第二章45
俺の腕の中に可愛いメイドさんがいる。頬を赤くして幸せそうに抱きしめられているメイドさんだ。勇気を出して告白してくれたメイドさんである。
受け入れないという選択肢をとる必要があるだろうか。いや、ない。
折れてしまいそうな細い体をできる限り優しく、しかし強く抱き寄せる。フェリシーは一瞬体を強張らせるが、すぐに力を抜くと寄りかかるように体を預けられた。
頬をくすぐるように撫でれば、照れくさそうにはにかんで受け入れられる。そのまま顔を寄せれば少しだけ申し訳なさそうな顔をして、瞳を閉じた。未だ心の中に俺への罪悪感のようなものがあるのだろう。それを塗りつぶせてしまえるように強く唇を押し当てた。
そう、彼が感じているだろう罪悪感。同性を愛してしまったがゆえの苦悩。
国や人種が違えど、人間なんてものはそう変わらない。それは異なる世界だってそうなのだろう。だからこそ、俺の世界と同じように、そういった多数の者とは異なる性質を持った人間が生まれることだっておかしくはない。
基本的に多数とは違う性質を持った少数の者は排斥されたり異端視されることが多い。それもまた、同じだったのだろう。だからこそ、彼は怖がっていたのだ。
ユピス教徒たちによる事件のとき、フェリシーが言われていた意味がわかった。教義に背いた背教者。つまり少なくともユピス教にとって同性愛は禁忌とされているようだ。
汚してしまうという言葉も、そのあたりからきているのだろう。罪や穢れという括りの中に同性への愛があるわけだ。
誰かにとって都合良く作られた価値観の中で、異端とみなされた愛がそんな風に否定されている。それはとても悲しいことだ。
生理的嫌悪からくるものであれば、無理に迎合しろとは言わない。それは住み分けというものが必要になってくる。ただそのように決められているからと、誰かを愛するという思いが罪とされるのは間違っていると俺は思う。
今までそういった性的少数者の人と関わったことはなかったが、少なくとも俺はそれに対して悪感情を抱くことはなかったし、多数派の人たちと同じようにお互いを尊重し合えるパートナーと出会い、幸せになれたらいいなという認識だった。
そして実際に出会い、その気持ちを自身に向けられたところでやはり意見は変わらない。数が少ないというだけで、それは個性だ。世間で言う一般的な人と比べて、愛の形が少し違うだけ。それに悪感情を抱くなんてことは俺にはできないし、したくはない。
まして彼は俺の大事な信徒で仲間だ。そんな風に思うはずがない。
だから、他の信徒たちと同じように、俺のことを好きだと言ってくれるのであれば受け入れるという選択肢以外にない。可愛いしな。重要なところだ。
見た目は勿論のこと、失礼になってしまうかもしれないが、本当に男なのかと疑いたくなるほどに言動が可愛い。不安で一杯だったろうに、勇気を出しての精一杯の告白。そこから思いを溢れさせたような好きだという言葉。甘えるような仕草。不安を払ってほしいのだろう俺に受け入れる言葉を言わせたがっているような言葉。いじらしく告げられる思い。
それら全てが可愛いと言えるものだ。彼の様子から、まだ不安なのだろう。あれだけ真っ直ぐな思いをぶつけてくれたのだから、俺からも返すべきだ。それで彼の不安がやわらぐのであれば尚更だろう。
「……フランソワ」
自然に本名を呼んだ。ありのままの彼を受け止めたいと思ったからだろうか。
それに彼は驚いたように顔をあげたあと、もじもじとしてから小さく言葉を紡いだ。
「あ、あの……旦那様、そちらの名前で呼ぶのでしたら……旦那様さえよろしければ、フラン、と」
「わかった、フラン」
彼がねだった愛称で呼ぶと、体を震わせてから薄っすらと涙を浮かべて嬉しそうに頷いた。
「はい、なんでしょうか、旦那様」
「俺がお前を受け入れたのは、大切な信徒だからという理由だけじゃない」
その言葉に彼は首を傾げる。どういう意味なのかと不思議がるように。
自身が受け入れられた理由が、未だにわかっていないのかもしれない。なら不安を感じることのないように俺の気持ちをぶつけなければ。
「可愛いと素直に思ったからだ。そんな人に好意を告げられれば、それは嬉しいに決まっているだろう。怖かったろうに、勇気を出してくれて嬉しかった、というのはもう言ったな。そのあと精一杯に好意を伝えてくれたのも嬉しかった。キスや俺の言葉をねだって甘えているときなんて可愛すぎてどうしようかと思ったぞ。言葉と行動がどれもいじらしくて愛らしかったしな」
