第二章38
純白の修道服を身に纏ったその少女は長い白髪に赤い瞳をしていた。日本にいた頃はアルビノと呼ばれていたそれは、あちらでもこちらでもよく目立つ。
彼女が纏っているそれはシンプルなものであったが、遠目に見ても滑らかで上質な素材が使われているように見えた。周囲にいる修道士らしき男たちの物よりも明らかに上等なものであり、それを着ている少女は彼らより上の立場であるのかもしれない。
実際、彼らは彼女を取りまくように立っており、よく見れば護衛のようなものであることがわかる。それとなく少女と人の間に自分の体を置いている。
そして気付く、揉めている相手はベルナールだ。背後にはダフニーがいる。これはどういう状況なのだろうか。
近くにいた冒険者が顔見知りであることに気付き声をかける。
「すみません、どうして揉めているのか知っていますか?」
「ん? あぁ、リクか。おめぇ確かいつもベルナールに担当してもらってるんだったな。そんなら気になりもするか。まぁ、知ってる限りのことは教えてやるよ」
そう言っていきさつを思い出そうとしているのだろう、自分の顎を撫でつけるようにしながら彼は話しだした。
「ユピス教の連中がくるっていうんでそのことを話してたら、それを聞いたベルナールがすっ飛んでいって、あの嬢ちゃんを連れてきて受付の中に隠したのよ。ユピス教徒は亜人嫌いだからなぁ、多分知り合いを見つけて急いで匿ったんだろう。けどよ、それを見てた奴らの中にユピス教徒がいてよ、連中がきたらチクりやがって、速攻で見つかって……あれよ」
騒ぎの中心を指差す。そこには前に出ようとしているダフニーと、それを庇うベルナールの姿が見えた。修道士らしき格好の男たちはダフニーを出すように要求しているのだろう。
何故ダフニーだけ、そう思ったが周りを見ればいつもなら見かけるはずの亜人の冒険者たちの姿がない。どうやら話を聞いてすぐに離れたらしい。
業務中だったベルナールと、他の者から隠れるようにしてベルナールの仕事が終わるのを待っていただろうダフニー。そのせいで話を聞くのが遅れたのかもしれない。
「なるほどな、ありがとう」
「いいってことよ」
礼を言うと手を振って構わないと言葉と共に示してくる。こういう知り合いは大切にしないとだな。
彼から離れるとアリスたちと顔を見合わせて頷き合い、騒ぎの中心へ向かう。フェリシーにも彼らとの関係については既に教えているので、黙ってついてきてくれた。
「早くその亜人を渡しなさい、獣に誑かされてはなりません」
「私は大人しくついていきます、ですからどうかこの人は……」
「あなたは黙っていてください。……私は誑かされてなどいませんよ。それよりも、彼女をどうするおつもりで?」
「人の領分を侵す獣には躾が必要でしょう。この地には多少知恵があるからと勘違いした獣が最近多く見られるようになったようですからね」
ユピス教というのは聞いたことがある。確かに亜人を下に見る傾向があるとは知っていたがここまでではなかったはずだ。所謂宗派の違い、過激派ということなのだろうか。
聞いていられずに彼らの前に体を割り込ませる。ベルナールとダフニーは俺たちの姿を見て少しだけ安堵と、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
さすがにこれは彼らのせいじゃない。仕方ないだろう。今更目立ってしまうのはまずいなどと言ってはいられない。
「急になんですか、あなた方は……?」
「彼らの友人です。先ほどから少し話を聞かせてもらいましたが、そこまでする必要はないのではありませんか?」
「なんと……あなた方もあの獣にたぶらかされたのですね……」
駄目だ、話が通じない。宗教に狂った人って皆こうだ。そう考えると話が通じるアリスはまともなのではないか。いや、怒ったときは通じないかもしれない。
そもそも俺自身まともなつもりはあまりないわけだしな。だとすると俺たちもあまり人のことは言えないのではないだろうか。うーん、率先して人を害そうとはしていないし、大丈夫だと信じたい。
しかし、彼らをどうすればいいのだろうか。周りの同業者たちも熱心な宗教家の恐ろしさというのをわかっているのだろう、遠巻きにしている。しかもここまで見た限り彼らは明らかに過激派のようだ。援軍は期待しないほうが良いだろう。
そう悩んでいると、少女がすっと俺たちの前に進み出た。
「イレーヌ様、危険です。獣とそれに誑かされた者たちですよ」
「ご安心を、彼らも同じユピス様の子。であれば、対話にて解決もできましょう」
イレーヌというらしい。やはり彼らより立場は上のようだ。
