美しさの可能性
剣を振る。ほぼ同時に、出来る限り速く。そのまま下から上に三段突きを繰り出した後に、袈裟斬りと逆袈裟斬りの形で組み合わせる。
数十回と繰り返した時点で既に呼吸が荒れ、脚や腕が鉛のように重く感じられる。
体力がまだまだ無い。それが戦闘スキルや経験値を差し引いても戦闘中ノンとの間に感じる大きな壁。
ヒーラーというジョブは、体力より魔力、筋力より広い視野を求められる。
端的に言ってしまえば体を鍛えるより本を読め、な職種なのである。
勿論ヒーラー名家長女の肩書を背負った私も例に漏れずそれに準じていた。
結果、現在ノンとの間には体力筋力共に圧倒的な差が開いてしまっている。
短期決戦ならジョブの火力でなんとかなるのだが、長期戦になるほど状況に体がついていけなくなる。
「…追いつかなきゃ…とりあえず筋トレで、良いのかな?」
剣を置いて、無難だが腕立て腹筋背筋スクワット。
努力は大事だ。体は努力するだけ確実に応えようとしてくれる。
「頑張ってるねぇ♡」
「ヒョフェッ!?冷たッ」
「悲鳴が独特すぎないかなぁ?」
唐突に首筋に冷たさを感じて飛びすさる。そこにはグラスが汗をかくほど冷やされた飲み物を持ったノンが立っていた。
「筋トレは大事だよぉ〜」
飲み物を手渡しポンポンと私の頭を撫でた後に、ノンもまたハンマーの縮小魔法を解除して特訓を開始する。
ヴォンッ!ブンッ!と当たったら即死するなと確信できる音を発して、宙を自由に舞い踊るノン愛用のハンマー。
その姿を見て、なんとなく、出来心近い好奇心をおこしてしまった。
「ねえノン」
「な〜に〜?」
「ちょっと触らせて?ソレ」
ソレ、とハンマーを指差している私とハンマーを代わる代わる、確認するように見たノンは、一瞬キョトンとした顔をした後、クツクツと楽しそうに笑いだした。
「…本ッ当…ミーナは面白いよねぇ……いーよッ!」
元気な答えと共に私の方に軽く放られたハンマーは、私の多少手前でゴガンと地盤を割り、派手に地にめり込む。
何事も物は試し、今の筋力でこのハンマーが振れるかどうか、一度挑んでみよう。
「よっ…んぐぐぐ…ぐぅぅぅっ!」
両手で地面から引き抜こうとするものの、微動だにしない。
体全体を使って持ち上げることに全身全霊で力を注げば、ほんの少しだけ動いた。
「動かし…た…?」
心底驚いたらしいノンが、目を丸くしてこちらを見やる。
そのまま持ち上げられれば僥倖だが、現実はそんなに優しくない。
マッサージャーでもつけられたかのように私の腕はぶるぶると震え、負荷に耐えかねて手を離した瞬間に、再びハンマーは轟音を立てて地に深く沈んでしまった。
「…っは、やっぱ、まだ、無理、か」
この数秒でもう息も絶え絶えだ。
これを片手で持ち上げて、ぶん回してあまつさえ息切れしないし涼しい顔ってどういう体力と筋力してるんだ。
体の構造上おかしいだろ。
「凄…なんで動かせるの!?」
「ねえ、それノンが言う?」
「つくづく想像の上を行くなぁ…」
「話聞いてる?ノンさーん?」
たまーに意思疎通が出来てない気がするんですが…まあそれよりも、体が限界だ。
遅れてやって来た、筋トレなんかとは比べ物にならない全身への負荷に耐えかねて、私は地面に突っ伏した。
「お疲れ様。んじゃ運ぶついでに今回の仕事内容話すよぉ〜」
体が重くて頭がどこかボンヤリとしている私を、ひょいと軽く姫抱きにして運んでいる間、ノンは仕事内容を簡潔にまとめつつ話してくれた。
疲労過多によりボンヤリしてはいるものの、頭はきっちり仕事をしている。
仕事内容は、『暴走する動物について』だった。
暗に、原因を見つけ次第無力化せよという意味も含められているのだろう。
「了解…水頂戴…」
私の体力が回復し次第、仕事に取り掛かることになりそうだ。
「ふーんふんふんふんふーん♫」
「ちょ、ノン…まだ買うの…!?」
仕事に取り掛かるはずだったのに、何故か今私は、ノンのショッピングの荷物持ちとして動いている。
可愛らしいハイヒールやドレスは勿論のことなれど、ショップバックからはちょくちょく鋭利な刃物や重そうな(事実重い)ハンマーなど場違いなものが覗いている。
まあ戦う人間として、武器防具に常に気を配るのは当然と称賛したいが…何故服や雑貨と一緒に買うんだ!?
