1.怖くて強くて、やっぱり怖いお兄様
私には前世の記憶がある。
といっても、あまりにあやふやな記憶で、正直まったく役に立たない。
たぶん前世でも、私は頭が悪かったんだろうな……。
現在進行形で、バカだのクズだの、罵られてるしね!
「おまえはバカか」
うなだれる私に、氷のような声が突き刺さる。
あー、今日もお兄様に叱られてます!
家庭教師も、「またか」みたいな顔して、脇に置いてあったスツールに腰掛けるし!
ラス兄様の説教、長いからね。
立って待ってたくない気持ち、わかるよ。
でも、仮にもか弱い婦女子が、死神と悪魔をミックスしたみたいな悪役にいじめられてんのに、そんな自然にスルーするのはどうかと思うよ!?
先生、女の子にモテたいって言ってたけど、そういう態度が女の子にモテない原因じゃないかな!?
私が現実逃避気味にそんなことを考えていると、
「わたしの話をちゃんと聞いているのか? マリア」
ドスの聞いた声が耳の横で聞こえ、私は飛びあがった。
「あっ、ああ、もちろんもちろんです! めちゃくちゃ聞いてます、ラス兄様!」
横を向くと、息がかかるほど間近に、お兄様の顔があった。
ひいい!
泣く子も黙る……というか、笑ってる子も泣き叫ぶような、冷え冷えとした空気を身にまとった死神がそこにいた。
レイフォールド・ラスカル・デズモンド伯爵。
背の半ばまで伸ばされた艶やかな黒髪、切れ長の黒い瞳。すっと通った鼻筋に、酷薄そうな薄い唇。
その退廃的な美貌と傲慢な態度、珍しい闇属性の魔術を使えることもあいまって、”闇の伯爵”と揶揄されている。
でも、ミドルネームがラスカルなんだよねー。ぷぷぷ。
前世の記憶が異世界なため、この笑いを共有できないのがツラい。
どんなにお兄様に怒られ、氷のような視線に凹んでも、「でも名前ラスカルじゃん」と思えば、何とか乗り切れるものだ。
だってラスカルだよー? なんでも水で洗っちゃう、キュートなあいつと同じ名前なんだよー?
「……きさま、なにを笑っている? 氷漬けにされたいのか?」
ついニヤニヤしてしまった私は、氷点下のラス兄様の声に、はっと我に返った。
ラス兄様は、闇だけでなく、氷属性の魔術もとっても得意だ。
その気になれば、私なんか一瞬で氷像にできる。
今度こそ私は、土下座せんばかりの勢いでラス兄様に謝ったのであった。