第三章6
外で続ける話でもなかったので、アリスから詳しい話を聞く前に家へと戻る。家の中に入る頃には既に日は落ちており、蝋燭に火を灯してからアリスとフェリシーが用意してくれたカップの中にお茶を創り出した。
光が瞬き、それがおさまるとカップの中には既に温かなお茶が入っている。もう何度も使っている奇跡の力であるが、いつ見ても不思議な光景である。
しかし、飲食物を出すこの力が手から溢れるように出てくるようなものだった場合、結構シュールな絵面になっていたな。そうならなくて良かったと思う反面、それもちょっと見てみたかった気がする。
そんなことを考えている間に全員が着席していた。それを確認してから、視線で先ほどの話の続きを促す。アリスはそれを受けて、一度紅茶で唇を湿らせてから話し始めた。
「私たちは彼女をその動きから訓練を受けた者であると推測しました。もしもそれが事実だったとすれば、彼女を鍛えた者か組織もまた存在しているはず。それが家族や、個人的に教えを受けた師などであれば正直なところ彼女と交流を続けても全く問題はないと判断します」
訓練を受けているというのに、素性を隠すためにただの子供の振りをしている。それが真実であるならば俺たちに対してなにか後ろ暗いところがあるわけだ。
だとすれば、それは俺たちにとって不都合なものである可能性が高いだろう。そのように認識しているからこそ、アリスは情報を抜かれたことにまで言及していたのだ。
しかし、個人であれば問題はないという、その根拠はなんなのか。
「個人であれば、亜人は弱いからです。これは戦闘能力という意味ではなく、立場としての話ですね。そして個人であれば、最近力を伸ばしてきていると噂されている私たちに接触する目的は基本的に考えれば大きく二つにわけられます。その庇護下に入るか、利用しようとしているか」
言いながらアリスは指を二本立てる。
立場が弱いからこそ、俺たちの内情を調べてから仲間に入ろうとしている可能性。そのために亜人であることを気にしないか、だとしてちゃんとした扱いを受けられるのかを密かに調べようとしている。なるほど、そういうことならば正体を隠すというのは必要な手段というわけだ。
そして利用しようとしている。これは俺たちの金銭や有名になってきた名前を使って不当に利益を得ようとしている、という意味合いだろう。単純に盗みを働いたり、俺たちの内情を詳しく探ってから名前を勝手に借りて俺たちと自身が関係者であると語り、得た情報を使ってその話の信憑性を高めたりなどといったところだろうか。
前者ならまだいいが、後者であれば問題はあると思うのだが。
「利用されるかもしれない。そう聞けば、当然危機感を持つでしょう。しかし私は既に言いましたよね、亜人の立場は弱い、と。利用しようとしたところで、私たちは既にそれを警戒しています。さらに冒険者としての等級があがったことで私たちの社会的信用はあがっていますし、ギルド職員に知り合いがいる。そんな私たちに対して何かしら悪意ある行動をしても、私たち側の証言が信用される可能性のほうがずっと高いわけです。最終手段になりますが、エメリーヌさんという貴族の味方もいるわけですしね」
なるほど。アリスの発言を聞いてわかった。例えば先ほど俺が懸念した、盗みを働かれる可能性。既に警戒しているから盗まれる可能性は低いし、もし盗まれたとして周囲に訴えかければ向こうからしたら探られたくない腹を探られることになり、痛手でしかないわけだ。
俺たちの名前を利用する場合も大体同じ。俺たちがそのことを否定すれば周囲は俺たちの発言の方を信用するだろう。しかし、ばっさりと言い切ったなアリス。
ちらりとクロエの方を見る。あまり良い気分はしないだろう。それはやはり、アリスもわかっていたようだ。クロエに向き直るとその頭を下げた。
「すみません、クロエさんには不愉快な話でしょうが……」
「え、なんで?」
しかしクロエはきょとんとした顔をして、首を傾げる。
然しものアリスもそれには驚いたようで肩から力が抜けて体が傾いている。
「なんで、って……私は亜人の立場が弱いと明言したのですよ。以前のグレゴワールさんたちの発言と似たようなものでしょう。あのときクロエさんは気分を害していました。だから今回も同じような気分にさせてしまっただろうと思い謝罪をと」