「あ、剣とかで服切らないようにしてね〜」
「いや普通に難しいから!」
ノンと歩幅を合わせて歩いているが、ガチャガチャ動く剣が時折服に引っかかりそうになっては慌てて補正の繰り返し。
戦闘より疲れるかもしれない、主に精神的に。
そう考えていた時、一つの声が鼓膜に刺さる。
「キャーッ!!」
「「来た!」」
私は即座かつ丁寧に買ったものを地面に置き、すぐ抜刀できるように体勢を整える。
ノンはふらふらと力を抜いたまま立っているが、目は油断なく悲鳴の方向に向けられている。
数秒待てば、小さな影が弾丸のようにこちらに向かってくる。
涎を垂れ流し疾走する、狂乱した様子の犬だった。
「悪い子だねぇ」
ノンはいつぞや折られてから戦線を退いていた箒を取り出して打撃を仕掛ける。
一振りするだけで箒ではあり得ないほどの豪風が吹き荒れる。
やっぱりそれ、箒じゃなくて特殊鈍器だろ。いや、今はよそう。
続いて私も双剣を引き抜いて斬りかかろうとしたところで、攻撃を急停止させた。
反動で体がよろけ、犬は反撃を繰り出してきた為倒れながらもどうにか防ぐ。
「ミーナ!?どうした……」
の、と続く前に、ノンの言葉が途切れた。そして犬の体の一点を見ている。
ノンも気が付いたのだろう。
首に巻かれた赤い革、首輪だ。
つまり飼い犬の類だろう。剣では致命傷を負わせかねない。
「ミーナ、素手で行って。後は、私が力加減して気絶させる」
「了解」
双剣越しに私を噛み切らんとする犬を振り払い納刀、素手での徒手空拳の構えをとる。
相手は四足、速さでは敵わない。
ならすべき事は私から仕掛けるのではなく——
「…カウンター!」
足を払い首元に一発、続いて開いた口に致命傷にならないように手加減しつつ手刀を突き込む。
側から見ればサディスト極まれりだろうが、殺さずに対処するにはこれしかない。
「おっけぃ、これだけ弱らせれば…」
ノンが不敵に笑いつつ、買い物袋からネックレスをつかみ出す。
ハートが天使の矢で射抜かれている、というまぁ比較的典型の型にはまったネックレスをかざしながら、ノンは犬たちを見据える。
「使い切り魔法装飾品…使ってあげるわ。天国見せてあげる、誘惑魔法!」
ノンの瞳が桃色と紫の中間のような色
に輝き、それとほぼ同時に犬の動きが止まる。
そして暫く惚けた後、目をハートにして尻尾をブンブンと振りながらノンにすり寄っていく。
「え?パラディンって誘惑魔法使えないんじゃ…?」
パラディンは聖騎士、清く正しい防御系統の魔法が得意分野で、誘惑魔法や催眠魔法はお門違いもいいところ。
本来どう足掻いても使えないはずの魔法をノンは使ったのだ。
「え?魔法装飾品も知らないの?」
ノンはちゃりちゃりとネックレスを弄りながら逆に問い返し、続けた。
「使えないはずの魔法を、一つ使えるようにしてくれる特殊装備品だよぉ。
ま、これは使い切りだったから、今は単なるキュートなネックレスだけど」
犬に対して誘惑魔法を使うと言う発想は素晴らしい。
というか、誘惑魔法って外見が良ければ良いほど成功率が上がる代わり、殆ど失敗する代物の筈なのだが、躊躇いなく使う上にきっちり決めてくるあたりさすがの一言に尽きる。
「当然成功、さすが私の美貌」
