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卑弥呼伝 〜最強の精霊使いが女王になるまでの物語〜  作者: 山本 正彦
第一部 倭国大乱編
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第十七話 クス国のトビスケ

 一人の少年が道を歩いている。ボロ布を体に巻きつけただけのかなりみすぼらしい身なりだ。履き物も履いておらず、素足のままだ。このあたりはクス川の渓流に沿った道で、絶えずせせらぎが聞こえてくる。彼はトビスケという名で、この川を下った先にあるクス国(現在の大分県玖珠郡玖珠町)の住人だ。

 彼の母親は病弱で、今も臥せっている。ある人からユフ(現在の大分県由布市)のあたりには咳止めの良い薬があると聞いた。彼は二日ほど歩いてユフまで出向いた。今はその帰り道だ。

 腰には竹筒をぶら下げている。それを手に取ると軽く揺すって中身を確かめた。

 

「もうねぇな」


 空からは真夏の日差しが降り注いでいる。猛烈な暑さだ。弥生時代は現代よりも温暖な気候だったらしい。たとえば、『魏志倭人伝』には『倭人は夏冬関係なく一年を通して生野菜を食べている』と記されている。海水面も今よりも高く、海がだいぶ内陸まで入り込んでいたらしい。


「ああ、暑っ」


 我慢できなくなった。彼は川へ向かって歩いていった。歩きながら身に着けている服や持ち物をぽんぽんと投げ出して川へ飛び込んだ。


「ふぅ。気持ちいい」


 生き返った心地がする。川の中にはたくさんの魚が泳ぎまわっている。ちょうど腹も減っていたところだ。トビスケは川に潜って魚を探し始めた。


「おや、大きな魚かと思ったら、人だったか」


 夢中で魚を追っていて人が近づいてきていたことに気付かなかった。見ると、川岸には老人が立っていた。白い服を身にまとった白髪の老人はまるで仙人のようだ。


「ハハハハ、俺の背が低いからってそれはないだろ。魚を獲ってんだよ。爺さんの分も獲ってやろうか」

「いやぁ、さっき腹ごしらえをしたばかりでね。お気持ちだけいただいておくよ。それより、水をくみたいんだが、この竹筒にくんでくれないかね」

「ああ、いいよ。こっちまで来ることはねぇよ。この辺は足元がぬかるんでるから爺さんじゃ危ないぜ。竹筒を投げてくれよ」


 老人は竹筒を投げてよこした。しかし、その手つきも危ない。よくもこの猛暑の中、ここまで歩いてきたものだ。トビスケは竹筒に水を組むと老人の元まで歩いて行った。


「じいさん、どこまで行くんだい? この暑さの中を出歩いちゃ危ないぜ」

半夏はんげという薬を手に入れたいと思ってね。ユフあたりまで行けば手に入ると聞いたんだが」

「なんだ。それなら俺が持ってるよ。半分分けてやらぁ」

「いいのかい?」

「なぁに、なくなったらまた買いに行けばいいんだ」

「そうかい。代わりと言っちゃなんだが、この短刀をやろう。わしはこう見えて若い頃は腕のいい兵士だったんだ」


 トビスケは短刀を受け取った。青緑色の鈍い光を放つ青銅でできた短刀だ。近年は鉄製の武器が大陸から入ってきて、大国であるヤマト国などは大量に揃えていると聞く。青銅製の短刀はそれらに比べると切れ味の悪い古臭い武器でしかない。


「へぇ。爺さんに負ける敵なんていそうもないが……」

「怪我をしてねぇ。それからはいくさに出ることもなくなった。今じゃ婆さんと二人寂しく余生を過ごすのみだ」

「じゃあ、遠慮なく貰っておくよ。でも、こいつじゃ魚をさばくくらいにしか使えなそうだけど」

「ハハハハ、武器も使いようだよ。まだまだ使えるさ」


 老人は笑いながらその場を後にした。トビスケは手を上げて別れのあいさつをすると魚をまた捕り始めた。


   ◇ ◇ ◇


 そこからやや上流にさかのぼったあたり。岩に腰掛けた男が木の箱の中からひと粒の真珠を取り出して人差し指と親指で挟むと、天にかざすように見上げた。

 

「今年の真珠は質がいいな」


 確かに彼が手にしている真珠は巻きが厚く、独特の赤みを帯びた柔らかな光沢を放っている。傷もなく、形にも歪みがない。これならば大きな商いが期待できそうだ。

 男は見たところ、三十代半ばくらい。かなりの肥満体だ。恰幅のいい体には夏の暑さがこたえるようだ。ちょうど木陰に手頃な岩があるのを見つけて座り込んだところだ。しかし、滝のような汗はなかなか止まらない。


「ふぅ。こう暑くちゃ長くは歩けんな。水をくれ」

「へぇ」


 二人の従者のうち小柄な方の男が竹筒を手渡した。すると、男は中の水を一気に飲み干した。


「はぁ、生き返った」

「真珠に汗は良くないでやすよ」

「そうだな。拭いておくよ」


 汗はまだ引かないが、水を飲んだことで多少はくつろげたようだ。ふうーっと大きく息を吐き出すと岩に身をあずけた。彼は九州北部から四国西部にかけて幅広く交易を行ってきた。今回は九州と四国の境にある豊後水道から四国へ渡り、ウワ国(現在の愛媛県宇和島市)で真珠を入手した。そして再び九州に上陸して山道を西へ向かっている。


