第一章6
目が覚めると腕の中には自分を慕う愛らしい姿の少女。中々に充実した目覚めではないだろうか。目覚めた場所が見も知らぬ異世界という点は、少しばかり困ったものだが。
とはいえ、この腕の中の少女もその異世界にくることがなければ知り合うことすらなかったことを考えれば、俺がこの世界にきたことにも意味はあったと思える。可愛い少女に慕われるというのは正直なところ嬉しいことであるし……アリスを助けることができたことも良かったと思える。
しかし、肌も髪も肌触りが良いせいで抱き心地が良すぎる。上等な抱き枕を抱きながら目覚めた朝というのはこういうものだろうか。ベッドから起き上がる気が失せそうだ。
寝起きの頭でそんなことを考えていると、アリスが起きたようでゆっくりと目を開いた。蕩けたような眼差しでこちらをぼんやりと眺めて、徐に腕を伸ばして抱きついてくる。
「おはようございます、私の神様」
首元に抱きつき、頬を合わせるようにして頬ずりしてくるアリス。子供特有の高めの体温が肌寒い朝の今だと心地好い。にへらと頬を緩めたアリスは頬を擦り付け続けた。
満足したのか、そっと身体を離してベッドから立ち上がる。
それから軽く服を払い、髪の毛を手櫛で整えてから、綺麗に一礼した。
「では、宿の主人に水を頼んできます。リク様はそのまま待っていてくださいね」
その表情はいつの間にか引き締まった真面目なものになっていた。思いっきり甘えたことで何か吸収でもした結果なのだろうか、動きも昨日より溌剌としている気がする。
眠気が残っているのかそんなとりとめもないことを考えつつ、アリスを素直に待つ。しばらくするとタライに入った水を持ってきてくれたので顔を洗い、口を濯ぐ。
アリスに濡れた顔を拭いてもらい、俺もアリスが顔を洗ったあと拭いてやる。甘えたいときは甘えるように言ったからか素直に拭かれつつ、ふやけたような笑顔になっていた。
そうして二人で朝の支度を済ませ、ダンジョンへ向かう。
「今日はある程度魔石を集めたら、一度戻ろうと思う」
「何かご用事でも?」
「あぁ、ちゃんとしたアリスの剣を買おう」
「え、いえ、これで十分ですよ……?」
そう言ってアリスはゴブリンが落とした粗末な剣を持ち上げる。
刃の部分は欠けておりボロボロで、鞘もないから布を巻いて持ち歩いているような代物だ。
「確かにゴブリンを相手にするなら十分だろうけど、更に奥に進んだら、そうも言ってられないんじゃないか? それに、消耗して戦闘中に折れたりしたら困るしな」
「ん……そうですね、初級ダンジョンでも、もっと奥に進めばゴブリン以外の魔物も出てくると聞きましたし、折れてしまってリク様を危険に晒すわけにはいきませんね」
納得してくれる理由に、俺が入ってくるあたりが実に信徒らしいというか。その強すぎる信仰心のおかげで、俺はアリスを強くしてあげられているのだし、そうじゃなくても心配してくれるのはありがたいのだが。
ともあれ、アリスも了承してくれたので、ある程度の魔石を稼いでから武具の調達をすることになった。昨日と同じようにギルドに隣接した建物へ入り、ダンジョンへ続く螺旋階段を下りていって、ぼんやりと光る薄暗い通路を二人で進んでいく。
相変わらずダンジョン内はアリスの活躍を眺めるだけだ。しかも昨日進んだ道を覚えているので、今日は途中まで迷わず進めたので順調だった。
昨日よりも奥まできたからなのだろう、ゴブリンの中に弓を持った者や、杖を持った魔法使いらしき姿をした者も出てきた。しかし、やはりアリスの敵ではない。
風切り音をあげてとんでくる矢を、アリスは難なく切り払ってみせた。
魔法なのだろう火の塊が向かってきたときはさすがに焦ったが、やはり問題はなかった。
大上段に構えたアリスが渾身の力を込めて剣を振り下ろすと、そこから発せられた剣圧により火の塊が消し飛んだのだ。その後すぐ様駆け出すと、数秒もかからず彼我の距離を詰め、矢や魔法を放ってきたゴブリンたちの首は切り裂かれていた。
祝福の力なのか、この世界では鍛えればできてしまうことなのか……。魔力なんてものが存在している世界だし、超人的な人間は結構な割合でいるのかもしれない。
「しかし、アリスなら楽勝だったが、普通に相手をすれば、魔法や弓は大変そうだな」
「そうですね、なので本来多様な魔物を相手にすることになるダンジョンに潜る際は、矢や魔法を受け止める盾役や、アーチャーやメイジをいち早く仕留めるために、弓や魔法を使える人をパーティに入れるのが基本らしいです」
ゲームのようだと思うが、役割分担は普通の生活の上でも有用である。魔物との戦闘が当たり前のように存在するこの世界にとっては、パーティ編成も重要というわけらしい。
しかし、その当たり前すら必要ないアリスは本当に凄いな。
内心そう感心して、また褒めて感謝しなければと思っていたのだが。
「ですから、リク様は本当に凄いです」
