第二章41
私、フェリシーは旦那様のメイドである。しかしそれは偽名と表向きの肩書きだ。本名はフランソワ、エメリーヌ・ド・アルターニュ様の使用人をしている男だ。
そう、男である。男だというのに、今はメイドの格好なんてしているのだ。ただ、今現在の自分の姿を見ればそれも仕方ないことだと思える。
鍛えることで少しは太くなっていたはずの腕は以前と同じように……いや、最早それよりも細くなっている。腰や足、顔つきにいたるまで、まさしく少女のそれだ。
それが疎ましくもあるけれど……嬉しくもある。嬉しく感じてしまう自分がいる。そのあたりの複雑な感情の原因は、幼少期からの教育にあるのだと思う。
もともと私はアルターニュの本家で暮らす使用人一族の子供だった。両親もアルターニュの家に仕える使用人であり、当然のように私も使用人になるように育てられた。
幼少の頃は、同い年であるエメリーヌ様と共に過ごしていた。両親からは使用人らしく接するようにと言われていたが、彼女は友人のような関係を望んでいるようだった。
幼い私は、それを無邪気に喜んで、彼女と一緒によく遊んだものだ。幼い少女との遊びであり、なにより彼女は体が強くなく走り回ったりすることをしなかったので、遊びの内容は自然に少女らしいものになるのは当然のこと。
それに、普通ならば嫌々付き合ったりするのが普通なのだと思う。町でみかけた少年たちは木剣を振り回して騎士や冒険者の真似事をすることに夢中になっていたから。少女たちがするような、花を摘んだり、可愛らしい人形で遊んでみたり、おままごとに興じてみたりと、そういうものにはあまり興味がないのだと。
けれど、私は喜んでそれに付き合った。彼女の遊びに付き合うことを楽しみにしていた。色々と複雑な背景こそ持っていたが、父には可愛がられていた彼女は貴族らしく可愛らしい服などを多く持っていたので、それらを着せられて姉妹の役や親子の役などを演じながら、おままごとなどに興じたことを覚えている。
そのことを思い出すと、胸が温かくなると同時に、締め付けられる。
……おままごとに付き合う程度なら、まだ普通の少年でもするかもしれない。けれど少女が着るような愛らしい服を着せられて喜ぶ男は普通はいないだろう。
私は、喜んでいた。可愛いと褒められて、嬉しいと感じていた。それは、そう、まるで……本当の少女のように。
それは凡そ普通の感覚ではない。それはわかっている。わかっていた。それでも自分の感情に、感覚に嘘をつくことはできなかった。嬉しいと思う心を止めることはできなかった。
けれど、それを隠すことが必要であることくらいは、理解していた。理解できるようになっていった。周囲の反応を見たら、嫌でもわかるようになっていく。
お嬢様は、早くから私が一般的な、多数側の男ではないことを理解していた。年の割に聡く、他人の感情に敏感な彼女と親密に長く過ごして、隠せるはずもなかった。
だからか、彼女が無邪気に笑って過ごせるうちは、彼女の前でだけ本当の自分を出すことができていた。お嬢様の使用人として、助けたいと願っていたのは事実。けれど、隠していた本当の自分を受け入れてくれた大切な友人を助けたいという気持ちが一番強かったのだと思う。
それを理解してからは、彼女は私に周囲へは自分の我が侭として少女物の服を着せてくれたり、庭園へ花を愛でにいくのに誘ったりしてくれたものだ。
そして、親の前では男らしくあろうと努力を続けた。それが、私に求められた役割だったからだ。使用人であり、護衛でもある私は、逞しくあらねばいけなかった。
ひ弱な見た目では舐められてしまう。それでは護衛として十分とはいえない。細い体をどうにか必死に鍛えて、線の細いこの体を変えようと頑張っていた。
矛盾していると思うけれど、両親の期待に応えることは嫌ではなかった。厳しくも優しい両親で、尊敬もできる人たちだったから。大好きだったから、本当に嫌ではなかった。
ただ、だからこそ自分が嫌になることが多かった。中途半端に少女に近いこの体を、可愛いと褒められて嬉しかったはずの体を疎ましく思うこともあった。いっそもっと背が高く、腕も足も太く男らしい見た目のほうが、踏ん切りがついていたのではないかと思うことも。
そんな風に考えているくせに、男らしくなっていく体を見ると、悲しんでしまう自分が本当に面倒臭くて嫌になった。両親の期待に応えたいくせに、男らしくなる体は悲しい。自分はいったいどうしたいのだろう。
