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祝福の鐘を鳴らしたら  作者: 古賀幸也
第二章 愛を許容すること
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第二章43

 私の言葉に頷いて、エメリーヌ様がふわりと私を抱きしめる。


「言えるじゃないの、あとはそれをあの方にも伝えればいいわ」


「それが一番難しいと思いますが……頑張ります。でも、いいのですか?」


 いいのですか。そこには色々な意味がこもっている。愛する人に言い寄る人間が増えること。自分の従者が世間から奇異の目で見られるだろう道に進むこと。旦那様を困らせることになるかもしれないということ。本当に色々な意味が。

 その質問に彼女は私に頬ずりをしながら悩ましげに答える。


「それはまぁ、複雑よ。大事で可愛い従者が私の手元を離れていくのだもの……」


「あ、あの、私は真面目に聞いていてですね……」


 別に嫌ではないので突き放したりはせず、されるがまま。誤魔化されたような答えに少し怒りたくもなるけれど、大事で可愛い従者というのは本心だろうと思うと、嬉しくもなる。

 少しだけ背伸びをして私の頬に自分の頬をくっつけようとする彼女に、幼い頃の無邪気さを思い出して微笑ましくなる。

 そして、自分の身長が縮んでいることを実感した。少し、嬉しい。


「真面目に答えているのだけどね……あなたの背を押すことで私が一番悩ましく感じるのはそこだもの。あなたが考えているだろう他のことについては、些細なことでしかないわ」


「さ、些細……旦那様に侍る人間が増えるかもしれないのですよ?」


「あの方は神よ。いえ、神になろうと足掻いている人よ。今後も必死に救われ心奪われる人なんて大勢現れるでしょう。そしてあの方は救うと決めた以上拒絶できないわ。人間同士の男女関係を当て嵌めること自体、不適当なのよ。私たちは全員信徒でもあるのだからね」


「わ、割り切っているわけですか、さすがはエメリーヌ様……」


 やはり、貴族としての生まれもあるのだろう。自身の気持ちと家の問題は別。そういった価値観に慣れているからこそ、平然としていられるのかもしれない。

 私は理解はできるだろうけれど、納得はできないと思う。旦那様に受け入れられたわけでもないというのに、アリスさんたちに密かに嫉妬なんてしてしまっているのだから。


 ただ、もし受け入れてもらえるのであれば、多少のことは我慢できると思う。普通の人にとって私のような人間は本来受け入れがたい存在。それをどのような理由があったとして、受け入れてもらえたのであれば、それだけで幸福だと思えるから。

 そんな風に考えて、そういった背景なく割り切れるエメリーヌ様を凄いなと見つめる。


「え、割り切れるわけないでしょう。あの方に私を見てもらうための努力はするわ。他の人のところにばかりいられたら寂しいものね。それはそれ、これはこれよ」


「あ、はい……」


 思わず力無い声が漏れてしまった。この人は根は気が弱いのに強かというか。

 そんな私の視線に気がついたのか、エメリーヌ様が体を離してこちらを見ると薄く笑った。


「これも私だってね、受け入れることにしたの。お母様の血は思ったよりずっと濃いみたいだし、いつまでも無視していられない。それに、女としての武器なんて今まではいらないと思っていたけれど、それを使ってでも振り向かせたい人ができてしまったから」


 どこか悪戯っぽく、そして幸せそうに微笑む彼女は私から見ても魅力的に見えた。長い髪の毛の間から見えた紫水晶の瞳は、いつかの頃のように輝いている。

 それを見て、少なくとも彼女はこれでいいのだと思っていることを理解した。嫉妬する心すら楽しんでいる。嫉妬できるほどの相手が現れたことに、喜んでいるのだろう。


「はぁ……わかりました。けれど、まだありますよ? 私が男だということが、フランソワという人間だということが露見した場合、エメリーヌ様にも影響が……」


「言わせておけばいいわ。あなたが大切な従者で友人であることは変わらないもの」


「……本当に、素晴らしい主を、そして友人を持ったものです」


「ふふ、そうでしょう……? それで、他にもなにかあって?」


 得意げな顔をして笑いながら、手のひらをこちらに向ける。


「もう一度似たようなことを言いますが、旦那様が困ると思うのです。たしかに隠したままでいては気に病まれるかもしれません。ですが正直にそのまま伝えるのは……」


「ではもう一度言いましょうか。あの方はそれほど狭量ではないと思うわ。どのように受け止めるかはわからない。けれど突き放すことだけは絶対にしないでしょう」


 確信をもった言葉だった。それはきっと、自分が受け止められたからに違いない。

 そう考えると、目の前の主にまで、嫉妬の感情がわいてきてしまう。女性らしい体つきをした貴族の子女。それだけでも、男性が思わず抱きしめたくなるような人だ。

 そして今は、もっともっと魅力的になっている。旦那様も彼女ならば何を言っても喜んで受け止めるだろうな、なんてことまで浮かんできてしまう。


「……フランソワ」


 むにぃー。頬を引っ張られる。私は今どんな顔をしているのだろう。

 エメリーヌ様は、笑っている。優しげに、私を見つめながら笑っていた。


「お互いに、とっても可愛くなったわよね」


「……そう、ですね。お嬢様は髪のおかげで変化があまり目立っていませんが、以前よりずっと愛らしくなったと思います。私にいたっては同一人物だと気付くのが難しいくらい」


