31.王子様のお戯れ
お兄様は顔をしかめ、王子様に軽く礼をした。
「殿下おんみずからお出迎えいただくとは、恐縮です」
「そう嫌な顔をしないでくれ」
ははは、と王子様は爽やかに笑った。
お兄様のしかめっ面にも動じないとは、この王子様、神殿でも思ったが、なかなかの強者ではなかろうか。
「レイフォールドは王宮に来ても騎士団に詰めっきりでなかなか会えないし、それに前回、聖女どのとはろくに話もできなかったしね」
にこっと笑いかけられ、心臓が止まりかけた。
「……も、もったいないお言葉、恐悦至極に存じます」
ちょっと噛んだが、許容範囲。私にしては上出来だ。
頭を下げたまま、ふう、と思わず息を吐くと、ひょいと王子様に顔をのぞき込まれた。
「君はとても可愛らしいね。レイフォールドの妹とは思えないな」
あまりに間近に王子様の顔があり、私は悲鳴を上げるのを必死にこらえた。
「こちらは弟君かな? 顔立ちは聖女どのに似ているね」
ミルも王子様に近寄られ、私と同じように硬直している。
「……殿下」
固まる私達二人を、お兄様がさっとその背に庇ってくれた。
「お戯れはほどほどになさって下さい」
「ごめんごめん、レイフォールドを怒らせるつもりはなかったんだけど」
王子様はにこにこ笑いながら言った。
「それに今回は、聖女どのを丁重に出迎えよ、と王からのご命令もいただいているし。僕の独断ではないからね」
「……過分なご配慮、いたみいります。では我らは、これから祝賀会に出席せねばなりませんので、これで」
「ああ、それから」
あからさまに迷惑そうなお兄様の態度にもめげず、王子様は続けて言った。
「聖女どののエスコートは、僕がさせていただくことになった」
「は!?」
声を上げたのは、私ではなく、ラス兄様だった。
「何をバカな……」
ラス兄様、王子様にバカとか言って大丈夫なんかい。
だが私も、気持ちはお兄様と一緒だ。
惨殺エンドの原因である王子様にエスコートされるなんて、恐怖のあまり心臓止まりそう。
ある意味、優しい死亡フラグ。
王子様はくるりと私に向き直り、微笑みながら私の手をとった。
「聖女マリアどの、どうかあなたをお守りする栄誉を、わたしにお与えください」
きらっきらの王子様スマイルに、私は心の中で絶叫した。
ぎぃやああああ!
さ、さすが死亡フラグ!
その後の小説の流れがわかっていても、ついくらっときそうなほど、王子様スマイルはまばゆかった。
ただ、その後ろで雷雲を発生させているお兄様のおかげで、あっという間に現実に引き戻されたけど。
「今日の祝賀会には、ゼーゼマン家もきている。聖女どのをお守りするためは、僕がそばにいたほうがより安全だと思うよ?」
王子様の言葉に、お兄様がチッと舌打ちした。
王子様相手に舌打ちとか! お兄様自由すぎます!
しかし、またゼーゼマン家か……。
王子様の外戚だけど、王子様も王妃様も、なんかゼーゼマン家とは距離を置かれているようだ。
しかし、死亡フラグにエスコートされ、死刑執行人のお兄様にぴたりと背後に張り付かれた状態で、祝賀会に向かうとか。
正直、神の悪意しか感じない。
「……レイフォールドは、普段もああなのかい?」
王子様が私に顔を寄せ、こそっとささやいた。
近い、顔が近すぎる。
私はさりげなく王子様から一歩引いた。
ちらりと後ろを見やると、お兄様が悪鬼のような形相でこっちを睨んでいる。
ひいい!
ちょっと! なんでそんな怒ってるんですか!?
この状況、私のせいじゃありませんよ!
