第六話 過去
少年は病床の母親にすがりついて泣きわめいていた。母親の息はもはやない。青ざめた顔は痩せこけており、闘病生活がいかに大変だったかが判る。その横では父親が少年の背中をさすって慰めている。
「母上! 目を開けてください! 母上!」
少年の叫ぶ声が虚しく響く。しかし、父親はどうしてやることもできない。ただ、じっと息子の背中を眺めているだけだ。隣で二人の様子を見ているもう一人の息子は年長らしく大人しくしているものの、懸命に涙をこらえている表情だ。
親子の反対側では巫術師が額に汗をして懸命に呪文を唱え続けている。白装束に身を包んだ老婆だ。髪を振り乱して祈る様は鬼気迫るものがある。
母親はこの国周辺に広がった疫病にかかって倒れた。高熱にうなされ、食事も喉を通らず、あっという間に体力が奪われた。国中どころか周辺国にまで渡って薬師、巫術師などをかき集めて、あらゆる手を尽くしたが甲斐がなかった。
「もうよい。下がれ」
「ははっ」
父親は巫術でわずかばかりの蘇生・延命をはかるよりも子どもたちに最後の別れの時間を静かに過ごさせることを選んだ。これまでも何度か意識を取り戻しては気を失うということを繰り返してきた。これ以上それを続けるのは彼の妻にとっても酷だろう。
ついに兄の方も涙の堰が切れた。弟と同じように母親にすがって泣きはじめた。
「母上! 母上!」
少年は兄と共に声が枯れるまで鳴き続けた。
◇ ◇ ◇
「……は……うえ……」
ヤヒコの顔をツクヨミとスサノオが覗き込んでいる。ヤヒコにはまだ意識が戻っていない。何かにうなされて言葉を発しているようだ。
ヒミコはヤヒコの頭を自分のひざ枕に乗せている。左手を首筋に当てた。脈はある。
「姉上、兄様は大丈夫なの?」
「うむ、大丈夫じゃ。じきに意識を取り戻す」
右手をヤヒコの額に添えると意識を集中させた。ぽうっと手の平が微かな光を発する。
すると、ゆっくりとヤヒコの目が開いた。
「気がついたようじゃの」
ヤヒコは頭がまだぼんやりとしている。こんなに間近でヒミコの顔を見たのは初めてかも知れない。しかも下から見上げた顔だ。ヒミコの顔は上空の陽の光のおかげでまるで後光が差しているかのように見える。
(天の女神様か。どうやら俺は母上のもとに……)
「ヤヒコ、わらわがわかるか?」
「兄様」
「にぃさま」
ヤヒコはそっと両手をのばすとヒミコの頬に触れた。
「あぁ、女神様。なんとお美しい……」
途端にヒミコの顔が真っ赤になった。
「な、なにを言っておるのじゃ」
「女神様だって」
「めがみしゃまー」
怪我人を突き放すわけにもいかず、ヒミコはヤヒコにひざ枕を使わせながらドギマギしていた。
しばらくするとヤヒコは立ち上がれるくらいまで回復した。
「俺は気絶していたのか」
「そうじゃ。どこか痛むところはないか?」
「大丈夫だ。薬草を摘みに行こう」
「いや、今日はこのまま帰ろう。おぬしの体が大事じゃ。帰って静かに横になったほうが良い」
「すまん」
「なぁに、事情を話せばババ様もご理解くださるだろう」
元の道を引き返す。頭を打って呆けていたとは言え、なんとなく気まずい。自然と無言となる。しかし、子どもたちは無邪気だ。相変わらず、蝶がいた、蟻がいたなどと言っては大騒ぎする。そんな中、ヒミコは前を歩くヤヒコの足取りを注意深く見守っていた。ふらついているような様子はない。頭を打った影響はなさそうだ。ヒミコはほっと胸をなで下ろした。
