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卑弥呼伝 〜最強の精霊使いが女王になるまでの物語〜  作者: 山本 正彦
第一部 倭国大乱編
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第一話 秘儀伝授

 祭壇を前にして、一人の人物が正座をしたまま精神を集中している。部屋は祭壇の他には何もなく、せいぜい四、五人も人が入ればいっぱいになるほどの広さだ。祭壇には火が焚かれ、ゆらゆらと炎が揺らめいている。日が沈み、部屋の外は暗闇に包まれているため、その明かりだけが頼りだ。ただ、火の大きさは十分あり、部屋の中を見渡すのに苦労はしない。

 白く柔らかな絹織物に身を包んだその人は華奢な肩や丸みを帯びた腰つきから女性と判る。艷やかな黒髪はうなじの辺りで束ねられ、背中まで伸びている。金の髪飾りが高貴な家の者であることを物語っている。


(女か……何をしているんだ?)


 その様子をわずかに開いた戸の隙間から覗いている少年がいた。春になったばかりの夜風は少し冷たい。しかし、夢中になって覗く少年にはそんなものは関係なかった。怪しげな儀式は少年の好奇心を満足させるのに十分なものがある。

 残念ながら少年の位置からは中の女性の顔を見ることはできない。ただ、強く握れば折れてしまうのではないかというくらい繊細な女性の指先には何やら布切れのようなものが挟まれているのが見える。小さく、皺一つない美しい手の様子から言って、彼女はまだ少女だと思われる。少女は祭壇の前で正座をしたまま雪のように白く滑らかな肌をやや上気させて何事かを小声で念じている。


「……火の力を持ち……我に……」


 少女が何を念じているのかは戸を隔てて離れた位置にいる少年の耳には届かない。ただ、かすかに聞こえる声から受ける印象はやはり幼さを感じさせる。


 その少女から少し離れた部屋の隅に正座して少女を見守っている人影がある。体つきからこれも女性と思われる。


「良いぞ。そのまま精神を集中させよ」


 話しかけた声や顔の様子からいって、もう一人の女性は老婆だろう。歳の頃は七十歳くらいか。深い皺を刻んだ顔には威厳がある。服装は少女と同じ絹織物だが、着古した感じなのは長年こういった役割を続けてきたからだろう。


「ふっ! えぇぇい!」


 詠唱が終わると、少女は不意に布切れに息を吹きかけて祭壇の炎に向かって投げ入れた。小さな布切れが投げ入れられただけにしては異様に大きく炎がゆらめく。


(なんだ!? 何が起こった?)


 少年は目を見開いた。見る見る内に炎が形を変え、大きな鳥のような姿を形取る。その背丈は人の倍はありそうだ。鳥は少女にのしかかるように炎の翼を広げて威圧した。燃え盛る炎の轟音がそのまま声となって放たれているような音が狭い部屋の中に響く。


「ワレを呼び出せしはその小娘か」

「いかにも。我が名はヒミコ。この世に安寧をもたらすために汝の力を貸せ」

「この世の安寧とは大きく出たな。年端のいかない女の分際で何ができる」


 少年同様に老婆も驚愕の表情を見せている。体を大きく仰け反らせ、右手を後方に回して体を支えた。


「い、いきなり火の王ではなく、火の神を呼び出しおった」


 老婆は動揺を隠せない。しかし、ヒミコと名乗った少女は尚も火の神と問答を続ける。その声はあどけない少女そのものだが、背筋をピンと伸ばして火の神とまっすぐに向かい合った姿には(りん)とした気高さが漂っている。


「年端がいかぬゆえにできることもある。年寄りが新しい流れを作ることはできまい?」

「人がこの世に生まれる以前からこの世を統べるワレにそれを説くか」

「永遠の命を持つ汝ならばより分かっておるだろう。今は世が乱れている。若者が変えねばならぬ」

「女の力でそれができるか?」

「女は無から命を生みだす。新しい世に必要なのはむしろ女じゃ」

「面白い小娘だ」


 火の神は老婆に顔を向けた。しかし、老婆は怯えるような素振りはみせない。


「この小娘はおまえの身内か?」

「うむ。我が甥の娘じゃ。」

「おまえの身内に呼び出されることになるとは、何の因果か……」

「……」


 どうやら老婆と火の神は旧知の仲のようだ。火の神はヒミコの瞳を覗きこむように顔を近づけた。


「よかろう。我が力、汝に貸そう。だが、使い方を誤れば、おのれの身を滅ぼすと肝に銘じよ」


 火の神はヒミコにそう告げると煙と共に消滅した。祭壇に燃えているのは元のような穏やかな炎だ。


(こいつら、ばけものを呼び出しやがった)


