第三話 二国の思惑
ヒミコは食事を目の前にしても不安な思いを振り払えずにいた。このままでは自分は戦場で生きた兵器として使われるのではないか。ヒバリからは自分が会得した術よりも更に強力な術もあると聞いた。そして、それを使うにはより大きな危険が伴うとも。自分の身に起こる危険は仕方ないにしても、より大きな力を使えばより多くの人が死ぬ。
ふと我に返った。周りではあちこちで盛り上がっている。自分だけが取り残されていた。慌てて匙を手にとって粥を口に入れた。甘い米の味が口の中に広がる。
視線を感じて顔を上げるとソナ国の王子がこちらを見ていた。ああ、この人が護衛の王子様か。そう思ったヒミコは失礼のないように軽く微笑んで頭を下げた。しかし、王子は慌てたように視線を逸らしてしまった。戸惑うヒミコに王子の隣のソナ国王が話しかけた。
「姫様、息子があなた様の護衛の任を承りました。なにとぞよろしくお願いいたします」
「はい、このような頼もしいお方にお守りいただくならば安心してすごせます」
「ヤヒコ、あいさつをしなさい」
父に促されて慌てて立ち上がると、ヤヒコはヒミコの方に向き直った。
「は、はい! わた、わたくしは……ヤヒコと申します! えっと……」
見る見るうちに顔が真っ赤になっていく。部屋中に笑い声が広がった。大勢の人の前で無様な姿を見せてしまった。そう思ったのか、余計にヤヒコの焦りは募っているようだ。それがまたその場にいる者達の琴線に触れたらしく、からかう者まで現れて笑い声がさらに大きくなる。
ヒミコはこの眼の前の王子を好ましく思っていた。固くなった表情がかえって生真面目さを感じさせる。笑いものになっている状況が気の毒に思えてきた。何か言葉をかけてあげようとしたその瞬間、父のイザナギの言葉によってその場の笑い声が一瞬にしてかき消された。
「ヤヒコ、おまえは第二王子だったな」
「はい」
あっという間に和やかな宴席が緊張の場と化した。ヤヒコはイザナギの方を向くと硬直したように直立不動となった。ヒミコも父の方へ向き直って、その表情を見た。笑っていない。むしろ不快感を隠さずにあらわにしている。
「イワタツ、何故第二王子だ? 何故嫡男を連れて来なかった?」
「そ、それは……」
その場にいた者の視線が全てソナ国王イワタツに集まる。しかし、明らかにイワタツは返答に窮していた。自分が謀殺される恐れを考慮したら、後継者である嫡男は連れてこれなかったなどとは口が裂けても言えないだろう。
「それは、兄より俺のほうが武術の腕が立つからです」
ヤヒコはとっさに父に代わって返答した。
「ほう。剣に自信があるか」
「はい」
「それではその武術の腕とやらを見せてみろ」
「はっ!」
今度はヤヒコに注目が集まった。ヤヒコは表情を引き締めると部屋の中央に出た。その顔は先程のおどおどとした様子とはまるで違っていた。自信に満ちた表情。大勢の前での自己紹介などは苦手だが剣舞ならばいくらでも見せてやるといった感じか。
室内は静まり返っている。全員の耳目を一身に集めたまま、ヤヒコはイザナギに向かって深々と頭を下げた。それを見る重臣たちは万が一の事態に備えて密かに剣の柄に手を添えている。しばらくの間、時が止まったかのように誰も動かない。
ヒミコは事の成り行きを見て困惑していた。自分と王子とのあいさつからこんな殺伐とした雰囲気に発展するとは。「やめてください」と何度言おうとしたことか。男の人たちはどうしてこうも血の気が多いのか。
ヤヒコは頭を上げて、脚を肩幅より若干広く前後に開いて腰を落とすと剣の柄に手を掛けた。目をつぶり、脳内で敵の軍勢を思い描いているようだ。数秒の沈黙の後に目をかっと見開いた。