ヤヒコは前を一人歩きながら警戒を怠らない。ただ、その表情はどこか深刻なものを感じさせた。
行きはおしゃべりに夢中で時間が短く感じられた。帰りは別の意味で短い時間になった。気がつくと門の前まで到着していた。門番が一行にあいさつをする。
門をくぐったあとにヤヒコはヒミコたちの方に振り向くと切り出した。
「ヒミコ」
「ん?」
「俺をしばらく護衛の任から外してくれ」
「なぜじゃ?」
「俺は未熟だ。もっと鍛錬を積む」
「そなたの生真面目さは筋金入りじゃの」
ヒミコはニコリと笑った。
「よかろう。励むが良い。父上には話しておこう」
「すまない」
「じゃが、二、三日は安静にしておれよ」
「わかった」
◇ ◇ ◇
それから数日後、ヤヒコはヤマト国の武人の長であるミカズチの家を訪ねた。ミカズチの家は竪穴式だが、かなり大きい。腰の高さほどに掘られた穴に巨大なわらぶきの屋根をかぶせた構造。家の中にも太い柱が十本立てられており、中の大きさは大人が十人以上入っても余裕があるほどだ。床には大量の稲わらが敷かれており、その上は麻布で覆われている。
家族たちは来客で遠慮したか留守にしている。ヤヒコとミカズチは差しで話す形となった。ミカズチは「どうぞ」と節くれ立った腕で床を指し示して、ヤヒコに敷物の上に座るよう促した。
「頭を打ったそうですね。もうよろしいのですか?」
「大丈夫です。ミカズチ殿、俺のような青二才に敬語はやめてください」
「いや、あなたはヒミコ様の護衛とは言え、一国の王子です。同僚と話すようなわけにはいきませんよ」
「その件ですが、実はしばらく護衛の任から外してもらったのです」
「えっ、それは一体どうして……」
国の警護を任されているミカズチが知らないとは意外だった。ヒミコはイザナギに話しておくと言っていたが、まだ話していないのか。あるいは復帰するまでの代役は必要ないと断ったか。
「ミカズチ殿に剣の扱いについて手ほどきをしていただきたいのです」
「それは構いませんが。しかし、あの歓迎の席での剣舞を拝見しましたが、あなたは十分剣の腕は立つでしょう」
「いえ、今回の一件でまだまだ鍛錬が足りないと感じたんです」
ミカズチは今年で三十歳だ。ヤヒコの父イワタツよりは若干若いとは言え、ヤヒコとは親子に近い年齢差がある。ミカズチにもヤヒコよりは小さいが息子がある。時には剣の稽古をつけてやることもある。ミカズチは一瞬迷ったものの首を縦に振った。
「では、ちょうど明日の朝に兵たちの訓練をしますから一緒にいかがですか?」
「ありがとうございます」
ヤヒコは丁寧に頭をさげてその場を後にした。
翌日、ヤヒコはミカズチが指揮する部隊とともに国の中ほどの広場で剣を振っていた。兵たちはヤヒコよりも年上ばかりだ。当然体も出来上がっているはずだ。しかし、太刀筋の鋭さを見るとヤヒコに敵う者は見当たらない。恐らく、かろうじて対抗しうるのはミカズチの副官くらいなものだろう。これは農作業のかたわらに剣を振る兵たちと、常に剣の鍛錬を行っているヤヒコとの差と言えるかもしれない。
「ヤヒコ殿、お手合わせ願おう」
「はい!」
「イワサク、立ち会え」
「はっ!」
ここは兵たちに手本を見せるのも良いかも知れないと判断したようだ。ミカズチは剣を構えてヤヒコと向き合った。
「初め!」
ミカズチはヤヒコの打込みを誘うように上段高く剣を構えてジリジリと迫っていく。
(誘っている!)