 少年は小声でつぶやいて、その場を逃げるように去っていった。



 火の神を呼び出した当のヒミコは、神が消滅すると気が抜けたようにその場に倒れこんだ。老婆が慌ててそれを受け止める。


「しっかりせい。ようやった。まさかここまで出来るとは……」

「ババ様、うまくいったのでしょうか……酷く……疲れました」


 ヒミコは虚ろな目をして、つぶやくように返事をするとそのまま気を失った。老婆は恐ろしい物を見るような複雑な表情をしてヒミコの寝顔を見つめた。


「この子は将来、国を救うのか、それとも滅ぼすのか……」


   ◇ ◇ ◇


 それから数刻の後、無数の建物が存在する強大な王国のほぼ中央。その中でもひときわ大きな高床式の建物の中で二つの国の王が対面していた。


「ソナ国王イワタツと申します。本日はお目通りが叶い、恐悦至極に存じます」


 平伏したままあいさつの口上を述べるイワタツを一段高い場所から傲然(ごうぜん)と見下しているもう一人の王は、じっとあぐらをかいて座ったまま微動だにしない。脇息に右肘をついたまま、床に這いつくばった二人の親子を眺めている表情には底知れぬ恐ろしさが感じられる。その手首には鮮やかな緑色をした翡翠ひすいの腕輪がはめられており、頭には金の王冠が輝いている。

 沈黙の時が流れる。しかし、王は言葉を発しない。まるで、地を這う毛虫に話しかける言葉などないとでも言わんばかりの表情だ。代わりにその横に控えている老婆が声を発した。


「遠路はるばる大儀。イザナギ様もお喜びである」

「ははぁ。この度は我が国がヤマト国の傘下に入ることをお許し頂き、まことに感謝いたします。つきましては、我が息子ヤヒコを陛下のお側に置いていただきたく、連れてまいりました」


 この瞬間、九州北部を勢力圏とするヤマト国連合と九州南部に勢力を張るクナ国連合の勢力争いのまっただ中にある小国──ソナ国──はヤマト国に味方することが決した。両陣営は約四十年に渡って戦いを繰り広げてきた。その周辺国は、いずれかに与するもの、中立を守るもの、両陣営の間を渡り歩くもの、滅ぼされるものなど様々な治乱攻防のかぎりを尽くしてきた。

 老婆はイワタツの横で平伏しているヤヒコに話しかけた。


「ヤヒコとやら、(おもて)を上げよ」

「はっ」

 

 ヤヒコはゆっくりと顔を上げ、老婆の顔を見た。思わずハッとした。老婆は先程ヒミコという少女と怪しげな儀式をしていたあの老婆だったのだ。


「まだ若いのぅ。いくつになる?」

「はい、十五になります」

「初陣は?」

「まだでございます」

「そうか、顔つきはなかなか凛々(りり)しいが……」

「日々鍛錬は怠らず行っております。先日成人の儀式も終えましたので、いつでも戦場に出られます」

「うむ、励むが良い」


 二人の会話を聞いて、ようやくヤマト国王イザナギが口を開いた。


「ヤヒコ、おまえには我が娘、ヒミコの護衛を命じる」

「お、お待ちください! 俺、いえ、私は陛下のお側で武功を立てたく……」


 ヤヒコがそこまで言ったところで、隣でひたすら平伏していたヤヒコの父、イワタツが慌てて左手でヤヒコの後頭部を押さえて無理やり床に押し付けた。


「王女様の護衛の任、我が息子が身命を賭して務め上げまする」

「ヒバリ、(うたげ)の用意をさせよ」

「はっ」


 イザナギはイワタツの言葉には返事をせず、老婆に一言だけ指示を出して部屋を後にした。


 極度の緊張状態にあった部屋は主が去った後もしんと静まり返ったままだ。その静寂を老婆の笑い声が破った。


「はっはっはっはっ。ヤヒコ、お主なかなか見どころがあるな。イザナギ様に口答えした者はこのババも覚えがないわ」

「口答えなどとんでもない! いや、とんでもございません!」

「はははは、よいよい。あれくらいで怒る王ではないわ」

「ただ、一刻も早く戦場に出て戦功を立てたいと思っておりました」

「その心意気はよい。イザナギ様には私が口添えしておこう」

「ありがとうございます」


 ヒバリの笑い声でだいぶ場の空気は和んだ。今はイワタツもヤヒコも顔を上げてヒバリと顔を合わせている。王へ口添えをするとの言葉を聞いてヤヒコの表情には笑顔が見えた。

 しかし、父のイワタツは別のことを懸念していた。これだけ高圧的な王の娘とは一体どんな娘なのだろうかという点だ。


「ヒバリ殿、ヤヒコが護衛につくということは王女様はご存知なのでしょうか?」

「今、私も初めて聞きました。姫様に伝える間もないですわい」

「ヤヒコはまだ年若く、礼儀もわきまえませぬ。王女様のご不快となりはしまいかと心配しております」

「その懸念は当たりますまい。安心してくだされ、姫様はお優しい方じゃ。それより、食事の用意をさせましょう。スズメ、スズメはおるか?」


 ヒバリは侍女を呼ぶと食事の担当者に宴の準備をするよう伝えさせた。


「イワタツ殿、宴の準備が整いしだいお呼びいたす。宴席には姫様も見えられる。それまでは控えの部屋でお待ちくだされ」

「わかりました」


 イワタツ、ヤヒコの親子は部屋を後にした。しかし外に出たあともイワタツの表情は硬いままだった。

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