 もう一人の従者は護衛だろう。引き締まった大柄な体にはところどころ傷跡がある。歴戦の勇者といった風貌だ。


「このあとはヤマト国へ参られますか」

「そうだな。裏取引で真珠と交換に武器を手に入れる」

「そんなことが可能なのですか?」

「ああ、クナ国の息がかかった者がヤマト国に潜んでいる。運び人も彼らが手配してくれる」

「危険な取引では?」


 護衛にとっては商人が何を取引しようが関係はないだろう。ただ、体を張って商人を守らなくてはならない立場上、ヤマト国の兵といざこざが起こるのは面倒なことだ。


「大きな儲けが期待できる取引には危険はつきものさ。それに、最近ヤマト国は勢力を伸ばしている。だから敵対国に武器を横流しする。奴らには少し痛い目にあってもらおう」

「ヤマト国が強いなら、彼らに恩を売っておいた方が良い気もしますが……」

「戦乱が収まってしまっては困るのだ。戦争は大きく儲ける手段だよ」


 護衛は表情を曇らせた。やっかいなことが起こりそうだと感じたか。


「いやぁ、暑いですな。今しがた水をくんだところですが、これではまたすぐに飲み干しそうですわい」


 ふいに話しかけられて商人たちはぎょっとした。振り返ると白髪頭の老人が笑顔でこちらを見ている。商人は内心を覚られないようにさっと柔和な笑顔で隠した。


「はははは。失礼だが、そのお年では暑さがこたえるでしょう」

「なぁに。これでも去年よりはまだ楽な方ですよ。今年はだいぶ日が隠れることが多い」

「そうですなぁ。今日はともかく、今年は気候がおかしい」


 商人は水を飲み終わって空になった竹筒をずいと突き付けるように小柄な方の従者に返した。従者は老人に顔を向けて話しかけた。これも満面の笑みだ。


「どこか水をくみやすい所がありますかね。あっしは泳げないもんで、水が怖くて……」

「ああ、すぐそこですよ。教えてあげましょう」


 従者と老人は川へ下りていった。

 商人の顔から笑顔が消えた。むしろ険悪な表情になっている。


「警戒が足りなかったな」

「申し訳ありません」

「謝るなら、あの年寄りに謝るべきだな。もっとも、あれだけ生きたら十分だろうが」

「はい……ところで、ヤマト国へ行く前に手前のクス国で一泊したほうが良さそうです。これからヤマト国へ向かっても日がく暮れてしまうでしょう」

「ああ。クスからヒタ、ヤマト……山道が続くな」

「道中、イノシシなどが出るかも知れません。警戒はしますが、ご自分でも気をつけてください」

「わかった」

「お待たせしやした」


 水をくみ終わった従者が戻ってきた。しかし、老人の姿は見当たらない。だが、他の二人は当たり前のようにそこには触れない。


「済んだか」

「へい。年寄りなんか楽なもんです」

「よし。行こうか」

「クス国でなにか美味いもんを食いたいですねぇ」

「あそこの米はうまい。水がいいんだろうな」

「へへへ、楽しみだ」


 主従は何ごともなかったかのように雑談をしながら再び街道を歩き始めた。


   ◇ ◇ ◇


 トビスケは一部始終を見ていた。しばらく水に潜って魚を獲った後、薪になりそうな枯れ木を探していると声が聞こえてきた。思わず物陰に隠れたが、その時に商人たちの会話が聞こえたのだ。


(はあ? 戦乱が収まっては困るだって? ふざけたこと言ってやがる)


 そう思った矢先、老人の声が聞こえてきた。そして、従者らしき男がその老人を伴ってこちらへ近づいてくるではないか。トビスケは慌てて葦の茂みに身を隠した。

 その後の光景は衝撃だった。老人は声を上げるまもなく、短刀を首筋に突き立てられて倒れこんだ。手を下した男は顔色ひとつ変えていない。そして、そのまま元の道を引き返していった。

 トビスケはしばらく身動きができない。茂みから顔を出したら自分の存在がバレるかも知れない。そのままじっと息をひそめる。その間も老人の首筋からは血が流れ出している。

 

(あの爺さん、死んだかも知れねぇ。なんだあいつら。人を殺して平気で笑っていやがる)


 遠ざかっては行くが、まだ話し声は聞こえてくる。うかつに動くわけにはいかない。身を低くして、老人にゆっくりと近づいていく。


(おい、爺さん。しっかりしろ)


 体を揺さぶって小声で呼びかけたが反応がない。鼻に手を当てる。


(息をしてねぇ……)

 ふつふつと怒りの感情が湧き上がってきた。だが、一体なにができるのか。相手は大人が三人。自分にあるのは老人からもらった古臭い青銅の短刀のみだ。


『武器も使いようだよ』


 老人の言葉が頭の中に蘇ってきた。


(やってやろうじゃねぇか)


 トビスケは動き始めた。


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