第三章7
こちらを狙っている者、もしくは組織を逆に利用する。言うのは簡単だが実際にそれを行うとすれば一筋縄ではいかないだろう。そもそもどのように利用するつもりなのか。
それらについてアリスには考えがあるようだったが、さすがに話が大きい。エメリーヌも交えて意見の交換と具体的な行動について計画を練る必要があるだろう。
軽くアリスから内容を聞けば、成功すれば利益になることは俺にもわかった。失敗すれば当然のように大きく不利益を被るだろうことも。
だからこそ、エメリーヌが必要となるだろう。バルトリードとの融和についても彼女の考案であるし、俺たちの今後の動きも彼女からの指示である。
アリスも彼女の考えには賛成しているようだし、彼女の知恵が必要であることも承知してくれた。そのために早速フェリシーに動いてもらうことになる。
「すまないなフェリシー、先日定期連絡に行ってもらったばかりなのに」
「いえ、旦那様のお役に立てるのであれば、これくらいのことは……ただ、一つだけお願いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ、一つと言わず、なんでも言ってくれ」
「ふふ、ありがとうございます。ですが一つで十分ですよ」
謙虚なメイドだ。いや、メイドだから謙虚なのだろうか。極力主の手を煩わせることのないように謙虚であろうとするからこその仕える者ということなのかもしれない。
そうなのであれば、それはある意味彼らの生き様とも言えるものだ。本心からすればもう少し甘えてくれてもいいのだが、そのように言うことは彼のためにならない。
例えばプロの格闘家が減量しようとしているのに美味しい物を持っていくのは、ただの妨害行為でありがた迷惑である。それと似たようなことになりかねない。
ならば、自分から要求してくれているその一つのお願いというものに対して全力で応えるのが、彼に仕えてもらっている俺の役目だ。密かに気合をいれて彼の言葉を待つ。
「今は、フランと呼んでくださいまし」
「わかった、フラン」
上目遣いでおねだりするように甘く囁いてきたフランが可愛すぎて即答した。
両親からの期待に応え男として生きることも嫌いではないと言ったフランのことを俺は否定しない。しかし今の彼は完全に女の子だった。彼だけど女の子である。
俺にフランと呼ばれたことで花開くように笑った顔は、恋する女の子のものだったから。愛らしさに一瞬意識を持っていかれそうになるが耐える。この可愛さを認識し続けるために意識を失うわけにはいかない。何より彼の名前を呼ばなくてはならないからだ。
ささやかな要求だというのに、大それたことを言ってしまったように恥ずかしげに身を捩っているフランが本当にいじらしく見える。こちらをチラチラと確認するように盗み見ているのは期待しているからだろう。
「それじゃあフラン、今夜も頼むぞ」
「……はい、旦那様。お任せください」
俺がもう一度名前を呼び仕事を任せると、感じ入るように少しだけ目を閉じたあと、心底から幸せそうにこちらを見つめながらそう答えた。いくらでも名前を呼んでやりたい。
そんな俺たちの様子を見ながらアリスとクロエがひそひそと話している。それにフランも気がついたのか少しだけ不安げな表情を見せた。
話が終わったのか二人は連れ立ってフランを目指して近づいてくる。力なく俺の袖をフランが引っ張った。大丈夫だと言うように俺は彼の背中に手を添えて二人へ向けて少し押す。
「あぅ……お、お二人とも、なにか?」
胸の前で抱き抱えるように自分の手を握っている姿は完全に女の子のそれ。俺に押されて二人の前に出たフランは眉尻を下げながら二人の言葉を待つ。
「アリスちゃんからある程度の話は聞いてたけど……フェリシーちゃんは男の子だけど、リクさんのことが好きだし、可愛い格好とかもしてみたいんだよね?」
「は、はい……すみません」
責められたと思ったのか頭を下げるフラン。声のトーンや表情を見れば、ただの確認であることは俺でもわかるが、今の彼は一杯一杯なのだろう。
二人の様子からある程度のことを察した俺は、見守る態勢を決め込んだ。俺以外からはフランと呼ばれなくても構わないことがわかって暢気にほっこりできる程度には、彼を傷つけるようなことをしないと二人を信頼している。
「あはは、なんで謝るのさ。ボクたちはただ、ちょっと確認したいだけ。あとほら、ボクやアリスちゃんのことをチラチラ見てたよね。あれはボクたちの服を見て、可愛いなとか着てみたいなとか思ってた、ってことでいいのかな?」
「そう、です……」
改めて確認されて、それを肯定するのは恥ずかしいのだろう。まして交流するようになってまだ日も浅い女性に対してだ。それでも、もう彼は偽ることはしない。