「えぇい!」
気合の入った声と共に剣を抜き放ち、そのまま右上に斬り上げた。その場にいる誰の目にもヤヒコが思い描いている戦場が見えた。彼の前方にいる敵の一人が首から血を吹き出して即死。前方の敵軍は怯んだ。
ヤヒコは剣を引き寄せて顔の右脇に構えると後ろを振り返り、キッと敵群に睨みを効かせる。敵が一瞬すくんだ隙を見逃さずに一番近い敵兵に駆け寄り、一気に間合いを詰める。
「やぁー! てぇぇい!」
そのままの勢いで敵に二撃を食らわせる。上段から剣を振り下ろし一刀両断。床に突き刺さるかというほどの勢いで振り下ろされた剣は床の直前でピタリと止まった。さらにそこから横に薙ぎ払ってもう一人を屠った。
前後の三人を立て続けに倒したことで、周りの敵は遠巻きになる。
部屋にいる全員がヤヒコの剣舞に魅入られていた。
「はははは、やるじゃないか。兄者、我らも舞おう。このままではヤマト国連合の盟主の名がすたる」
「いや、俺はいい」
第二王子カグツチが豪快に笑いながら兄のミズヒに話しかけた。しかし、ミズヒは酔いすぎたのか、青白い顔を横に振って断った。そもそもこの兄弟、性格だけでなく見た目も正反対だ。第一王子ミズヒは細身の体で色も白く、剣の働きはいかにも弱そうだ。対称的に弟のカグツチはガッチリとした体格で背も高く、丸太のような腕で振り回す剣は迫力がありそうだ。
「ヤヒコ、俺も加勢するぞ」
カグツチはずんずん歩いて中央に進み出ると、ヤヒコと背中合わせになった。その様子を見て、重臣たちも手を叩いて囃し立てた。熊のような体格のカグツチと、しなやかに鍛え上げられた肉体を持つヤヒコ。実際、この二人の姿は絵になる。座は大盛り上がりとなった。
ヒミコも今は笑顔を取り戻していた。明るい性格のこの兄がヒミコは大好きだった。今回も殺伐とした雰囲気がこの兄の登場で一気に和やかになった。兄に救われた気分になった。
「「えい!」」
ヤヒコとカグツチは息もぴったりと合わせて同時に動き出す。まるで長年戦場で戦った同志のように連動した動きを見せて、脳内で二人が思い描いた敵を一人、また一人と倒していく。
「てりゃー」
「とー」
掛け声と共に剣が空を切り裂く音が鳴り、その一挙手一投足が見る者の目を惹きつける。
思う存分舞ったところで、まずはカグツチが床に座り込んだ。肩で息をしている。しかし、顔は満面の笑みだ。
「はぁはぁはぁ。いやー、少し飲み過ぎたかな。しかし、楽しかった」
ヤヒコもカグツチに向き合う形で座り込んだ。
「俺もです。こんなに楽しい宴会は久しぶりです」
「ヤヒコよ。俺はおまえを気に入った。困ったことがあったら俺を頼れ」
「ありがとうございます。こんなに嬉しいことはありません」
ヒミコがカグツチの側に歩いてきた。音もなく緩やかに歩く姿はまるで天女が舞い降りたかのようだ。
「兄上、動いたから余計に酔いが回ったのではありませんか?」
「はぁはぁはぁ、そうかもしれんな。まぁ、今日は許せ。愉快でたまらんのだ」
ヒミコはカグツチの後ろに回ると、背中に手を当てて何事かを口ずさんだ。ふわぁっと柔らかな光がヒミコの手の平に満ちて、カグツチの背中を包んでいく。すると、徐々にカグツチの呼吸は穏やかになっていった。
「あぁ、だいぶ楽になった」
「良かった。ヤヒコ殿にもやってさし上げましょうか?」
「お、俺は……」
かぁっとヤヒコの顔が赤くなった。
「ヒミコ、やめておけ。ヤヒコはおまえに触れられるとますます酔いが進みそうだ」
「まぁ」
満座が笑いに包まれて、宴席は盛況のままお開きとなった。
◇ ◇ ◇
