか、材質変化までは無理でしょうが。
私と王子様、二人からまじまじと見られ、クララは困ったような表情になった。
「型変えの魔術を、ちょっと改変してあるの。痕跡をたどれないように、わたくしの血で封印して……」
クララの言葉に、私はアメデオとお兄様の会話を思い出した。
あの二人が、「痕跡をたどれない」と悔しそうにしていた闇の種子。
そうかー、クララ渾身の魔術だったんだな、あれは。
「クララ様、すごいですね!」
私は心の底から感心して言った。
「その魔術、闇の種子にも使ってましたよね? お兄様と塔の魔術師も褒めてましたよ! どーしても痕跡をたどれないって、すごく悔しそうでした!」
「え……、あ、ありがとう」
クララは戸惑いながらも、嬉しそうに微笑んだ。
後ろで王子様が「闇の種子!?」と驚愕していたが、そこはスルーで。
クララが私の耳元に口を寄せ、小さな声で告げた。
「……これは、ゼーゼマン侯爵が隣国と交わした密約の書状よ」
「えっ!?」
私の手に書状を握らせ、クララが言った。
「封印が解けたから、遠からずゼーゼマン侯爵は、本物の書状が持ち出されたことに気づくでしょう。これをどうするか、あなたに任せるわ」
いや、そんな重大事、私に任されても。
「……本当は、これを持ったまま死んでしまおうと思ったの。あの男に、一矢報いてやりたかったから。……でも、生き延びる可能性があるなら、わたくしが持っていてもしかたないわ。また誰かに利用されるだけだもの」
「いやいやいや、私に渡したら、私に利用されますって」
慌てる私に、クララは艶やかな笑みを浮かべて言った。
「……あなたになら、利用されてもいいわ」
うお!
なんか胸がきゅんきゅんするんですが!




