ローレンツ家のひとたち
懐かしい。最近ゲームの終わりによく見る夢だ。メルとの出会い、そして……。
今回はいつもより長かった。大体は兄様の罵倒かビーンズの狂気的な笑いだけが脳に響くだけだ。なのに、なのにこの夢にはメルも出てきた。しかも、メルの、姿、紅い瞳、その柑橘系のシャンプーの匂い。そのすべてが、あまりにも身近に感じた。まるで過去に戻ったかのような錯覚も受けた。
おそらくNABの弊害だろう。記憶の時系列の交錯は未だときどきプレイヤーに現れる。他にも、今現在はNABのサービスがほとんどのプレイヤーに取り付けられた影響で、たまに他人との記憶が混じることもあるらしい。それに比べれば今回はまだマシなほうであった。
僕は夢の最後の、心臓を撫でくり回したおぞましい感覚を思い出し、途端に胸が苦しくなる。NABの実験の時の記憶は今でも思い出したくはない。今ではもはや何回死んだかも分からないが、当時程の嫌悪感は感じない。おそらく、あれから今までの3年の間に生命として大事な感覚の何かが欠落してしまったのだ。
せめてもっと早く夢が途切れてくれればよかった。でも、この後の実験よりももっと最悪の出来事に比べれば、ここで終わったのはまだ幸運だった。
……それにしても、僕は、さっき、大事な誰かを、ゲームで見た気がした。だが、どうしても思い出せない。確かに見たはずなんだ。なのに、記憶の断片は形を保てずに、手の隙間から零れ落ちていく。
そもそも僕は最後にゲームでなんで死んだ?確か、民家の裏口から出たのは憶えているけど、その先が思い出せない。これもNABのせいか?それとも……、思い出すのを拒否しているのか?……どちらにせよ、今の僕には分からないことだ。
僕はローレンツ家の屋敷の一室で目を覚ます。元々は掃除用具入れだったそこは、NABの蘇生カプセルや装置が置かれ、いかにもサイバーに彩られたな小部屋に改装されている。
僕がNABの実験に参加し、データを集積した影響で今では遂にNABのシステムは全世界に普及した。プレイヤーが死ぬたびに何度も他のプレイヤーを養育する必要がなくなる上、家のイメージがゲームで定着しやすいという理由から、よっぽどお金のない上級民に飼われているプレイヤー以外にはNABの装置が取り付けられるようになる。
初期のころは研究所で蘇生のすべてを行っていたが、サービスが普及するにつれて対応できる数にも限界が訪れ、各上級民が所有する屋敷やビルで蘇生を行う必要が生まれた。柳ケ瀬エレクトロニクスはもちろんのこと、世界各国の技術者が共同開発して生まれたのがこのカプセルだ。
この中でクローンの生成から記憶の移植など、蘇生プロセスのすべてをこなすことができる。記憶のデータ自体は柳ケ瀬のデータセンターから引っ張り出すため、プレイヤーが一度に大量に死ぬと、蘇生が遅れることもある。
僕は今回死亡人数の多いゲームの初めに死んだ影響で、ネットワークが重くなり蘇生に時間がかかってしまったようだった。
僕がカプセルの中で目を開け、中の液体が抜けるのを待っていると、小部屋の扉が荒々しく開かれ僕の主人が現れた。
「ハルト!!」
彼女はカプセルに手を乗せると、僕の顔を不安げに見つめた。
深海を思わせる深い青の瞳。それに呼応するかのような鮮やかなスカイブルー色のさらさらのロングヘア。彼女の同い年と比べるとやや低身長であるその体は、走った後のようで肩を上下させていた。
彼女はルイーズ=レティシア=ローレンツ。
ローレンツ家の一人娘で、将来は父の会社を継ぐことが決まっている。僕の兄様の策略でここに運ばれた後、僕は彼女専属のプレイヤーになった。彼女のお父様プレイヤーは欲してはいたものの、彼自身はあまりゲームには興味がないらしく、娘への教育の道具として僕を柳ケ瀬から貰ったらしい。そのため基本的に干渉してくることは無く、精々ローレンツ家の恥にならない程度に頑張ってくれればよいとのことだ。だが、あまりにもゲームで死にすぎると蘇生の費用の問題からお叱りを受けることもあるため、ゲームで気を抜くことなど当然できはしなかった。
