第二章30
上着やスカートに靴下等々……一式合わせたものを5セットも買えば当然のように荷物は多くなる。一度家に戻り、フェリシーの部屋にそれらをしまうことにした。
彼の部屋というのは、アリスが家の中を案内している間にクロエに許可をとって、空き部屋の一つをそのように決めたらしい。行動が迅速でありがたい。
着替えも一緒にすませるというので作業は彼に任せて、俺たちは部屋の外で待機することになった。扉の前で少々心配しつつ、彼が服をしまい着替えを終わらせるのを待つ。
男が急に女物の服を着ろと言われて大丈夫なのか。精神的な問題も勿論ある。彼は男らしくあろうとしていたようだし、必要なことだと理解はしていても思うところはあるだろう。それにそもそも着られるのだろうか。着方がわかるのかという意味で。
しかしそんな杞憂は必要なかったようだ。予想より早く数分ほどで彼は部屋から出てきた。その姿を見ると彼と呼んでいいのか甚だ疑問だが。いや、生物学的には男なのだろうが、何か他の高尚な俺の知らない学問の視点から見ると女ということになったりしてそうな気がしてしまう。
具体的にどういう学問ですかと聞かれると浅学の俺では名前をあげることもできないし、そもそも生物学以外に男女を定義するようなものがあるのかも知らないが。それでも、今目の前にいる存在は生物学上は男であるとかいう事実を無視できるほど圧倒的に女だった。
「……不躾に見るのは感心しませんよ、外ではなさらないように」
「おっと、悪い」
反射的に謝ったが、外ではということは今はいいのか。自分のことを男だと認識して、男らしくあろうとしていたのであれば、女として見られるのは不満だと思うのだが。
いや、実情を知っている俺が物珍しさから見ているものだと感じていたのであれば、仕方ないなと思ってくれたのかもしれない。心が広すぎる。
「大丈夫ですよ、外ではそのあたり自重していらっしゃるので」
「そうですか、ならばいいのですが」
そんなことを考えているとすかさずアリスがフォローしてくれた。フェリシーもどうやらそれで納得してくれたらしい。家の案内中に仲良くなったのだろうか。アリスが言うのであればと信じてくれたような気がする。
というかやはり外で自重しているのならば、今のように俺たちだけの状態であれば構わないと言っているように聞こえるのだが。ちらりとアリスに視線を送り確認してみる。
はい、いつもの笑顔いただきました。私たち相手であればいくらでも見てもいいですよ、と言わんばかりの挑発的な笑顔である。
どうにかその視線から目を背けて、フェリシーの方へと向き直る。
やはり女物の服を着るのは恥ずかしいのだろう、スカートを気にするように握っている。しかし、その仕草がやけに愛らしい。先程女の子にしか見えないと感じていたのはこういうところもあるのかもしれなかった。
「しかし、もう少し手間取るかと思ったが、早かったな」
「はい? あぁ、これですか……」
短い言葉で言わんとしていることを察してくれたようで、フェリシーが自分の今の格好を見下ろす。紺色のロングワンピースに白いエプロンがついた所謂エプロンドレス。ホワイトブリムもしっかりと頭につけており、どこからどう見ても可愛いメイドさんがそこにいた。
日本のメイド喫茶でよく見るような、ミニのスカートにフリルをふんだんにあしらったようなものではない、正統派のメイドの姿である。足首まで隠すようなロングワンピースと、随所にアクセントとして主張しすぎない程度に存在するフリル。肌の露出のあまりないそれは、ヴィクトリアンメイドなどと呼ばれるものだったはず。
そんなメイド服のスカート部分を少しだけ持ち上げるようにするフェリシー。
「エメリーヌ様から聞いているかもしれませんが、子供の頃に着せ替え人形のようにされていたことがありまして、そのときにこういうメイドの制服も着ていたものですから」
そう言ったフェリシーは乾いた笑みを僅かにこぼした。なるほどな。
そのあたりの話は少しだけ聞いた。彼も苦労していたようだ。
「そういうこともあり、こういった格好をするのは初めてではありません。必要なことでもあるので、あまり気にしていただかなくてもいいですよ」