「うん、あのときはね。まぁ、あの人たちにはあの人たちなりの向き会い方があるってこの前わかったし、それはもういいんだよ。それで、アリスちゃんの言葉だけど、事実だもん。亜人の立場は弱い、それは否定できないから。それに、アリスちゃんはボクのことはちゃんとボクとして見てくれて、評価してくれてるよね。それがわかってるから、別に嫌な気分にはならないよ。説明のために必要な言葉だったとも思うしね。だから、そうだね……そうボクに思わせてくれて、ありがとう」
ぼーっとしたり、装備のことで楽しげに語ったりしているクロエばかり見ているから忘れていた。しかしそうだ、彼女は大人だった。同じくらいの小さな身長でも、アリスよりずっと大人なのだ。それを今の言葉を聞いて思い出した。
笑いながらアリスの言葉を受け入れ、あまつさえ感謝すらしてみせた彼女は、その小さな体躯でありながら、年下の子供の痛みを覚える言葉の正しさを受け入れるだけの包容力を感じさせた。いつもの力の抜けた無表情を忘れてしまいそうな柔らかな笑顔は、慈母の如しと言ったところか。
「あ、ぇ……は、はい。どういたし、まして?」
「あはは、どうして自信なさげなのさ。ほら、まだ話はあるんでしょ」
笑顔のままクロエが続きを促すと、軽く咳払いをしてアリスが頷く。その表情は嬉しいような恥ずかしいような曖昧な笑みの形になっており、少しだけ赤くなっていた。
その様子を見ながら俺とフェリシーは顔を見合わせて苦笑する。それに気付いたアリスは少しだけ睨むようにして俺たちに抗議の視線を向けたが、諦めたように溜息を吐いて背筋を正した。
「おほん……まぁ、そういうわけで、個人であれば接触を続けても大丈夫だと思います。むしろ目の届くところにいてもらったほうが、庇護下に入りたいのか、利用しようとしているのか判断がつきやすいですからね」
そこで一度言葉を区切り、ゆっくりと紅茶を飲む。
先ほどのやり取りもあって、少し落ち着きたいのだろう。それを理解しているから俺たちは彼女の言葉をゆっくりと待つ。
ややあってカップを置くと、アリスは改めて話を再開する。
「ただ、彼女がなんらかの組織の命令などで動いている場合は、話が変わってきます。その場合は、交流を続けてもいいではなく、交流を続けるべきだと思います」
「続けるべき?」
「組織として動いているのであれば、既に私たちはその組織から標的として捕捉されている可能性が高い。であれば彼女一人を遠ざけたところで別の誰かが送られてくるでしょうから意味はないと思います。むしろ彼女からその組織についての情報を探ることを考えたほうがいいかと」
「なるほどな……」
レリアとの交流を断ったところで、背後に組織がいるのであれば別の形で俺たちに探りをいれてくる可能性が高い。だったらまだ俺たちが正体に気付いていないと思っているだろうレリアと交流を続けて情報を得るために動いたほうがやりやすいというわけか。
個人だろうが組織だろうが、どちらにせよ交流を断つのは悪手だったようだ。よくよく考えてみれば、俺たちに対して何か企んでいるかもしれない相手を目の届かないところに遠ざけるというのは、たしかに怖いものがあるしな。
「とまぁ、ここまで言いましたが、あくまでもそういう可能性があるかもしれないというだけです。そんなことは全くないかもしれませんし、もっと突飛な可能性を考えれば、ただ強い者を殺したいだけの正体を隠した快楽殺人者かもしれない、なんてことだって言えてしまえますし」
本当に突飛だ。だがたしかに可能性なんてものは考えれば考えるほど、いくらでも思いつくものでもある。ここまで話し合ってきたが、アリス本人が言っているように、彼女が言っていたことが間違っていることも十分にあり得るのだ。
ただ、彼女たちがレリアに対して違和感を覚えたことは事実である。だったら彼女たちを信じて、警戒はしておくべきだろう。
「しかし、さっき言ってたことが当たっていた場合は、どうするんだ?」
「そうですね……庇護を求めているのであればそのまま受け入れるのも手だと思います。しかし個人でも組織でも、こちらを利用しようとして近づいてきたのであれば彼女から情報を得て、なんらかの組織が絡んでいる場合はその組織がどのような存在かにもよりますが……」
にやりと笑って指を立てると、アリスは言った。
「こちらが逆に利用してみる、というのはどうでしょう?」