褒めようと思っていたら、俺が褒められた。
確かに、アリスの力は俺の祝福によるものではある。しかし、それを使っているのはアリスだ。俺は力を与えられはするが、俺自身に戦う力なんてものはなく、信徒がいないと魔物に襲われたりしたら何もできない。精々が無様に手足を振り回して抵抗する程度だ。
そもそもがこの神の如き力も唐突に芽生えたもので、俺自身の力だとは未だに納得しきれていないのだが……しかし神と信じられている者が不用意に謙遜したり、自信のない様子を見せるというのも駄目か。なら、こう言うべきだろう。
「確かに、俺はアリスにそれだけの力を与えることができる」
「はい、本当に感謝しています」
「あぁ……けど、その与えられた力を使って、俺を守ってくれているのはアリスだ。俺自身には戦う力がない分、その力を俺のために使ってくれているアリスに、俺もとても感謝していることは忘れないでくれ」
「あ……はい!」
互いに感謝するほうが健全で、それにその方が単純に嬉しいというものだ。
アリスも俺の言葉に嬉しそうに笑ってくれていることだし。
話を終えて、アリスが倒した魔法使いのゴブリン、ゴブリンメイジを解体して魔石を取り出す。相変わらず歪なビー玉ほどの大きさではあるが、色が少しだけ濃い気がした。
「アリス、ゴブリンメイジの魔石って普通のゴブリンと違うのか?」
「はい、ゴブリンメイジの魔石は高く買い取りされるって話を聞いたことがあります。メイジの魔石は魔法を使う分、魔力が高くて質が良いのだとか」
「じゃあ一先ず、このあたりで魔石を集めて稼ぐとするか。アリスのおかげで、矢や魔法を使ってくるゴブリンもどうにかなるし」
「はい、リク様に頂いた力があれば大丈夫です。お任せください!」
お互いを信じて、そう言い合いながら、俺たちはダンジョンを進んだ。アリスが鎧袖一触でゴブリンもゴブリンアーチャーもゴブリンメイジも倒し、魔石を回収する。
魔石の回収は、もう然程気分が悪くなることはない。生きるために必要なことであるし、報酬を貰っているのだから、仕事という認識になってきた感じだろうか。
それを複数回繰り返してからダンジョンを出て、ギルドへ向かう。
魔石を提出すると、少し驚かれた。
「おや、メイジの魔石が多いですね。お二人だけのパーティでこれとは、将来有望なようで何よりです。益々のご活躍を期待しております」
「ありがとうございます、頑張ります」
やる気を出させるためのリップサービスなのか、本心なのか。どちらにせよ、応援されて悪い気はしない。金を稼ぐためにも、言われた通りこれからも頑張るとしよう。
そのためにも武具の新調は必要だ。だが俺もアリスもそういったことは素人。冒険者の話を聞いたことがあるとはいえ、いきなり武器の目利きをしろと言われて、又聞きの知識でできようはずもない。
そこでどうするかアリスに帰路の途中聞いてみたが、ギルドの職員に聞いてみるのが良いだろうと言われた。ギルドと提携している店などを紹介してくれるらしい。
というわけで、買い取りついでに聞いてみる。
「すみません、買い取り以外にもう一つ、聞きたいことがありまして」
「はい、何でしょうか?」
「今回の報酬で武具一式を揃えられる店はありますか?」
「武具ですか、少々お待ちください」
そう言うと奥の方へ引っ込み、冊子のようなものをペラペラと捲っている。
店舗の情報などもまとめてあるのだろうか、凄いなギルド。
「お待たせしました。この店舗でしたら、今回の報酬である程度の武具を揃えることができるかと。無理をしなければ今晩の宿代も残ると思います」
宿代まで計算に入れるのは俺たちが冒険者に成り立てだからこその対応だろう。そういった部分まで把握してるのか、本当にギルドの職業意識は高くて凄いな、と思ったが昨日登録と買取をしてくれたのと同じ人だと気がついた。
「そこまで気を使っていただいてありがとうございます」
「いえ、お客様に合わせた対応をこなすのが仕事ですから。ただ、一つご確認しておきたいことが」
そう言って笑顔でさらりとこなしてくれるのだから本当にありがたい。
しかし、確認? なんだろうか。
「確認したいことですか、なんでしょう?」
「店主はドワーフの女性なのですが、よろしいですか?」
ドワーフ。やっぱりいるんだな、さすが異世界。女性というのは予想外だったが、むしろドワーフが武器や防具を扱っているというのはしっくりくる。北欧神話なんかでは優れた匠として描かれている存在だったらしいしな。ただ、そっちではドワーフではなくてドヴェルクって名称だったはずだけど。
「えぇ、ドワーフは鍛冶なんかが得意と聞きますし、むしろありがたいです」
「そうですか。確かにドワーフの作る武器や防具は質が良いですからね。では店への道をお教えいたします」
知ったかぶりをしてドワーフの鍛冶の腕について確認しつつ、ギルドの丁寧な対応に感謝しながら、俺たちは店への道を教えてもらい出発した。