「自分で言うのかそれ」
「さーてとぉ、お家へお帰り〜」
ノンが促せば、犬は素直に飼い主たちのもとへ帰って行く。
歩き方等を見る限り後遺症などは無さそうだ。
「さてさて原因は…操る系統の魔法だろうねぇ」
口元で指を組み、目を細めながらそう呟くノンが、正直怖い。
「犬かぁ…喋れないもんねぇ。もっと知能がある奴ならまだ…」
淡々と打開策を考える後姿は玄人のそれだ。
自分がいかに『箱入りお嬢様』…井の中の蛙状態だったのか、ノンと居るだけで何度も痛感させられる。
生活費を稼ぐ為、必死に火吹き芸を披露する道化師の炎に照らされ、ノンの険しい顔の陰影が濃くなる。
ゆらりゆらり揺らめく炎を尻目にその顔を眺めている時、視界の端で、有り得ない軌道で炎が蠢いた。
「!?」
私は反射的に飛びすさり、何時でも抜刀出来るよう臨戦態勢で双剣に手を添える。
ノンが私の挙動とその理由に即座に気づき私と同じく臨戦態勢になるとほぼ同時に、炎は此方に向かって牙を向いた。
「ねえノン!これって多分さっきのと同じ術者だよね!」
「間髪入れずに来るか…炎も操れる術者なんて、相当やり手みたいだねぇ」
相手は炎、今度は殺してしまう心配は無いけれど対生物の強みが使えない。
「徹底して『使わせない』つもりか」
私の能力は敵からしたら厄介極まりないものだろう。
ノンも物理の効かない炎に対しては苦戦するだろう——
「ハッ!」
ビュオッ!(ノンの掌底で風が巻き起こる音)
ウッソだろお前。
掌底?掌底で旋風?どんだけ速いの?てか力技すぎるだろ。
私が何かする前に掌底一髪で炎が掻き消え、呆然とする。
しかし、やはり静寂は一瞬。
今度は芸を披露していた道化師の目が紅く発行し、狂乱して襲いかかってくる。
「ノン!」
道化師の至近距離にいたノンに対し叫ぶが、何故か道化師はノンをスルーして一直線に私に襲いかかってくる。
突き出された両手を受け止め、正面からの力比べ。
しかし、相手は異常な剛力で押されてしまう。
「こ…ん、のぉッ!」
道化師の頭を片手で掴み、その手を軸に道化師の頭の上で逆立ち。
そして虚を突かれ行動が遅れた道化師の右頬に向け、両足を折り畳み正座のような形にして膝を叩き込む。
曲芸のような形でも動けるよう、体幹や柔軟、筋力を磨き続けてきたのが生きた。
「ナイスミーナ!」
続いて振り抜いた足をそのまま上へあげて踵落としを叩き落す。
我ながら流れるように決まった。
しかしまだ動こうとする道化師にミーナが近づく。
「さぁて、弱ってるから精神支配も弱まってるでしょ。言う事聞いて貰うよぉ?」
「でもノン、もう誘惑魔法使えないんじゃ…」
「関係ないよぉ」
ひらひらと手を振りながら、私の忠告を無視し無理矢理道化師と目を合わせたノンは、満面の笑みを浮かべて道化師に囁いた。
「俺の美貌にひれ伏せ」
声は完全に女性のそれだが、口調は威圧するような男言葉だ。
常人であればギャップに耐えきれず泡吹いて失神しているところだが、相手は狂乱状態。問題はなかった。
「いやでも、それに何の意味が…」
「はい…ノン様…♡」
「嘘ぉ!?」
誘惑魔法無しで…地の美貌で精神支配権を略奪した!?
することがもう人間の域じゃないでしょ!
