エピローグ
控えめなノックの音が室内に響く。肩を跳ね上げさせて急いで離れようとするフランを捕まえて、ベッドまで移動してからそこに座り、彼は膝の上に座らせる。
振り返って涙目で無言の抗議を繰り返しているフランを無視して扉に視線を向けた。
「アリスだろう、入っていいぞ」
「はい、失礼します」
扉を開き静かに入室してからフランへと頭を下げるアリス。やはりいたようだ。実のところそんな気はしていた。
彼はアリスがここにいることや、何故頭を下げられているのかがわからず混乱していることだろう。小声で「え、え……?」と狼狽した声をあげている。
「まずはお詫びを、勝手にお二人の会話を聞いてしまいました。申し訳ありません」
それを聞いて、一瞬顔を真っ赤にするフラン。しかし胸に手を置いてから深く呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けたようだ。
真っ直ぐとアリスを見て、口を開く。
「あなたと同じ立場であれば、私も同じように行動していたでしょう。外から入ってきた新しい人員、それも戦闘訓練を受けている者と主が二人きりで秘密の会話となれば、監視も必要だと考えるのも理解できますしね」
「ご理解いただけたようでありがとうございます。ですが、感情的な面では納得しきれない部分もあるでしょう。望むことがあれば、できる限りさせてもらいますが」
「……旦那様のことが気になってしまうのは私も同じですよ」
「……感情的な面でも、共感してしまったというわけですか。重ねてありがとうございます」
なんだろう。アリスの仲間が増えたような気がする。クロエやエメリーヌも信徒という意味ではアリスの仲間だけれど、そういうことではなく。
先ほどまで膝上で顔を赤くしながら狼狽していたはずのフランが、一瞬にして圧倒的強者になってしまったような錯覚すら感じている。いや、俺が気付いていなかっただけなのか。
「おほんっ、とにかく、話はまとまったようで良かったです。それで、本来ならこのまま立ち去るべきだと思ったのですが、これは伝えておくべきだと思いましたので。リク様、今夜はどうぞフランさんと一緒に寝てあげてください」
「アリスさん……」
「今まで耐えてきたのでしょう? 私なら発狂ものです。よく頑張りましたね」
「はい……ありがとう、ございます」
待ってほしい。なんだかとてもいい雰囲気になっているのだけど待ってほしい。お互いだけで色々と分かり合わないでほしい。
俺の専門家とかプロみたいな顔で、無駄に言葉にはしないのだ、みたいな空気にならないでほしい。いや、やってもいいけれど、目の前の俺を置いてけぼりにはしないでくれ。
そんな言葉にならない俺の願いは聞き届けられることなく、アリスはフランと視線だけで意思を交わすと、俺へ一礼してから背中を向けて部屋から去っていった。
発狂ものってどういうことなのだろう。
「……旦那様」
「ん、なんだ……?」
ぐるぐると思考がまわっていたが、フランの言葉でそれを止める。さすがにもう、アリスのいき過ぎた感情について凡人の俺があれこれ考えたところで正解は掴みとれないことは理解しているからな。
思考を切り替え、目の前に集中する。気がつくとフランが俺の膝の上で体の向きを変えてこちらを見上げていた。そのままぽすりと胸元へ顔を落とす。
「寝るときは、抱き締めてもらったままがいいのですが……」
「わかった」
ベッドへ体を横たえながら、フランの体を受け止めるようにして抱き締める。そのまま毛布を引き寄せて、二人の体を包むように広げた。
こうして全身で密着していると、本当に男なのかと疑いたくなるほど柔らかい体をしていることがわかってしまう。思わず触れている二の腕などを撫でてしまった。
「ん……」
小さく、震えた声をフランがあげる。小鳥が囀るような透き通った声。しかし今は、その中にほんの少し、けれど確実に艶っぽさが含まれていた。
血がのぼってくる感覚を覚えて軽く頭を振るう。どうにか少しだけ手を彼の体から離そうとすると、その手を掴まれた。そっと、撫でるように。
「私のわがままを聞いてもらっているので、旦那様も、お好きなように……」
恥ずかしげにそう言う彼は、本当にいじらしい少女のようだった。
だから、離してしまっていた手を戻して、強く抱き締める。
そのまま頭や背中を緩やかに撫で、お互いに身を委ねるようにして脱力していった。今日も心身共に温かく、よく寝られそうだ。
すべきことはまだ多くある。それでも、目先の問題だったフランとの関係はもう大丈夫だろう。少しくらいは穏やかな日常が続くはずだ。そんな風に考えながら、二人でベッドに隣り合い体が溶け合うような錯覚を覚えるほどに抱き合いながら眠りについた。
しかし、その翌日。今まで停滞していた事態が、急に動き出すことになるとは、このときの俺は気付くことができていないだけだったことがわかる。
まぁ、それも仕方がないことではある。何故なら俺は、可愛い少年メイドとイチャイチャしているだけだったのだから、そんなことに気付けるはずもないのだ。
だから、そんなことを知る由もない俺は、ただ大切な者の体温を感じていた。