俯いていた顔をあげて、フランはしっかりとクロエの目を見て答えた。
それに対してアリスとクロエは頷き合ってから、フランに向けて手を差し出した。
「では、買い物に出かけるときは、フェリシーさんも一緒に衣服や装飾品を見てまわりましょう。もう既に少しは買ってあるようですけど、オススメされたものだけですよね。自分が身につけたいと思ったものも、買えばいいと思います」
「それと防具のデザインなんかも要望があれば言ってね。メイド服の雰囲気を崩さないようにボクも考えて作らせてもらうから。まぁそのメイド服自体、冒険者御用達の店で買った逸品だから防具としての性能もあるだろうけど、やっぱり仲間の命を守る装備は自分で作ってあげたいとも思うからね」
さすがは女の子。俺では色々と気付けてあげられないところをフォローしてくれるのはとてもありがたい。女の子のことは女の子が一番わかる、真理だな。
フランは男でもあるが女でもある。男でもありたいし女でもありたい。そんな複雑な内心を理解して、歩み寄ってくれる二人のことが俺は誇らしいし、そうやってフランのことを考えてくれていることが嬉しくてたまらない。
嬉しくてだろう、フランは涙を浮かべていた。溢れたそれは頬を伝って流れていく。次々と落ちていくそれは手で拭ってもまるで足りない。
思わず歩み寄りそうになったが、今は俺が出る幕ではない。アリスとクロエが慰めるようにしてフランのことを抱き締めていた。それで耐えようとしていた感情が決壊したのだろう、彼はしゃがみこむようにして二人に抱きつき、声をあげて泣いた。
「ありがとう、ございます。ありがとうございます……!」
「お礼なんていりませんのに、私たちは当たり前のことを言っただけですよ」
「そうだよ……これからは今まで我慢してきたやりたいこと、たくさんやろうね」
「はい、はい……!」
まずい、俺も泣きそうだ。というかもう既に少しだけ涙が零れていた。見られると少し気恥ずかしいぞこれは。慌てて袖で乱暴に頬と目元を拭う。
拭き終わり顔をあげると、三人が生暖かい目でこちらを見ていた。やめて。その目やめて。しょうがないだろう、あんな光景見たら泣くに決まってる。
あれだろうか、これは大人気なくみっともない姿を晒してもいいやつだろうか。いい歳をした大人が拗ねてもいいやつだろうか。いや、さすがにやらないが。待てよ、そうしたらアリスはきっと最大限甘やかしてくれる気がする。やる価値はあるかもしれませんぜ。
間がな隙がな頭に浮かぶどうしようもない思考をぐるぐると回していると、三人が顔を見合わせてクスクスと笑った。どうしようか、さすがに顔が熱い。
しかし次の瞬間恥ずかしさは消え去った。それ以上の欲望が男という愚かな生き物を突き動かしたからだ。端的に言うと笑顔で三人が俺に向かって手を広げた。
そんなもの恥ずかしさなどすっぱり忘れて歩み寄り抱きしめるしかない。フランを真ん中にして左右にアリスとクロエが位置取り俺を待っている。
大きく腕を広げて三人まとめて抱きしめる。少し窮屈な状態であるが、その分三人の柔らかさが感じられるので幸福な窮屈さである。特にアリスとクロエから感じる柔らかさはいっそ暴力的である。山脈よありがとう、大自然よありがとう。
「私のことを思って泣いてくれたんですよね。そこまで私のことを思ってくれて、ありがとうございます旦那様。あなたに会えて、エメリーヌ様共々救ってもらえて、本当に幸せです」
「もうフランは大切な信徒で仲間だからな、当たり前のことだ」
先ほどまで過ぎっていたアホな思考を頭の隅に押しやってできる限り真面目な顔でフランの言葉に答えた。
しかしまぁ、これほど至近距離にいて、顔を見られているわけで。
「ただ、私に対してだけそういう反応がないというのは、寂しいのですが」
当然のようにばれる。拗ねたような顔すら可愛いので嫉妬されると嬉しく感じてしまうあたり俺はもう駄目かもしれない。いや、駄目だった。
寂しい思いをさせていることは理解しているので罪悪感も当然感じている。なので謝罪することに躊躇いはないし、むしろ嫉妬するほど思ってくれたうえ現状を受け入れてくれていることには感謝しかない。
「ごめんなさい、大きい柔らかさには勝てないんだ」
「……こ、こっちなら、私も大きいですよ」
フランがそう言いながら抱きしめている俺の手を尻に押し付けてきた。たしかにこれは、柔らかく大きい。どうやら俺は大切なことを忘れていたようだ。大事なのは胸だけではない。
気付きを得られたことは喜ばしいことだった。しかしフランの尻にばかり集中していれば今度は両脇の二人が頬を膨らませるのは当然のこと。手が六つほど欲しい。
神なんだしそのうち増えたりしないだろうか。異世界で神になり、地球の神をこんな理由で羨むことになるとは思わなかった。