しかしそれでも、正直に言って今の僕の境遇は柳ケ瀬と比べて遥かに良い。屋敷の一室は僕の部屋として与えられ、食事もローレンツ家の使用人として働いている上級民と同程度のものは自由に食すことができた。風呂場も使用人が入った後でなら自由に入ることができるし、屋敷内であるならば出入りは自由であった。もちろん、下級民である以上、派手な行動は取ることはできない。首には例の爆弾入りの首輪がつけられ、もし僕が暴走するようなことがあれば容赦なく爆殺される。
ただこの三年間でそんなことは一度もなく、常識と良識、そして僕自身が下級民であるという意識の範囲内で生活していれば何か咎められることもなかった。ゲームは一年中毎日やっている訳ではないため、暇な日は訓練か、ルイーズ様の身の周りのお世話や屋敷内の雑務を担当することになっていた。
「ハルト、痛かったよね、辛かったよね。ごめんね、私も本当はゲームなんかに参加してほしくなんかない。だけど、お父さんが教養を身に着けろって、私の話を全然聞いてくれないから……。ごめんね、ごめんね……」
しかも、僕の主人であるルイーズ様は、大変に優しかった。
そもそもローレンツ家の方々はみな上級民に似合わない程に下等な人への気配りが隅々にまで行きわたっていた。僕を人として扱ってくれるのだ。そもそも屋敷の上級民の大半がゲームに興味がないのだ。このことからも上級民としてローレンツ家の方々が少し異常なことがうかがえる。
ただ、その中でもルイーズ様は異色の存在だった。僕が家に来た時から、僕にとても良くしてくれた。例えば毎晩のように僕の部屋に訪れると、何かしらの労いの言葉をかけて下さる。ときには主従の関係以上のスキンシップをしかけて来ることもあった。他にも僕の部屋にクローゼットや使用人と同じベッド、そしてノートパソコンなどの電子機器も取り揃えられているのも彼女の配慮だ。
どうして彼女がそこまでしてくれるのかは分からない。だけど、僕の心は確実に彼女のおかげで癒えていった。まだメルとの記憶のすべてが過去のものになったわけじゃない。だけど、それでもこのローレンツ家に来て確実に僕は変わった。僕の兄様との契約で、僕の名前が「陽人」からただの「ハルト」になった影響もあり、最近ではこの二人はどこか別人のように思うこともあった。本当の僕はローレンツ家に仕えるハルトなのではないかと。柳ケ瀬の次男の陽人は、おとぎ話だったのではないかと。
だから僕も、ローレンツ家のためにゲームで勝ちたいと本気で望んでいる。それだから今回の序盤での敗北は余計に心苦しかった。僕が不注意だったせいだ。それ以上でもそれ以下でもない。
排液が終わったようでカプセルの扉がゆっくりと開かれる。
すると同時に目の前の小さな体がこちらへ向かって飛んだ。僕がまだ痺れる腕で優しく抱きとめると、彼女はこちらを見上げた。
「よかった……。今回も、ハルトが帰ってきた……」
蒼い瞳が波のように揺らぐ。
「あの、ルイーズお嬢様。僕は最低限の衣服は身に着けていますが、下着です。些か恥ずかしいものがあります。それに、お父様にもし見られるようなことがあれば、僕だけではなくルイーズ様もお叱りを受けるかもしれませんよ?」
「だって、だって……。ハルトがゲームで、し、死んじゃってから。四時間も帰ってこなかったんだよ?今までこんなことなかったから、不安になっちゃって……。それに、ハルトの下着姿なんて、今更でしょ?」
「それは……お嬢様がノックもせずに僕の部屋に入ってくるからです。僕だっていつも誰が入ってきても良いようにできているわけではありませんよ……?」
「ははは……。まあ、ね。それはご愛嬌ということで。初めてハルトが下着だった時はびっくりしたし、こっちも恥ずかしかったんだからね?ハルトだけが嫌な思いしたわけじゃないんだよ?」
「も、申し訳ありません?」
こんな時僕はなんて言えばいいんだ……。
「ふふ。素直なところも、私のお気に入りのポイントだよ?」
ルイーズ様はくすくすと笑うと、僕の胸に顔を預けた。
だが僕にはまず言わなければならないことがあった。ゲーム序盤で死んでしまったことだ。しかも、自分も全力でぶつかって死んだのならまだしも、自分自身の不注意で死んだのだ。