そしてまだ話が通じそうな気もする。彼らを止めてくれたわけだし。そんな風に甘く考えていたらやはり駄目だろうか。駄目なんだろうな。
「あの人、多分周りの人たちより厄介です。周りの人たちはまだまともよりですけど、あの人の目は迷いがありません。私の同類だと思います」
アリスが小さく袖を引っ張って小声でそう語りかけてきた。
同類て。アリスさんは自分をどのように認識していらっしゃるのか。
しかし本当に周りの人たちよりも厄介だとすると、どうすればいいのか。彼らを唯一止められるだろう上の立場の人間が率先してこちらに何かしようとしているのであれば、そしてその考えに迷いがないのであれば、説得は難しいだろう。
最終的には、強引な手段をとる他ないかもしれない。
「あらあら……あなた私に近い年齢でしょうか……?」
いつの間にか、イレーヌがアリスの目の前にまで近づいている。まじまじとその顔を見ながらそんなことを言ってきた。確かに背丈は同じくらいあるかもしれない。
そして何故か匂いを嗅ぎ、胸元にそっと触れる。あまりにも自然なその動きに油断していたのだろうアリスがはっとした顔になり、俺の後ろに隠れる。
その動きに合わせるように、俺も既にアリスを庇うように前に出ていた。
「ふぅん……でも、体つきは立派みたいですね。身長は私より低いのに、なんだか悔しいです」
全く悔しいなどと思っていないような口振りだ。
表情も穏やかな笑みのまま、先ほどから全く変わっていない。
「それに……私と似ています。だから尚更気になるのでしょうか。私と同じくユピス様を信奉していれば、きっと仲良くできたでしょうに……」
彼女は変わらぬ表情を、口元だけニヤリと大きい弧に変えてみせる。たしかに、この少女は周りの男たちよりも厄介だ。雰囲気からして違い過ぎる。
それから視線をクロエに移して、不意に表情を消す。更にフェリシーにも視線を向けて僅かに首を傾げてから、最後に俺へ。
「洞穴の蛆虫に、教義に背いた背教者……あなたは、よくわからないですね?」
そこで初めて、彼女が人間らしい表情を浮かべた。心底不思議そうな、手品でも見た子供のようなあどけない表情だ。しかしその前に言っていた言葉は凡そ子供らしくない。
まぁいいですとだけ呟いて、彼女はまた決められたような笑みを浮かべる。
「とにかく、ユピス様の子であるならばわかるでしょう。人は人らしく、獣は獣らしく生きるべきなのです。過度に交われば問題しか起きません。双方のためなのですよ。そちらの獣と蛆虫の様子を見るに、過去の例と同じく情けを貰おうとしているようですが、やめておきなさい。そちらのあなたもです。教義に背けば、先にあるのは罪と悲しみだけなのですから」
まるで我が侭な子供に言い聞かせるような優しい声音。その内容は子供に聞かせるには相応しいとは思えないが。いや、彼らにすれば子供にこそ聞かせるべきなのかもしれない。
クロエとダフニー、そして何故かフェリシーも顔を青くしてしまっている。彼女の言葉を全面的に信じたというわけではないだろうが、思うところがあるのだろう。
亜人であること。そう、クロエとダフニーの場合は簡単だ。亜人であるというだけで受ける不利益を彼女たちは身に沁みるほど知っている。それで俺やベルナールに迷惑をかけてしまうかもしれないという恐怖を、イレーヌによって掘り起こされ、弄繰り回されている。
フェリシーも恐らくそうなのだろう。それはもしかしたら、彼が救いを求めていることに関係しているのかもしれない。だとしたら、この少女はまずい。
本人が隠したがっている心の弱い部分を、どういう方法でか暴けるということだ。そしてそれを傷つけるために利用している。実際に今、俺の大切な者たちを傷つけている。
頭に血がのぼりそうになるが、アリスに手を掴まれてどうにか踏み留まる。激情を抑えてできる限り冷静に言葉を選び、それでも力強く断言する。
「私たちも、彼らも、幸福に生きています。これからもそのつもりです。あなた方が言うような罪も悲しみも、背負うつもりはありません。それに、もしそんなものが待っていたとしても、必ず私が……俺が、皆を守ってみせる」
クロエとフェリシーの震えている手を強く握る。後ろでは、ベルナールがダフニーの手を握っていた。
アリスは俺の言葉に力強く頷き、傍に寄り添ってくれている。守ると豪語しても、俺だけではどうにもならないだろう。それでも俺には彼女たちがいる。仲間がいる。例え苦境が待ちうけていたとしても、一緒に立ち向かってくれる仲間が。
今目の前にある苦境も全員で乗り切ってみせるのだ。そう決意を固めていると、拍手の音が聞こえてくる。思わずそちらを振り向くと、そこには予想外の人物が立っていた。




