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祝福の鐘を鳴らしたら  作者: 古賀幸也
第三章 罪には罰と許しを与えること
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第三章1

 朝の冷気に頬を撫でられる感覚を覚えて目を覚ます。目覚ましなどないが最近はもう習慣になっているので、朝日が昇る頃には自然と起きられるようになっていた。

 ダンジョン探索や鍛錬により疲弊した体は自然と早い時間に寝入るようになってしまっているからという理由もあるかもしれない。夜に長く起きていてもあまりすることはないし、光源になるものが今のところ蝋燭しかないから節約するためにもさっさと寝てしまったほうがいい。就寝時間がそもそも早いのだ。

 そんなこともあり日が昇ってくる時間になると自然に目が覚めてしまうわけだ。ただそんな俺よりもいつも早起きしている者がいる。


「おはようございます、旦那様。お顔を出してください」


「あぁ、ありがとう……」


 言われた通りに顔を声の方向に向ける。いつも通りに水の入った桶にのばそうとした手をやんわりと握られて止められる。不思議に思って視線を向けようとすると濡れたタオルで丁寧に顔を拭かれた。

 今日はなんだかいつもより至れり尽くせりだ。そのまま仰向けにごろりと寝かされると毛布をどかされ、タオルを目のあたりにおいたまま歯まで磨かれる。


「どうぞ、水です。こぼさないように口に含んでください、ガラガラもしてくださいね……はい、横を向いてぺっ、です」


 背中に手を添えられ僅かに体を起こされてコップを口元へ持ってこられるので素直に中の水を口に含んでうがいをして、用意されているのだろう桶へ吐き出す。

 そのまま口内の洗浄が終わるとまた寝転がされ、腕をとられる。何かを削る音が響き、指の感覚から爪の手入れをされているのだと思い至った。丁寧な手つきと一定のリズムで繰り返される独特な爪の削られる音が、せっかく覚醒したはずの頭をうとうとさせてくる。

 ぼんやりとしてきた意識の中、いつの間にか両方の手の爪の手入れが終わっていたことに気がつく。僅かに聞こえたベッドの軋む音で、今自分が跨られていることもわかった。


「少しひんやりしますよ、目は瞑ったままで我慢してくださいね」


 顔にかかっていたタオルがどかされて、ローションのようなものだろうか、粘度のある液体を手のひらで塗りたくられ、ひやりとした感覚がした。それでまた眠りかけていた頭がはっきりとしていく。

 そこで気付いた。アリスの声と手ではない。俺への対応がアリスと似ているので完全にいつもと同じ調子でこちらも応じてしまっていた。


「……フラン、ここまでしてくれなくてもいいんだぞ?」


「いえ、従者たるもの、これくらいは当然かと」


 当然なのだろうか。多分フランの中では当然のことなのだろう。もしかしたら貴族の従者というのはこれくらいするのが普通なのかもしれない。凄いな貴族、凄いな従者。

 ひんやりとしていた粘液がフランの手で塗り広げられると、二人の体温でそれが生温かくなっていった。優しく柔らかい手つきで顔全体をマッサージされる。

 フランの手が額から頤までゆっくりと、顔全体を揉み解すように移動していく。つけられた粘液のおかげで引っかかるようなことはなく、滑らかな動きだ。

 もはや粘液は二人分の体温のおかげで温かなものになっていて、冷たさは少しも感じない。


「……気持ちいいな、これ」


「それは良かった。屋敷にいた頃はエメリーヌ様にもしてさしあげていて、好評だったのです。旦那様も気にいってくださるかと思ってやってみたのですが、喜んでいただけたようで何よりです」


 いつの間にか頭の下にもタオルが置かれていて、服が少しはだけられている。顔に置かれていた手がゆっくりと首を通り、肩や鎖骨も撫でるように揉みこまれる。

 視覚が閉じられているので、自然と彼の手に意識がいく。柔らかさは先ほどから感じていたが、何度も擦りつけられると肌のきめ細やかさや、手のひらや指が小さく細いことまで実感してしまう。