「僕の下着のことより大事なことがあります。まずはこれを謝罪させてください。お嬢様、今回のゲームでは序盤に無様な死にざまをさらしてしまい申し訳ありません……」
「ハルト!そんなこと言わないで!ハルトはいつも頑張りすぎだよ……。だって、いつも上位じゃん……。それに、それに死んじゃう時だって、いつもハルトは何気ない顔でいるけど、辛いのは、ハルトなんだよ?」
「いえいえ。僕はお嬢様のために働けるのならば、多少の死ぐらいなんてことありませんよ」
すると、ふとこの部屋の入口に人影があるのが見えた。どうやら……、里恵のようだった。彼女はローレンツ家に仕える二人目のプレイヤーだ。僕がここにきてちょうど二年目に入ってきた。ローレンツ家の事業が軌道に乗ったことがきっかけで僕の補助のために雇われたのだ。彼女自身は以前にどこかの家でプレイヤーをしていた経験があるらしく、ローレンツ家の待遇の良さに心底驚いていた。そのおかげで、里恵もローレンツ家の名をゲームで勝利して広げたいと考えている仲間だ。
身長的にはルイーズ様より4cm高いだけで、160cm台を抜けてはいない。東洋人らしく黒色の髪はゲームで邪魔にならないように雑にセミロングで整えられ、顔にはバンド付きのメガネをかけている。服装自体もプレイヤーということもあり動きやすいラフな格好だ。ルイーズ様の西洋風の絢爛豪華なドレスに対し、忍者のような恰好は彼女を象徴するイメージの一つでもある。目はやや釣り目で、その黒い瞳孔がまっすぐに僕を捉えると僕は先輩であるにもかかわらず少し委縮してしまう。
「お嬢様の優しさに甘えるんじゃありませんよ。ハルト先輩。あれはハルト先輩のテキトーなクリアリングが招いた事故です。猛省してください。あと、ルイーズお嬢様。その汚らしい獣からお離れ下さい。何をされるか分かったものではありませんよ」
「生まれたばかりだからまだ綺麗だよ……」
今回は僕がミスをしたのもあるが、里恵は僕に対していつも冷たい。直せるところがあるなら教えてくれと何度も言っているのだが「ハルト先輩の低脳な頭脳でもわかるように教えるのは面倒です」と避けられる。きっと僕の性格がどうというより、生理的に無理とかの部類なのだろう。
だから、僕はお互いのために必要以上に彼女に話しかけたりはしないようにしている。もちろんゲームでのアドバイスや、屋敷内での家事の方法などを教えるときは手を抜いたことはない。それは、彼女の面子や生死に関わる大事なことだからだ。
「こーら、里恵?ハルトはゲームで頑張ってきたんだよ?そんなこと言ったら可哀想だよ!里恵にだってゲームで辛い思いさせちゃってるから、申し訳なく思ってる……。だからこそ私が理解できないハルトの気持ちもあると思うし、もっとハルトを尊重してあげて?」
「ルイーズお嬢様。ハルト先輩のことはプレイヤーや執事として、微量、非常に微量ながら尊重しています。しかしながらルイーズ様。それにしてもそのような度を過ぎた密接なスキンシップを注意させて頂くのは必要なことです。……ハルト先輩もなんで半裸でおとなしく抱かれているんですか。抵抗してくださいよ。人として軽く軽蔑します」
依然として離れないルイーズ様の肩を僕は掴み、引き剥がそうとする。だが、彼女は一層の力を加え対抗してきた。
「……ルイーズ様。里恵の言うことは道理的です。些か離れてくださ……え?ちょっ、離れてくださ、えぇ……」
「いーやーだー!」
改造されたこの体で下手に力を加えれば普通の人間の骨くらいならば折れてしまうかもしれない。僕はどうすることもできずにその場で項垂れた。
「……」
ところが、だんだんと里恵の表情も険しくなっている。端的に言って怖い。
「僕もこの格好では風邪をひいてしまいます。ルイーズお嬢様は僕に風邪をひいて欲しいのですか?」
だから僕は少し意地悪な問い方をした。
ルイーズ様はものすごく不満そうに、だが大人しく離れてくれた。
「ルイーズお嬢様。僕は今晩も暇ですから、何かご用件があれば後程お越しください。僕が長い間蘇生しなかったということはそろそろ夕食のお時間ではないでしょうか?食堂へ移動致しましょう」