流れるように言葉が出てきた。それはつまり、本心だということだ。
そこまで言ってから気付く。フランが俯いて震えていることに。そして、もしかしたら俺は勘違いをしているのではないかということに。
同性を愛するという性質は、必ずしも自分が異性のようになりたいという願望とセットではない。自分の性別や振る舞いはそのままに、同性を愛する人だって当然いる。
彼もそうなのだとしたら、彼の振る舞いが意図したものではないとしたら。俺の言葉は彼を辱めるものになってしまうのではないか。
「……フラン、もしかして嫌だったか?」
少しだけ焦りながら、頬に手を添えて顔をあげさせる。彼はにへらと、頬を緩ませていた。頬を真っ赤にして、それはそれは嬉しそうに。
焦点の合っていなかった目がしばらくして俺をとらえ、顔を見られていることを自覚すると両手を振り乱す。顔を見られないようにわたわたと。
「ぁ、や、だ、駄目です。今は駄目です……あんなの嬉しすぎて、今の私は駄目になってしまっていますから、見てはいけません……」
「その反応がもう可愛いんだが」
手こそ振り乱しているけれど、俺の手から顔を逃そうとはしない。これが俺の手の感触から離れてしまうのが惜しいとかが理由だとまずいぞ。俺の未来がまた広がってしまう。
そのままじっと見ていると手の動きも緩やかになってきて、最後には止まってしまう。そのまま視線だけそらすように黙り込む。
「フランなら、簡単にこんなの抜け出せるだろう」
「い、嫌です……せっかく旦那様に、触れていただいているのに……」
はいもう駄目。いじらしすぎる。受け入れて良かったよくやった少し前の俺。
頬から手を離す。一瞬の寂しそうな表情。それを笑顔にしたくて力一杯抱きしめた。
素直に抱き返してくれたフランを腕の中にとらえたまま訊ねる。
「少し確認がしたい、いいか?」
「はい、なんなりと、旦那様」
ただの質問だというのに、嬉しそうな声音。
弾んだ声で旦那様と耳元で呼ばれると、くすぐったさと同時に喜悦をも感じた。
「お前の恋愛対象は男性、それはわかった。なら、自分自身はどうありたいんだ。女性のようになりたいのか、男のままでいたいのか」
俺がそう聞くと、フランは悩ましげに小さく唸った。難しいことを聞いていることは俺にもわかる。
デリケートな問題でもある。本人にも言葉にし辛いところがあるだろうしな。それでも確認は必要だと思うので、質問の訂正や取り消しはしない。
「可愛く着飾るのは、好きです。可愛いものも好きです。でも女性になりたいかと言われると、少し違う気もします」
「というと?」
「小さい頃は女の子になりたい、とも思っていたかもしれません。ですが男らしくあれという両親からの期待に応えるのも、嫌ではなかったのです。エメリーヌ様をお守りできることは嬉しくも誇らしくもありましたから」
そう言って昔を懐かしむように話すフランの声音は自然なもので……家族やエメリーヌは安心できる相手なのだろうと感じた。
「なので、男性でもありたいし、女性のように可愛くもなりたいというのが正確なところでしょうか……我が侭、ですかね」
そう言ってから、少し体を離して目と目を合わせる。フランは、少し困ったような顔をしていた。なにかをねだるような目。それをもう俺は知っている。
だから、俺は言う。
「いいじゃないか、我が侭で。それがお前なんだから。それを望んだのはお前なんだから。お前はそうありたいんだろう? じゃあ、俺がそうあれるように支えるよ」
俺の言葉を聞き終わると、飛びつくようにして抱きつかれる。すりすりと頬ずりをされながら背中に手をまわして支えるようにこちらからも抱きしめた。
満足のいく言葉だったのだろう、本当に嬉しそうな様子にこちらも笑顔になる。
二人ともたしかに今笑っている、そして幸福だった。
だから、この愛は間違いじゃない。この愛も間違いじゃない。
世界には様々な形の愛があっていいのだと、改めて思った。教義を作ったときに二つ目に主張するべきことも決まったな。
愛を許容すること。
注釈を入れるとしたら、こんなところだろうか。
ただし、無理はせず、住み分けの必要性も考えること。