そんな私も、エメリーヌ様は優しく受け入れてくれた。彼女を助けようと足掻きつつ、助けられていたのは私だった。だからこそ、彼女が救われたと知ったときは本当に嬉しかった。
神だなんだと言われたときは、困惑もしたけれど、示された道はたしかに未来を感じるものだった。なによりも、エメリーヌ様が、夢を思い描くことしかできなかった彼女が、その夢を実現させようと言ったことが、そう動こうとしていることが、彼らを信じるに値すると思わせてくれた。あんなにも輝いていた彼女を見るのは、子供の頃以来だったから。
だからこそ、彼らには本当に感謝しているし、信仰心というものも芽生えたのだと思う。ただ、それだけではなくなってしまったのが、とても問題だった。
私が旦那様と呼ぶあの人。私たちの神となろうと頑張っている人。自身を神だと嘯きながらも過度に傲慢にならず、周囲の自分を信じてくれる人たちを守ろうと必死になれる人。
彼と一緒にいると、抑えていたはずの自分が出てきてしまう。守る側の人間だったはずなのに、守られるのが心地好く感じてしまう。
依頼を受けてもらったときから、既にほんの少し、昔の自分が顔を覗かせていた。冒険者でありながら愛らしい見た目で、彼に大事にされているのがわかって、ダンジョンにまで着ていけるような高価だろう可愛い服を贈られているような少女たちに、少し嫉妬していた。
まぁ、彼女たちを見ていた一番の理由は、その可愛い服に目を奪われていたからだけれど。
そして、自分よりずっと愛らしく大切にされている彼女たちよりも、守られている間だけは自分を優先されているように感じて、優越感を覚えてしまったりしていたのだ。
……浅ましく、愚かだと自分でも思う。助けてもらった感想がそんな汚いものだとは。
そして、エメリーヌ様を助けてもらってからは、大変だった。自身が仕えるお嬢様の思い人であり、自分たちが仕える神であり、恩人。過去の自分を擽り顔を出させた、少なからず思うところのあった相手が、途端にその存在の重みを増したのだから。
なにより胸中をかき乱したのは、この変わってしまった姿だ。心の底では望んでいた愛らしい容姿、細い少女らしい体。彼に接するたびに、それは細く柔く、少女然としたものへと変わっていった。
それはダンジョン内で守られるたびに、抱きしめられるたびに、抑えようとしていた自分が顔を出していたということに他ならない。そして決定的となったのは、あの日。
ユピス教徒の人間に、お嬢様以外誰も知らない私を穿り出され、無遠慮に弄り回されたあの日のことだ。手を握られ、旦那様が守ると宣言してくれたことが、本当に嬉しかった。心底から安心できた。
見ない振りをしていたけれど、もう無理だった。私は、彼が好きだ。
けれど、あのユピス教徒が言っていたように、それは教義に反することだ。ユピス教だけではない。同性をそういう意味で愛することを推奨する教義を私は知らない。
私は、どうすればいいのだろうか。そもそも私はなんなのだろうか。昔から自分の感性が女性のそれだということは理解していた。けれど男性に対してそういう感情を抱いたのは初めてだったから、困惑が強い。
何もかも女性のようになりたいのだろうか。だからこそ、こうして体は変化しているのだろうか。けれど、だとしたら何故未だに男のままなのだろう。
性別を変えるほどの力はない? そうではない気がする。私が強く願えば、それくらいの変化は起こってしまう。自分の体に起こっている変化だからか、そんな確信があった。
なら私は男性のままで愛らしくありたいと、男性を愛したいということなのだろうか。酷い話だ。そんなことが認められるわけがない。認めてくれる人などいない。
エメリーヌ様はきっと例外だ。こんなことを言ってしまえばきっと迷惑をかけてしまう。忘れるべきだ。話してほしいと言われたけれど、胸のうちに秘めるべきだ。
時間を置こう。そうすればきっと落ち着くはず。この一週間でそんな考えは甘いと、いやというほど思い知った。抑えようとすればするほど思いは強く溢れていった。
少しよそよそしくしてみせた程度だと、彼は気にせず私を必死に守ってくれる、心配してくれる。抱き寄せられると、どうかこの音が聞こえませんようにと願うほど鼓動は早鐘を打った。
どうしたらいいのか、自分では最早わからない。だからこそ、定期連絡で屋敷に戻ることになったときに決めた。エメリーヌ様と話そう、と。