と、ルイーズ様を部屋の外へ連れ出そうとしたが、里恵の足が僕の前につきだされた。
「ハルト先輩、夕食前に少しお話があります。……何を怪訝そうな顔で見ているのですか。先程のゲームに関わる重要なお話です。なので、お嬢様は別の付き人と御同行なさり、先に食堂へ向かってください」
「あ、もしかしてさっきの……」
ルイーズ様も何か心当たりがあるらしく、その場を素直に去った。
僕は里恵に連れられ、「デスバトルマッチ戦略室」へと来た。ここには僕と里恵がこれまで蓄えてきたゲームでの知識や、過去のゲームの映像、それからこれからのゲームでの戦略が書かれたホワイトボードなどがある。もちろん、他にも細々とした事務用品が取り揃えられていて、これらはルイーズ様が手配してくれた。ゲームについて効率的に語り合える場所があるのは本当にありがたく思う。
「さっそくですけど、ハルト先輩は先のゲームで死ぬ瞬間を覚えていますか?もしくは、誰か身の回りに凄腕のスナイパーはいませんでしたか?」
部屋の中のパイプ椅子に腰かけながら里恵は真剣なまなざしでこちらを見る。僕も近くにあった机に少しもたれながら質問の回答をまとめていく。
「死んだ瞬間のことは……覚えてはいないなぁ。だけど、僕が降下した地点の近くにショットガンにスナイパーライフルで立ち向かおうとしてた人がいたのは覚えている」
「NABのことですから、死の直前の記憶は失うことも珍しくはありません。ハルト先輩がおっしゃるその頭のおかしい人物こそがハルト先輩にヘッドショットをかました犯人です」
「ということはあの戦いを勝ち抜いたのか……その犯人は相当な手練れじゃないか。ショットガンとスナイパーライフルなんて近距離ではどちらが強いかなんてわかりきってる。その人はまだ生き残ってるの?それだけの腕があるなら二日目までは余裕だろう?」
ゲームは通常2日間にわたって行われている。ゲーム開始が午後2時程度だったため、まだゲームは前半部分も終わってはいないはずだ。
「それが……その人物はハルト先輩を射殺した後、その場から動くことなくセーフティーゾーンの縮小で死亡しました。特に怪我をしている様子もなく、周囲に敵がいたわけでもありませんでした」
「え?……なんで?」
僕は予想のしていなかった答えが帰ってきて素っ頓狂な声で返事してしまった。
ゲームのフィールドは最初は半径数キロの円である。その円の内側はセーフティーゾーンと呼ばれ、プレイヤーはこの内側でのみ戦闘をすることを許される。この円の外側に出ようとすれば、予め首に取り付けられた遠隔操作式の爆弾が爆発し、即死する。だからプレイヤーは常にセーフティゾーンの内側にいる必要があるのだ。だが、この円はゲーム開始から一定時間ごとに徐々に縮小する。
そのためプレイヤーはその円の内側への移動を続けながら戦闘を繰り返し、最終的に円が縮小しきる前に勝ち抜けば、ゲームでの勝利となる。ゲームでの勝利に例外は幾つかあるが今回のノーマルマッチでは関係のないことだ。
このセーフティーゾーンの縮小で死ぬ場合は、怪我により移動できなくなったか、円の縁で戦闘がもつれ込み誤って外に出るか、もしくはセーフティーゾーンの縮小までに円内に入れるように移動しなかったかの主な3つに分けられる。
最後の一つは初心者がよくやる過ちだ。……つまりその人物はそのような初歩的なミスで死んだことになる。しかも動こうともしなかったなんて、時間の確認という基礎の基礎すらできていないことになる。
「それが不思議なんです。私はその人物の戦闘を解析していましたが、そんな初歩的な間違いを侵す人物とも思えないのです。何かの理由があるのではないかと映像を確認したのですが、セーフティーゾーンで間抜けに死ぬ人物など、どのドローンカメラも追わなかったものですから理由が不明なんです。そして、ちょうどハルト先輩がヘッドショットされる瞬間も、ハルト先輩側にいたドローンは映像がぶれて解析不能。さらにそのドローンはハルト先輩を貫通した弾丸で破壊され、その後の状況は不明。たまたま残っていた映像も、他の戦闘を撮影しに移動していた一機が、たまたま画角の端に捉えただけのもので……」
「数ピクセル分しか写らなかったと」