翌日。イワタツは二十名ほどの従者を引き連れて領国のソナ国へと帰ることとなった。ヤヒコはいよいよ父とお別れになる。ヤマト国の中心にある客室から南門まで歩く。見送りのためにヤマト国側からも長老のヒバリや王族を代表して第二王子カグツチが共についていった。皆は昨日の宴席のおかげもあって、すっかり打ち解けていた。
「カグツチ殿、ヤヒコのことをよろしくお願いします」
「任せてください。我が弟と思って可愛がります」
「父上、安心してください。もうカグツチ殿とは長年兄弟として暮らしてきたような気分になりました」
「それは良かった」
イワタツは少しさみしい表情で笑った。そして、それを誤魔化すために周囲に目を向けた。
「改めて見てみると、やはりこの国は大きいですな。この数の民を養うにはかなりの食料が必要でしょうね」
高床式倉庫だけでも一体どれだけの数があるのか、ここから見渡せる範囲だけでも数十はありそうだ。自分たちが寝泊まりした建物や王の建物、謁見の間などはひときわ大きい二層の高床式になっている。さらにそれらは頑丈な柵で守られている。その外を守るように連なる重臣たちの家は大きいとは言え竪穴式となっており、身分の差がはっきりと示されている。庶民の小さな竪穴式住居を合わせれば、五千は軽く超えるだろう。
ヒバリは微笑みながら答えた。
「いや、逆でしょうな。これだけの食料が採れるから民が集まった。まずは国の基は食の確保といえましょう」
「なるほど、我が国も水田の開発をもっと行わなければなりません」
門の前までやってきた。この門にしても立派だ。門の両脇には櫓が建てられており、いくさの折には敵に矢の雨を降らせられるようになっている。ここでイワタツは振り返って皆にあいさつをした。
「では、ここでお別れといたしましょう。ヤヒコ、達者でな。姫様をしっかりとお守りするのだぞ」
「はい、ご安心ください。立派に役目を果たしてみせます」
「カグツチ殿、ヒバリ殿、いずれまたお会いしましょう」
「なんだか、叔父と離れ離れになるような心持ちだ」
「ははは、そう言っていただくと私も名残惜しい。ヒバリ殿もお元気で」
「うむ。イワタツ殿、道中お気をつけてな」
「ありがとうございます」
「父上、もう少し送ります」
強気なことを言っていても、やはり寂しいのだろう。ヤヒコは門を出てからしばらく父に付いて歩く。
カグツチとヒバリは父子の会話を邪魔しないようにここで引き上げた。
イワタツが先を歩き、ヤヒコが後をついて行く。従者たちはその前後を挟んで警護の態勢を作る。父の背中を追いつつもヤヒコはなんと声をかけたら良いかわからなかった。すると、父の方から思いがけない言葉が発せられた。
「ヤヒコ、ヒミコ様を口説き落とせ」
「は? 今なんと……」
イワタツは立ち止まって、振り向いた。そして、息子にしっかりと言い聞かせるようにもう一度繰り返した。
「ヒミコ様を口説けと言ったのだ。昨日の様子では、おまえはヒミコ様に一目惚れしているだろう?」
「し、しかし……」
ヤヒコはうつむいたまま返答しない。耳まで真っ赤にしている。
「一国の王子と王女だ。誰も咎め立てはしまい」
「ヒミコ様にだって、選ぶ権利はあります」
「だから、口説けと言っている。ヒミコ様は大変な器量だ。美しさだけでなく、優しさもそなえ、巫術にも長けている。そのヒミコ様と縁を結んで、我らがヤマト国と縁戚となれば、我が国は安泰だ」
ヤヒコはヒミコの姿形を思い浮かべた。あんなに綺麗な人と恋人になれたらどんなにか嬉しいか。でも、引け目も感じる。何かヒミコに対して近寄りがたい神々しさを感じてしまうのだ。
「考えておきます」
「ああ。いずれ……来年にでもまた来よう。達者で暮らせよ」
「はい」
ヤヒコはため息をついた。イワタツもそれ以上は無理強いはせずにその場を後にした。