三日月型に目を細め悪人面で笑い、ノンは甘ったるい声で道化師に問う。
「貴方に術をかけてたのはだ〜れ?」
ふるふると首を横に振る道化師。
知らない、という事か。
「ねぇノン、もっと知能があって喋れればって、まさか…」
「そ、あたり」
色々吐いてもらうの、と人の悪い笑顔で悪魔的なことを言う。
「じゃあ、どこに居るか分かる?」
質問を変えれば、道化師はふいととある建物の屋上を指差す。
それは私達の指先まで肉眼で観測できるであろう場所、つまり超至近距離。
私が足に力を入れようとした瞬間、体がふわりと持ち上げられた。
「ミーナ、掴まっててね☆」
「ふぁ!?」
ロリータ美人が自分よりデカイ仮面つけた人間を持ち上げていると言うシュール過ぎる絵面が生まれている。
そのまま跳躍、数秒後には件の屋上にたどり着いていた。
先客は一人。慌てようからしてまず間違いない。
小麦色の肌に、赤銅の様な色の切れ長の目と長い髪。ノンほどではないが、十人中十人が美人と即答するであろうクールビューティーを固めた様な顔をしている女性。
その女性を見た瞬間に、ノンの額に青筋が走った。
「やっぱお前かこの馬鹿野郎がッ!」
開口一番男だと隠す気の一切ない地声と口調で叱責したノンに、その女性は猫撫で声で叫びながら走り寄る。
「ノーン!会いたかったですわーッ!」
クールビューティーは何処へやら、口からよだれを垂らし締まりのない顔が迫る。
そしてあろう事か、ノンはその顔面を靴底で止めた。
「いやノン、さすがに足蹴にしちゃ駄目でしょ…」
「いーの。コレくらいしないと止まらないから」
いやそんな事は…と女性の方に目をやると、嬉しそうにエヘエヘしながら靴に頬擦りしている。
言葉が見事に引っ込んだ。これ擁護できない奴だ。
そんな残念極まりない状態を暫く続け満足したらしい女性は、先程まで靴底に頬擦りしていたとは思えないほど優雅な身のこなしで元の姿勢に戻った。
「お会いできて嬉しいですわノン」
「ハイハイソーデスカ」
さっきから扱いがどんどん雑になっている。
なんでノンはこの人に対して八方美人を一切適用しないのだろう。
「あー、ミーナ?紹介するね。
コイツはレネ・ゾールベルド、操術師の名家出身、変態ドMの私の元タッグ」
なるほど男口調と扱いの雑さはそのせいか。多分性格も起因してるんだろうけども。
ふわりとお辞儀をして、女性改めレネは付け足した。
「美しく愛らしいものからなら痛みや恥辱も甘美なだけで、野郎や醜いものからのはノーセンキューですわ」
なるほど変態だ。
「隠す気なかったでしょ?形のない炎、仕舞いには人間まで操れる上に、負担が大きい操作系統の魔法を連発できるぶっ壊れなんてひとつまみよ」
『ひと握り』でなく?
さっきからツッコミどころ満載だが、ノンも落ち着いて来たのだろう。
女の子口調と声が戻って来ている。
「隠すつもりなんて無いですから」
レネは楽しそうに微笑みながら、パッパと乱れた髪を直している。
先程までの残念美人っぷりとはかけ離れた所作に、本当に同一人物か疑ってしまう。
「だろうねぇ。これで知らないオッサンが主犯でした〜、とかだったら『えいっ』てしちゃってたよぉ」
その『えい』で振り抜かれる手はパーでなくグーで、効果音もえげつないものと推測します。
「チョキで」
もっと酷かった。
「私は貴方が大好きですわ、ノン…だからこそ、こんな仮面野郎が側にいるのが我慢ならない!」
嗚呼納得、それで執拗に私を狙ってたのか。
貴方花畑とかに油虫とか居るの気に食わないタイプの人なんですね。
ノンの外面も大概仮面並だと思うのですが皆さんどう思いますか?
「だからこれは宣戦布告です」
シリアスな雰囲気なんだけど全然実感がございませんゴメンナサイ。
「貴方が自主的にノンの側から離れなければ、実力で消しますわ」
その言葉には、実感云々を無視するほどの重さがある。
本気の宣言だ。消しにくるのだろう、本当に、実力で。
今までの私なら、【面倒臭い依頼はパス】と逃げていただろうが、何故だろう。
「この場所は譲らない」
この場所は、奇妙な居心地の良さと愛着がある。
今日初めて会った相手に急にそう言われたからと言って、簡単に手放せるものではなくなっていた。
「結構です。ではこのレネ・ゾールベルド、今日は引きましょう。
いつか全力で仕りますから、気を抜かぬことです」
ふわりと再び嫋やかに礼をして、レネは帰っていった。
ノンはまだまだ謎が多い。
取り敢えず…依頼と、どうやらライバル認定が完了してしまった様だ。
波乱の予感の日常が幕を開ける。
主要メンツ揃いました。
評価、コメントその他で更新ペースが上がる…かもしれませんので
良ければお願いします…