 それが丁寧に丁寧に、俺の肌の上を滑っていく。程よい力加減で体をほぐすように。静かな朝の時間、粘度の高い液体の独特な水音と、指に力を入れたときに自然にあがってしまっているフランの吐息混じりの声だけが耳を打つ。

 フランも夢中になっているのだろうか、前のめりになっているようで近づいてきた体の温かさを感じ取れるようだ。腰のあたりには既にフランの柔らかな尻が密着してしまっていた。


 気持ちがいい。それはたしかだ。フランが俺を思って労ってくれているという事実も嬉しい。それでも少しずつまずいことになっている。彼は悪くないのだ。俺が悪いのだ。

 しかし男という生物として俺は正しい。いや、繁殖を目的とした生物としては間違っているのだろうか。繁殖不可能な状況でまずいことになっているのは生物としてはまずいのか。


 否である。俺は否であると断言する。男という生物は己の浪漫に殉じる覚悟を持てることをこそ正しいと定義できる生物であると俺は信じている。

 フランとのこの時間を守るためならば、俺は命をかけて戦うことができるのか。できないわけがないのである。だからこそ抑えられぬほどのリビドーが溢れているのだから。


 頭が茹で上がっているのを自覚する。マッサージにより血行が良くなっているのもあるが、それとは別の意味で熱があがってきてしまっていた。

 自分を誤魔化すためにも、少し前から気になっていた質問を投げかける。


「俺が起きる前から、このための準備をしてくれてたのか?」


「んっ……えぇ、とはいえ準備を始める前から起きていたので、そのために早く起きたということではありません。気にしないでください」


 動かしている手を止めることなく、時折悩ましげな声をあげながらフランが答える。


「ちなみに、準備を始める前は何をしていたんだ?」


「旦那様の寝顔を眺めておりました」


 あぁ、アリスの同類が増えた。既にわかっていたことであったが、その言葉で確信が深まった。とても幸せそうに言われてはもう何も言えない。

 アリスもフランもごく自然なことのように言うのはなんなのだろうか。いつの間にか先ほどまで悶々としていた頭がそんな疑問に支配されていた。

 答えの出ない考えに頭を悩ませていると扉の開く音が聞こえた。アリスだろうか。


「これは……ふむ、なるほど」


 アリスの声だった。やはり彼女だったか。しかし何がなるほどなのだろうか。現状を見て何をなるほどと思うことがあるのだろうか。

 俺が困惑していると、閉じた視界の中でも足音で彼女が近づいてくるのがわかった。俺が寝転がりフランからマッサージを受けているベッドの前でその音が止まる。


「フェリシーさん、私にもそれ、教えていただけますか?」


「えぇ、勿論です」


 そういうことらしかった。どういうことだ。いや、マッサージを教えてもらいたいというのはわかった。しかしどういう経緯でそうなったんだ。フランも何が勿論なのか。

 プロ同士の会話は素人にはわからない。二人とも、もう少し言葉にしてくれ。いや、それはそれで少し困惑してしまうことになりそうではあるのだが。


「ではお教えするので、一緒にやりましょうか」


「是非……失礼しますね、リク様」


 もうどうにでもしてくれ。別に嫌ではないのだしな。マッサージそのものはとても気持ちがいいのだし、アリスもできるようになるのならむしろ歓迎である。

 俺は大人しく二人の手のひらで、顔や首などを思う存分撫で擦られ揉みこまれた。


「手の、マッサージは……ボクの、領分……」


 そしてクロエ、お前はいつの間にそこにいたんだ。手を握られるまで本当に気がつかなかったぞ。いや、日光を浴びているときはぼんやりとしていて本当に静かなことが多いのは知っているが。

 この日は何故か、体中を揉みくちゃにされることから一日が始まった。

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