ヤヒコにもミカズチの意図は伝わった。眉をキリッと寄せて表情を引き締める。
「やぁ!」
あえて誘いに乗る。そう決断したヤヒコは掛け声と共にミカズチの間合いに飛び込んだ。ミカズチもその機を逃さず剣を振り下ろす。
ガシッという剣と剣とがぶつかり合う音が辺りに響いた。ヤヒコは身をかわして、そのままミカズチの剣を自分の剣の上を滑らせるようにしていなした。隙ができたミカズチの背後に回って反撃に移る。しかし、ミカズチはそれを見通したように脇腹の辺りをめがけて打ち込んだヤヒコの剣をしっかりと剣で受け止めた。周りの兵たちはあっけにとられている。この二人は彼らとは格が違いすぎる。
「待て!」
イワサクは一旦二人を離れさせた。ヒミコがこの場に現れたことに気がついたのだ。兵たち全員が慌てて地面にひれ伏す。ミカズチは剣を地面に置いて膝まずいた。ヒミコは静かに歩み寄ると兵が用意した床几に腰掛けた。ヤヒコは少し気まずそうに視線を逸らしたが、ヒミコはあえてヤヒコには声をかけずにイワサクに顔を向けた。
「よい。続けよ。皆も立ち上がれ。よく見て、剣の扱いを学ぶのじゃ」
「はっ。両者、構え!」
再び二人が剣を構えて向かい合う。兵たちも立ち上がって固唾を呑んで見守っている。
「始め!」
「うぉぉぉ」
イワサクの掛け声に応じてヤヒコが飛び出した。飛び込んだ勢いそのままに上段から大きく振り下ろす一撃。しかし、これは少し無謀だったか。大きな動作は予測もしやすい。イワサクは難なく剣で受け止めた。つばぜり合いとなって両者の剣がギリギリときしむ音を立てる。
ヒミコは二人の対戦を静かな表情で見つめつつも内心舌を巻いていた。ヤヒコの剣の腕はあの宴で目にはしていたが、これほど激しいものとは思いもしなかった。相手がヤマト国随一の豪の者であるミカズチだからこそ相手をできているが、凡人が相手ではあっという間に負かされているであろうことはヒミコにもわかった。
「鋭い。だが、焦っておられるようだ。はじめは無心でおられたのに姫様がいらしてからは無駄な力が入っている」
「くっ……」
ヤヒコはミカズチの剣を押し返して一旦距離を取った。しかし、ヒミコの目にはヤヒコが自分の焦りをミカズチに見透かされて少しひるんだように思えた。自分が来たことでヤヒコの邪魔になったのなら申し訳ない。ヒミコがそう思ったその時、ヤヒコはヒミコの顔をチラリと見ると微笑んだ。
「そうでした。ミカズチ殿が腕力で圧倒できる相手ではないことは分っていたのに……」
(ヤヒコ、冷静さを取り戻したか)
ヒミコはホッとしていた。しかし、いつの間にかヤヒコに内心肩入れしていることにヒミコは気づいていない。
「剣の打ち込みが鋭い。冷静に状況を見極められる。やはり、あなたは強い」
「ですが……」
喋りかけたヤヒコの頭に向かってミカズチは剣を振り下ろした。しかし、咄嗟にヤヒコは体をかわしてやり過ごした。そのまま駆け抜けたミカズチに向かって警戒を怠らずに剣を向ける。
二人の距離が開いたところで笑ってミカズチは剣を納めた。
「ここまでです。だいたいあなたの実力はわかりました」
ヤヒコもまた剣を納めた。試合は一段落ついたというところか。ヒミコの見立てでは、おそらく二人の実力はまだまだミカズチの方が上と感じた。
「どうじゃ? ミカズチ、ヤヒコは武人としてものになりそうか?」
「さきほども申しました通り、剣の打ち込みが鋭く、状況を冷静に見極める心の強さもあります。不意打ちを仕掛けても隙がありません。私が教えることは特にありません」
「じゃが、ヤヒコは納得がいかぬようじゃの」
やはり、ヤヒコの表情には曇りがある。ミカズチに訴えかけるように言葉を発した。
「俺はヒミコ……いや、ヒミコ様を守るどころか、自分が怪我をしてしまいました」
ミカズチは苦笑いを浮かべた。軽くため息をついて、ゆっくりとヤヒコに近づいていった。そして、ぽんと右手をヤヒコの肩に置いて話した。
「肩の力をお抜きなさい。あなたの役割はなんですか?」
「ヒミコ様をお守りすること」
「あなたは身を挺してスサノオ様をイノシシの突進から守った。ヒミコ様もご無事でした。しっかりと役目を果たしたではありませんか。ごらんください」
ミカズチは上半身を脱いでヤヒコに体を見せた。その体はいくさに明け暮れたミカズチの半生を物語っていた。
「私だって傷だらけです。無傷で全ての敵を打ち倒せるほど戦場は甘くない。戦いに怪我はつきものです。しかし、私はいくさでは負けたことがない。あなたもそうなりますよ。なによりあなたには才能がある」
「俺にも才能が?」
「まずは経験を積みなさい。あなたに足りないのはそれだけです」
「わかりました」
ヒミコはヤヒコの表情から多少は曇りが取れたように感じた。
「ヤヒコ、どうする? まだ鍛錬を積むか?」
「ああ、もう少し時間をくれ」
「わかった。護衛であるそなたが強くなれば、わらわも安心して国の外でも動けるようになろう。それまではわらわも自分ができることやろう」
ヒミコとヤヒコには一人前になるための時間がまだまだ必要だった。