「そうか……それでも、もう仲間なんだしな、何かあれば言うんだぞ」
「……わかりました、ありがとうございます」
少し間を置いたその言葉に違和感を感じたが、彼はそれ以上何かを言う様子はなかった。これからダンジョンに向かうということもあり、今は追求するときではないかと俺もここで食い下がることはしないことに決める。
もともと彼には、ダンジョンから帰宅したあたりで話をしようとは考えていたからな。
着替えも終わったので着け直した装備の点検などを行い、今度こそ俺たちはダンジョンへと出発した。フェリシーが祝福を受けてから初の戦闘ということで、まずは初級ダンジョンで様子見だ。
いつもの入り口を通り、長い階段を下りてダンジョンへと入った。ぼんやりと発光する壁に照らされた薄暗い通路を四人で奥へと進んでいく。
「……前方にゴブリンが一体、倒します」
その言葉に思わずフェリシーを見てしまった。いつも真っ先に気がつくアリスよりも早く敵を発見している。更に言うが早いか、懐に手を入れて取り出したナイフを暗闇に向かって投げつけた。
かなり遠くだろう、暗闇の中から濁った悲鳴が小さく聞こえる。警戒しながら進んでいくと、数十メートルほど先に倒れ伏したゴブリンの死体を見つけた。その喉元には深々とフェリシーが投げたナイフが刺さっている。
コツコツと、革靴がダンジョンの通路を鳴らす。足音を響かせながらゴブリンの死体に近づいたフェリシーはナイフを引き抜くと、少し驚いたように呟いた。
「自分でも驚きました。この距離で敵に気付いたうえ、ナイフ一本で倒せるとは……」
そう言いながらナイフを振るい、血を払う。
驚いてはいるが、行動そのものは落ち着き払ったものに見えた。
「ですが、何故か確信もあったのです。今ならばできる、と」
その印象の答えはそういうことらしい。今までの自分ではできなかったことができて驚いている。しかし祝福による成長をなんとなく感じており、できるだろうとも思っていたということか。
「ふふ、リク様の祝福は凄いでしょう」
「えぇ、万能感に飲まれそうになるほど……自制が必要ですね、これは」
万能感。奇跡を起こせるようになった俺も感じることがあるものだ。しかしこの世界にきたときに偶然手に入れたこれを全て俺の力だと認識することはやはり難しい。そのおかげか、今のところはある程度自制できている、と思いたい。
神として振舞うために、力を誇示する必要もあるのでそのあたりが難しいのだ。
「それで、やれそうか?」
「はい、以前よりもずっと感覚が鋭くなっていますし、力も強くなって、手もとても滑らかに動いてくれます。ただ、一応もう少しこの階層で戦ったあと下の階層でも通用するか試させてほしいです」
「よし、それじゃあ今日は初級ダンジョンで何度か戦闘を繰り返して、フェリシーの確認が終わったら帰ることにしよう。早めにダンジョンから出て中級二階層の情報を集め、後日に備えるぞ」
俺の言葉に全員が頷き、再度歩を進める。
中級ダンジョンに潜るのはもう少し先になりそうだ。
しかし、中級ダンジョンは視界が通らない場所なども多く、フェリシーが先ほど見せてくれた索敵能力は有用だろう。彼の能力確認を行い、それを上手く運用できれば、今後のダンジョン探索に役立つはずだ。
新しいパーティメンバーであるフェリシーにそんな頼もしさを感じつつ、俺たちはその後も探索を続けた。初級ダンジョン一階層とはいえ、危険な場所であることに変わりはない。警戒をしっかりと維持し続ける。
ただ、アリスだけでも余裕をもって進むことができた初級ダンジョンの一階層だ。彼女以上の索敵能力を持ったフェリシーのおかげで、生きたゴブリンと向かい合うことがそもそもなかった。
本当に一応、彼の前に出て盾を構えておく。アリスやクロエと違い、近接戦闘はそれほど得意ではないらしいからだ。それでも俺相手であれば簡単に勝てるのだろうが、耐久力という一点だけは俺のほうに分がある。
更に言えば、俺が攻撃するよりも他のメンバーを庇って攻撃する隙を作ったほうが結果的に早く戦闘が終わるのだ。ようやくできた俺の役目ということもあり、少なくとも一階層では出番はこないだろうとしても、張り切って護衛についた。




