第二章40
事態がおさまったあとは集まってくれた冒険者たちもそれぞれ解散していった。去り際には俺の肩や背中をバシバシと叩きながら「よく言った」とか「あんま無茶はすんなよ」などといった言葉をかけていく。
そのあとアリスたちに対してにこやかに笑みを浮かべて「リクのことが嫌になったらうちにこいよ」やら「理不尽なことさせられてたらちゃんと嫌って言うんだぞ、あいつ紳士ぶってても根はスケベだからな」なんて余計なことまで言っていくのはやめてほしいが。
ただ、それを聞いてもアリスはただ微笑んで決まったようにこう返す。
「ご心配ありがとうございます。ですが私は自分であの方と一緒にいることを決めたので」
あまりにも彼女が幸せそうにそんなことを言うものだから、軽口を叩いていた知り合いの冒険者たちもやれやれと首を振って今度こそギルドから出ていった。
クロエやフェリシーは気が抜けて俺に掴まっている状態なので、彼らに受け答えできる状態ではないのかもしれない。しかし殆ど抱きかかえるように支えているのだが、とても軽い。
クロエはその背丈でわかっていることだが、フェリシーが思いのほかずっと軽いのだ。ダンジョンなどで咄嗟に抱き寄せたりすることはあるが、そういうときはこうも長く支えることはないし、戦闘に気が向いているので重さをあまり意識していなかったからな。
祝福を受けたときにも、ごつごつとした太さはなくなったことには気付いていた。それでもまだもう少し腕や腰も太かったように思う。今は枝のようとまでは言わないが、殆ど少女のそれと変わらない。白さも増したことで、簡単に折れてしまいそうな儚さまで感じる。
つまり、アリスやクロエのように信仰心が高まっているから、容姿が磨かれていっているということだろうか。彼が望んでいないはずの方向に。自分の力だというのに、未だに詳しく把握できていないことがもどかしい。
こういう部分も、これが俺の力であるという認識の妨げになっている気がした。
とにかく、二人とも思った以上に軽いおかげでこのまま支え続けていても問題はない。休憩のための椅子や机が置かれたスペースもあいているが、先ほどのある種の熱狂がおさまっていないのか、座りこんで騒いでいる冒険者たちの姿も多い。それならもう少し静かな端の壁際で二人が落ちついて歩けるようになるのを待ったほうがいいだろう。
壁際に移動しながら、グレゴワールとユベールの様子を横目で見る。彼らのところにも冒険者たちは声をかけにいっている。若い少年の冒険者などは、憧れているような表情で二人に話しかけていた。
「あれで五級冒険者だからな、上級ダンジョンに入れるってだけでも目標にしてる奴らもいるのさ。それに、あいつらの戦い方は派手で様になるからなぁ」
いつの間にはダフニーを支えるようにしながらベルナールが隣まで近づいていた。
「ベルナール、ギルドの仕事はいいのか?」
「あぁ、今日はもともと早めにあがれるから、この時間くらいには仕事を終えてダフニーと一緒にダンジョンに向かうつもりだったしな。そのせいでダフニーが巻き込まれちまったわけだが……ほんと災難だったぜ」
ダフニーを支えているのとは別の手で頭を荒っぽくかきまわす。そのせいで仕事用に整えられていた黒髪がぐしゃぐしゃになってしまっている。
普段の彼であれば、ギルドでこのような姿は見せなかっただろう。それほどまでに彼を苛立たせたのはユピス教徒たちだろうが、そのユピス教徒に絡まれることになってしまった理由の一端には俺もいる。
「ダフニーを頻繁に外出させる原因作ったのは俺だからな……悪い」
「何言ってやがる。お前はダフニーの未来の選択肢を増やしてくれた恩人だろうが。さっきも目立っちまうリスクより、俺たちのこと優先しやがって、気にしすぎなんだよ」
「ぼ、坊ちゃま、それはいくらなんでも、彼らは私たちを二度も助けてくれたのですし……」
「そうだよ、二度も助けてくれてんだよ。最初は互いの利益を考えてのことだったかもしれねぇがな、今回は完全に俺たちが一方的に助けてもらった側だ。そんなら黙って感謝しろぐらいの態度でいろって言いてぇんだよ。恩人にそんな顔させたくねぇんだっつの」
「坊ちゃま……すみません、リク様。坊ちゃまは素直ではない方ですので。ですが私も坊ちゃまも本当に感謝しております。この度はありがとうございました」
ベルナールに吐き捨てるようにそう言われ、ダフニーには深く頭を下げられる。
そんな顔。言われるほどの顔をしていたのだろうか。ベルナールがそう言うからには、彼が怒るような辛気臭い顔でもしてしまっていたらしい。そして彼は、そんなことで怒ってくれる友人というわけだ。彼らの言葉でそんなことに気付いた。
だからもう、辛気臭い顔など呼ばれることはないだろう。今なら自分がどんな表情を浮かべているのかわかる。それはもう、ニヤついたような笑みをしていることだろう。
「んだその顔……」
「いや……? 他のギルド職員にも聞かれるかもしれないのに、そんなこと気にもしないような様子で、俺のために怒ってくれるとは、いい友人を持ったなぁと思ってな」
「てっめ……あぁ、もうそれでいいわ。少なくともさっきの顔よりはマシになった」
溜息を吐きながらベルナールが諦めたようにそう言って、手を面倒臭そうに振りつつギルドの玄関へ向かって歩いていく。ダフニーはそれを微笑ましそうに見つめてから、こちらに向き直りもう一度、今度は無言で軽く頭を下げて彼に続いた。