「そういうことになります」
「それならどうして、その人物が死ぬまで怪我をしていないってわかったの?」
里恵はすっくと立ち上がると、充電してあったノートパソコンをぱかっと開き、何かのURLをカタカタと打ち込み始めた。僕もそれに合わせて机から離れ、里恵のやや後ろでそれを見守る。
「セーフティゾーン外から来た追加のドローンがほんの一瞬。数フレームの瞬間だけ、その人物の鮮明な映像を捉えたのですが、すぐに別の映像に切り替わりました。その一瞬のフレームを見た限り、特に怪我は無いように思われました。さらに言えば、涙を流していたようにも見えました。……その映像をダウンロードしようとしたのですが、何者かの圧力でその映像は消されていました。おそらくその人物を飼っている大元の上級民にとって都合が悪いため消させたものと思われます」
里恵は複雑な表情で<NOT FOUND 404>と書かれた卓上のノートPCを見つめている。その周りには幾つかの光学ディスクと、USBメモリが転がっていることから相当な数のデータをあさったことが伺える。情報に関しては里恵に敵う人間はこの屋敷にはいない。
「で、そこでその人物の涙の理由と、なぜ動かなかったのかの理由が知りたかったのですが……。ハルト先輩の残念な頭が憶えていなかったようなので無駄でした」
「ごめんなさい」
「うーん……。謎です。特にハルト先輩が催涙弾や神経ガスを投げたということもなく、その人物が止まる理由が見当たらないです。ハルト先輩は、このような状況に心当たりはありますか?」
「いや、今まで一度もないかな」
「ハルト先輩のポンコツデータベースをあてにした私が馬鹿でした。……ハルト先輩も知らないとなると、おそらくトップランカーのほとんどの方はご存じないのだろうと予測されます。しかし、この現象に対して私たちは何らかの対策をしないといけないのですが……」
戦場で死ぬ理由を分析して、できるだけ戦闘以外での死亡事由を減らす努力は必要だ。里恵は特にその辺の根詰めをしっかりとするタイプだった。多分その努力があってこそ、前の家で評価されるほどには成績をあげられたのだろう。
「ともかく、以後同一の現象に遭遇しないように警戒する……しかできないね」
だが、理由もわからないことに結論を出すことはできない。とりあえず警戒するしか対策はないだろう。
「そうですね。戦場でいきなり行動不能になるなんて、怖すぎます。フィールドの仕掛けなら事前に実行委員会から通知がありますから、きっと委員会も知らないなにかの副作用だったりするのでしょうか」
「ともかく、ここで考えていても仕方がない。明後日もゲームがあるからそこで実際に見て確かめるしかない」
「ハルト先輩と一緒にフィールドに出るのは久々です。ハルト先輩が私の足を引っ張らないか心配です」
「久々のダブルエントリー方式だしね。僕も協調性とか失ってそうで怖いよ」
ゲームには一人で戦うシングルエントリー式と二人で人チームとして戦うダブルエントリー方式がある。他にも色々な人数のものがあるが、今最もメジャーなものはこの二つだ。
ダブルエントリー方式は一年前から流行り始めたため歴史が浅い。実際、里恵がここに来たのはこのダブルエントリー方式に対応するために雇われたという点も強い。まだ正式なルールも細かいところは定まっておらず、シングルに比べると大分ルーズであり、形式にとらわれない破天荒なバトルが売りになっている。
フィールドもシングルのものを流用するため、その多くがシングルの後に開催される。もっとも、ダブルにもシングルのプレイヤーが出ることも多いため、シングルで長く生き残ると後日のダブルでは成績をあげられないこともある。
そのことから初心者にとっては比較的勝利しやすいゲーム方式となっている。
僕らも明後日にこれを控えている。僕は今回の成績が悪かったため、次で挽回する必要があるだろう。
「ハルト先輩が予想外にもこんなに早くやられてしまったので、明日は一緒に訓練ができそうですね」
里恵は不思議と嫌そうな顔はしていなかった。
ゲームに関しては里恵は僕のことを少なからず先輩として見てくれていることもある。僕ももっと先輩として頑張らないと。