「ずいぶんとレイフォールドの機嫌を損ねてしまったようだ。困ったな」
少しも困っていない様子で、王子様がにこにこと言う。
私は、神殿でも思った疑問を、思い切って王子様にぶつけてみた。
「あの……、失礼をお許し下さい。殿下は、兄と親しくされていらっしゃる……のでしょうか?」
年齢はたしか、王子様のほうがお兄様より二つ上だが、お兄様は飛び級したから、卒業時は同じだったはず。
私とお兄様は入学と卒業が入れ違いだったから、お兄様の学院時代の様子を詳しくは知らないのだが、学生時代からずば抜けた魔力と剣技で有名だったお兄様に、王子様が興味を持ったとしてもおかしくはない。
何より、出生の因縁については、王子様もご存じのはずだし。
「僕は親しくしたいんだけどね、レイフォールドには人を寄せつけないところがあって。騎士の誓いを受けて、少しは仲良くできるかなと期待したんだけど、さっぱりだった」
王子様が肩をすくめて言う。
ああ、それわかるー。
お兄様、基本的に人嫌いというか、人づきあいをめんどくさがってるとこがあるから。
たまに屋敷に来る騎士団の方も、伝令とか仕事がらみがほとんどで、私的にお兄様の友人が遊びにくるとか、私の記憶では一度もない。
「だから、レイフォールドの妹君が聖女に選ばれたと聞いた時、ちょっと楽しみだったんだ」
ふふ、と笑う王子様に、私は首を傾げた。
「あのレイフォールドが、掌中の珠のように大切にしているという姫君に、ぜひ一度会ってみたかったんだよ」
それは大変な誤解です。
……と言いたかったが、下手なことを言って後でお兄様にお説教されるのも困る。
私は引き攣った笑みを浮かべて王子様を見た。
「……兄は、親代わりとなって私とミル……、弟の世話をしてくれましたので」
「ああ」
王子様は表情をあらため、私を見た。
「そのことに関しては、王家にも責がある。公に謝罪はできないが……」
「しなくていいです!」
私は慌てて言った。
王妃様といい、王太子様といい、なんでこの国の王族はほいほい謝罪したがるんだ。
それを受ける人間の身にもなってほしい。
「王族の方からの謝罪とか、あまりに恐れ多いと言いますか、心の負担になると言いますか、とにかくまったく!必要ありませんので、ほんとに気になさらないで下さい」
心の底からそう訴えると、王子様は目を丸くして、しげしげと私を見た。
そして、くすくす笑いだした。
「……なるほど。これは確かに、レイフォールドが隠したがるわけだ」
王子様の言葉が、ぐさっと胸に突き刺さった。
う……。
ラス兄様、私のアホさを隠すべく頑張ってくれてたのに、それを台無しにしてしまってすんません!
あああ、後でお説教されるのかなあ……。
ちらりと振り返ると、仏頂面のお兄様と目があった。
ごめんねごめんね、と視線で訴えていると、
「そんなにレイフォールドばかり、気にしないで」
王子様にぐっと腰を引き寄せられ、私はあやうく悲鳴を飲み込んだ。
「ぅおっ、王太子、殿下」
「エストリール」
王子様の顔が近い。そしてまぶしい。
「僕の名前は、エストリールだよ」
「はっ、存じております」
顔は知らなかったけど、さすがに自国の王太子の名前くらいは知ってます、と私は胸を張った。
いや、国民としては常識中の常識で、威張れるようなことじゃないんだけど。
すると、なぜか王子様はプッと吹き出し、楽しげに笑いだした。
「……ああ、君が聖女でなければ良かったのに。愛らしい姫君、このまま君をさらって、僕のものにしてしまいたいよ」
「殿下!」
血相を変えたお兄様が、王子様の腕をつかむ。
「それ以上のお戯れは、殿下といえど見過ごせませぬ」
「あー、すまない」
王子様は笑いながら、私から手を放した。
「マリア、大丈夫か」
「ラス兄様……」
正直言って、大丈夫ではないかもしれない。
こうも死亡フラグにガンガン来られると、やっぱり不安になる。
私は、あの血まみれ惨殺エンドから、本当に逃れられるのだろうか。
死亡フラグと死刑執行人を両脇に従え、癒しのミルははるか後方に逃げてしまっている状態で、私は祝賀会が開かれている王宮の大広間に到着したのだった。