「ふふ、以前は私は地味な顔つきだったし、あなたは男っぽさが残っていたものねぇ」


「ご自分で言うのですか、そういうことを」


「言うわよ、だって理想の姿になれたってことじゃない。以前の自分とは違う、なりたかった自分になれたってことでしょう。自信を持てるような、自分に」


 そう言って、彼女は引っ張っていた頬から手を離して、額に指を当ててくる。

 自分がなれたのだから、きっとあなたもそうなれる。そんなことを言われた気がした。


「あなたは今、とっても可愛い。私が保証してあげる。男性に守られて、受け止められて、抱きしめられて……そんな姿が似合うような、可愛い子」


「……旦那様も、可愛いと思ってくれているでしょうか」


「多分、思ってるのではないかしら。そういうところ、節操がなさそうだし」


「ふっ、くく……酷いですよ、エメリーヌ様。まぁ、たしかにそうかもしれませんけど」


 思わず、笑ってしまう。酷いと思えど、わかってしまった。神として威厳ある姿であろうと頑張ったりもしているけれど、あの人は基本的に俗っぽい。

 アリスさんやクロエさんの誘惑にあっさりと負けてしまう。少しの間悩むように我慢するけれど、すぐに頷く姿を何度も見た。外では自重しているけれど、家では弱すぎる。


 本当にそういうところがだらしなくて……でも、私たちのために必死になってくれる人。いつでも私たちのことを気にかけてくれる人。私たちに、優しくしてくれる人。

 簡単なことだったのかもしれない。あの人のそういうところが好きなのだから、自分が好きになった人を信じれば良かったんだ。


「もう、大丈夫みたいね。本来のお仕事に戻れるかしら?」


「はい。とはいえ、報告できることはあまりないのですが……」


 言われてすぐさま思考を切り替える。屋敷まできた本来の目的は、町で得た情報をエメリーヌ様に伝える、旦那様たちとの連絡役としての仕事をこなすこと。

 けれど、今言ったように未だ亜人たちの領土であるバルトリードに関する情報は集まっていない。大っぴらにバルトリードのことをそのまま聞いてまわるわけにもいかないので、そう簡単に事態が進展するはずもないけれど。


「なるほどね……でもそのうち情報は手に入ると思う。いえ、向こう側から接触してくる可能性もあるわ。バルトリード側も王国の情報を探っているでしょうし、自分たちのことに感づいている人間がいることに気付けば、なにかしらの行動は起こすはず。ただそれが良いものである可能性は低いだろうから……」


「はい、街中でも警戒は怠らないようにしますね」


 みなまで言われずとも意図を汲み、答えながら頷く。それにエメリーヌ様は任せたわよと微笑んだ。続いてエメリーヌ様側の近況も聞くことになり、未だに彼女の変化についてはバレていないことがわかった。

 もともと身の回りの世話はエメリーヌ様の派閥のメイドたちがしているし、あちら側にとってはエメリーヌ様個人に興味はなく、注意すべきはその背景だけなのだろう。エメリーヌ様自身や、周りの使用人たちの立ちまわりもあり、今のところは大丈夫らしい。


「それにバレたとしても、男を漁り始めた浅ましい貴族の子女が、自分を偽るためにお高い法具にでも手を出したのだろう、とでも思わせておけばいいわ」


「もともと、冒険者を呼び寄せる口実のために色々と偽る予定ではありましたからね。従者としても友人としても複雑な気持ちではありますが」


「ふふ、ありがとう。でもいいのよ、何を言われても今更だし、あの方がいるから大丈夫」


 その言葉に嘘偽りはない。彼女の浮かべている晴れやかな笑顔を見ればわかる。

 さて、仕事を終え、相談も終わった。名残欲しいけれど夜のうちに帰らなければ。

 けれどその前に、言っておかなければいけないことがある。


「帰る前に、一つ言っておかなければいけないことがありました」


「あら、なにかしら」


「たとえどんなことがあったとしても……私があなたの手元から離れることはありませんよ。体は離れていたとしても、心はいつでもあなたの従者で友人ですからね。それでは、ありがとうございましたエメリーヌ様。おやすみなさいませ」


 彼女は驚いたように呆けた顔をした後、ゆっくりと嬉しそうな笑顔を浮かべた。そんな姿を尻目に窓から飛び出て音もなく地面に下り立つ。

 何度も頷きながら手を振り見送ってくれる彼女に、夜の暗闇の中を走りながら、こちらからも手を振り返した。

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