「はは……それを言われると痛いね。だけど、明日の訓練では手を抜かないから。里恵こそ早めに音をあげないでくれよ?」
「私が先輩よりも先に負けるなんて……。屈辱ですが、私が先輩に勝てたのはほんの数回なのは認めます。ですが、明日は絶対に勝ちます。トップランカー『鋼の散弾使い』の名を奪い去って見せましょう」
「いやいや、里恵の得意武器はダガー系と、トラップとパソコン系の技能だろ?あまり射撃のほうは得意じゃないだろ。僕の散弾使いの名は奪えないと思うよ?付くなら『デジタルアサシン』とかじゃないかな」
……そう、何を隠そう僕と里恵の戦闘面での相性も最悪であった。僕は近接系の武器が得意で、里恵のほうは超近接しか扱えないのだ。トラップ系は遠距離といえなくもないが、実際にその場に仕掛けないと意味がない。トラップを設置する前に敵を発見した時点で負けなのだ。パソコン系の技能といっても、フィールドで必要な機会は少なく、活躍できる場面が少ないのも事実だ。……その見た目に反しないで本当に忍者のようなことをするのだ。
「パソコン系の技能って……。まとめないでくださいよ。相手をハッキングするのだって、ポートの解析から始まって、相手のOSを把握し、脆弱性をついて侵入してバレないようにバックドアを仕掛けるまで全部違う知識が必要なんですよ?アナログ人間のハルト先輩には分からないかもしれませんが。それに何ですか『デジタルアサシン』って。ダサいです。引きます」
「悪かったよ頭もネーミングセンスもアナログで」
里恵はゴミでも見るかのような目で僕を見る。やめて、心にくる。僕だってその辺に疎いのは知ってる。一応事務作業に困らない程度には扱えるが少し専門的なことになるとさっぱりだ。それにネーミングセンスがないのも……。
ともかく、僕と里恵はあまりにも相性が悪い。中~遠距離を全くカバーできないのだ。さらに言えば僕が比較的得意なショットガンは武器の性質上貫通力がなく、少しでもアーマーを着られると極至近距離か、特殊な弾でしか打ち抜くことができない。相手を殺すには頭を正確に狙うエイム力が必要になる。やはりアーマーを着た相手にはライフル系の武器を使える人材が必要なのだ。それが苦手な僕らは相当に手の込んだ作戦を立てなければ勝つことは難しい。
……それに、正直な話ゲームのフィールドが時間によって変わるため、トラップ系の武器との相性が非常に悪い。せめてなにか銃器系の武器を扱えるようになって欲しいとは思う。それは里恵も把握しているようで、最近の訓練のメニューの大体はライフル系の武器を扱う練習になる。
「里恵、明日は少しライフル系の武器を扱える練習をしよう。僕も一緒に頑張るから」
「うーん、確かにそうですね。ハルト先輩に勝てる可能性がまだありますし。私が先にライフルをマスターすればハルト先輩に負い目を感じさせることができます」
「いや、まあ、うん。それでモチベーションが上がるなら、それでもいいんじゃない?」
「何ですかその投げやりな態度。先輩だってスナイパーライフルのエイム力はクソ雑魚じゃないですか。先輩も努力してください」
「わかってるよ……」
里恵はメガネをくいとあげると、ノートパソコンを閉じ、立ち上がり伸びをした。
「それじゃ、今日はもう遅いですし、ここまでにしておきましょう。ルイーズお嬢様のお食事も終わった頃合いでしょう。私たちもはやくご飯をたべて、寝ましょう」
「そうだね」
僕と里恵は戦略室を出ると、すぐに食堂へ向かった。
ここからは特に何もなく、いつものようにご飯を食べて、お風呂に入るだけであった。もちろん僕らは使用人としての役割もあるから風呂場の掃除とか食器洗いとかの作業も控えていた。だが、柳ケ瀬にいたときの苦労に比べれば何ということもなかった。
すべての用事を終えて部屋に帰りベッドへ身を投げる。
体自体は新品だから、特に疲れたということもないがそれでも精神的な疲れまではぬぐえない。
こんこん……。
そんなとき、ドアがノックされた。誰だかは見当がついているため、すぐに身を跳ね上げさせるとドアを開き部屋の中へ案内した。