彼らの姿が見えなくなるまで見送り終わると、そろそろクロエとフェリシーも落ち着いてきたようだ。確かめるように俺から離れて自分の足で立ってみせる。
「ありがとう、ございました……もう、大丈夫、です」
「旦那様、私も大丈夫です。お手数をおかけして申し訳ございません」
「そうか、なら良かった。それじゃあ、そろそろ帰るか」
俺の言葉に三人が頷く。まだユピス教徒たちと出くわす可能性も考えて、アリスは少し警戒しているようだ。フェリシーもそれを見て気を張り始める。
家に帰るまではたしかに油断はできないからな、素直にありがたい。ギルドから出るときにはもう一度グレゴワールとユベールに声をかける。
「グレちゃん、ユベっち、今日は本当にありがとう」
「いいってことよ。また何かあったら言えよ」
「おう、グレちゃんがいれば、大抵なんとかなっからな!」
最後まで二人は惜しげもなくその立派な筋肉とキラリと光る白い歯を見せつけてくる。サムズアップをしつつにっかりと笑いながら、俺たちのことを見送ってくれた。
そんな事件があったものだから、その後も何かあるかとしばらくの間警戒していた。しかし何事もなく、既に一週間ほどの時間が経過している。
この一週の間に、二階層の沼地にも大分慣れてきた。クロエに沼地用の装備を作ってもらうことで負担を減らすことにも成功した。防水性の外套や靴などがあるだけでも、水分により服が重くなり纏わりつくことがなくなるのでありがたい。
フェリシー用の装備も完成した。それに合わせてクロエも自身の装備をエンチャントされたものに変えている。魔物との戦闘においてどちらも役立ってくれている。
あれから大きな事件などもなく平和で順調だ。ただ、進展もない。
バルトリードに関する手がかりも、そしてフェリシーのこともだ。
今日は定期連絡のために一時屋敷に戻っている。とはいっても姿が変わっているのでフランソワとして堂々と入ることはできず、夜にこっそりと以前俺たちがしたように警備の目を盗んで忍びこむ形でだが。
関係が悪くなっているというわけではない。不和なども起きていないし、彼はアリスやクロエとも上手くやっている。ただ俺に対して時折悩むような視線を向けてきたり、少しだけ距離を感じたりすることがあるのだ。
そのあたりのことを、いつかは教えてくれるといいのだが。それが最近の一番の悩みだろうか。勿論、バルトリードに関する情報が思うように集まっていないことも問題だが。
寝床へ横になりながら、そんなことを考えつつまどろんでいると、ノックの音が聞こえてきた。まだ起きていたのか、ちらりとアリスが扉へ視線を向ける。
「……フェリシーさんですね。行ってあげてください。恐らくリク様に用でしょう」
「旦那様、まだ起きているでしょうか……お話が、あるのですが」
小声で囁かれたアリスの言葉が正しいと証明するように、フェリシーの言葉が重なる。
アリスに頷いてから俺は起きあがり、扉へと向かう。
「あぁ、起きている、お帰りフェリシー。それで、話っていうのは?」
「はい、ただいま戻りました……話については、私の部屋で、いいでしょうか?」
それに頷き、後ろに続くようにして彼の部屋までついていく。ランプ型の法具などはないので廊下を照らしているのは窓から差し込む月明かりくらいだ。
夜だからか、二人分の足音がやけに響くような気がする。それでも、彼の足音は自分のものよりも軽やかに聞こえるのは体躯の差か、少女然とした所作のせいか。
狭くもないがそれほど広くもない家だ、すぐに彼の部屋についた。フェリシーは扉を開き入室を促してくる。俺が部屋に入ると、彼はそっと扉を後ろ手に閉じた。
「私は……きっと、あなたを困らせることを言います」
扉の前から動くことなく、彼は静かに語る。扉を塞ぐようにしているそれは、逃がさないという意思表示だろうか。それとも、逃げてほしくないという、逃げられてしまったらどうしようという、恐怖の表れだろうか。
恐らく彼の話というのは、彼が救いを求めていることについてだろう。もしかしたらエメリーヌが何か言ってくれたのかもしれない。
だとしたら、俺はそれを受け止める義務がある。そして、既に彼のことは大切な信徒であり仲間であると感じているからこそ、受け止めたいとも思っている。
だから、恐れているのだろう彼に言う。
「言ってくれ。お前の言いたいことを、伝えたいことを俺に教えてくれ。たしかに困るかもしれない、驚くかもしれない。それでも逃げたり、お前を拒絶することはしないから」
その言葉に、俯いていた彼の顔がこちらを向いた。
彼の瞳には溢れんばかりに涙が溜まっていて、その体は震えている。ぐっと、両手を合わせるように握りこんで、その動きと震えのせいで溜まっていた涙が頬を流れていった。
「私は……」
涙を流し、震えながらも、それでも俺を信じてくれたのか、こちらを真っ直ぐ見つめてくれている。だから俺も、それに応えるように見つめ返す。
「私は……!」
勇気を振り絞るように、恐怖を振り払うように、彼は必死に言葉を紡ぐ。
それに静かに頷きながら、俺は彼の言葉を待った。
不意に差し込んだ月明かりが、フェリシーの顔を照らす。涙に濡れたその顔は、不謹慎かもしれないが、とても綺麗に見えた。本当に、少女のように。
それもただの少女ではなく、どう言えばいいのか……言葉を探す。
「私は、旦那様……」
あぁ、そうか。
彼の表情と、その様子から、何故かすんなりとその答えが浮かんだ。
「あなたのことが……好きです」
儚くも美しいそれは……恋をしている、少女の顔だった。