「ルイーズお嬢様。お入りください」
「うん。入らせてもらうね」
ルイーズ様は寝間着姿のまま僕の部屋に入ると、ぽふんと質素なベッドに腰かけた。
僕の部屋も広いわけではない。きっとお嬢様には狭いはずだ。だからいつもラウンジのほうでお話しするように勧めているのだが、どうにも僕の部屋がいいらしく、今でもこうしてここで話す。
僕もルイーズ様の少し離れたところに腰を下ろす。だが、すぐにその距離はルイーズ様に詰められ僕は小さなベッドの端に追い込まれた。
「まずはハルト、お疲れ様。今日もお仕事ありがとね。ゲームで疲れているのに鍛冶までやるんだから、ハルトはすごいよ」
「いえ、こちらはローレンツ家に住まわさせていただいている身です。主人に尽くすことは当然のこと。むしろ、このように部屋まで与えていただき贅沢すぎるほどです」
「ハルトは健気すぎるよ……。もっと傲慢になってもいいんだよ?私にできることなら、なんでもするよ?」
「では、僕と里恵を明後日に応援していただけると嬉しいです」
「もう、もちろんだよそれは。だから、私が言いたいのはそういうことじゃなくて、もっと、こう、ほら、あるでしょ?」
「僕はただでさえ今日はヘマをしているのです。こちらから御願いできる立場に元々ありません」
「だーかーらー、ハルトはもう頑張ってるって。もうそろそろいい加減報われてもいいと思うの。せめて私にそのお手伝いをさせて?……ハルトは超遠慮家だし、なかなか決まらないと思うから、また今度きくね?けど、明後日だって、また、私たちのためにあんな戦場に行かなくちゃいけないのに。どうしてハルトはそんなに落ち着いていられるの?」
「僕の過去が、戦場よりも酷いものだったからです。お嬢様にはまだそれ以上は語ることはできません」
「ハルトはまたそうやって自分のことを話してくれない……。私は、あなたのことをもっと知りたい」
「とはおっしゃられますが、僕自身も未だに気持ちの整理がついていないのです。こんな中でお話ししてしまえば、きっと無様な姿をさらしてしまうことでしょう。だから、もう少々お待ちください。僕が、気持ちの整理を付けるまで」
「……わかった。待ってる。でも、無理はしないでね。ハルトが傷つくなら私はそこまでして知りたいとは思わない」
「お心遣いありがとうございます」
ルイーズ様が僕に寄りかかる。
この先は言葉が続かなかった。別に僕らの間じゃ珍しいことでもなかった。言葉以上に、ルイーズ様の体温が僕に訴えかけてくるのだ。それに、僕にはこの静寂の時間が一番心地よかった。
そのあと、僕がうつらうつらし始めたのを見ると、ルイーズ様は「おやすみ」と言って部屋をそっと出ていった。
僕はまだルイーズ様のぬくもりが残るベッドに横になり、瞼を下ろした。
次の日の朝。
いつものように家事ともろもろの雑務を終わらせると、訓練場から早速銃声が聞こえてきた。僕もあとを追って訓練場に足を踏み入れる。
「せんぱーい!遅いですよ!」
そこには早速ウィンべスターライフルを抱えている里恵の姿があった。どうやら100m先の的を打つ練習をしていたらしい。彼女の近くに既に使用済みのターゲットが何枚か落ちていたので見てみるが……ものの見事に円の外側を打ち抜いていた。
「ある意味綺麗だし、これまだ使えるんじゃないか?」
「5発くらい打ったら交換しろと言ったのはハルト先輩ですよ?」
「いや、普通は円の内側がそれくらい打つとどこが何発目の痕跡なのか分かりにくくなるからね。だから傾向を知るためにもその辺で交換するといいと思ったんだけど……」
僕は再びターゲットに目を向ける。
「何ですか、その目は!良いでしょう。勝負しましょう先輩!条件は同じ。この銃であのターゲットを打ってみてくださいよ。5発のうち1発でも円の内側に入ったら負けを認めましょう!」
「わかった。やってみよう」
僕も実際最近の訓練の成果を見てみたかった。自慢ではないが、ここ最近自室でもライフルを構える練習や、スコープの見方は学んだ。ショットガンと少し勝手が違うから戸惑うけど、慣れればこちらのものだ。
今日も訓練場は騒がしくなりそうだった。
4/28くらいまでには次話投稿します