第二章27
翌朝、いつもより早い時間に目が覚める。というよりも起こされたというのが正しい。体を軽く揺すられ目を開ければ、窓の外は日があがりきっておらずまだ薄暗かった。
横を見れば申し訳なさそうな顔をしているアリスの姿。昨日眠りについたときと同じように俺の腕を枕にしたまま寝転びこちらを向いている。
「すみません、中庭から気配を感じたもので……誰かいます、どうしましょうか?」
「誰か……もしかしてフランソワさんか」
「おそらくは」
エドガール側の者に気取られぬよう準備が済み次第、彼を送り出すと言われていた。名目としては今までと同じくエメリーヌの我が侭によって調査に出ていることにするそうだ。
もしかしたら結構長い間待機していたのかもしれない。
「わかった、迎えに出よう……しかし寝てたのに気付いたのか、凄いな」
「近く、具体的に言えば部屋の前くらいまでなら気付いて起きられるでしょうが、この距離だと少し難しいですね。いつものように早めに起きてリク様の寝顔を眺めていたら中庭に誰かがきたことに気付いて、すぐにリク様を起こしたというのが実際のところです」
「そうか、なるほど」
なるほどじゃない。納得するな。いや、いつも起きるとアリスは俺のことをジッと見つめているので、彼女が先に起きて俺の顔を眺めているだろうことはわかってはいたが。
それはそれとして、その行動そのものはあっさりと言われて納得するものではない気がするのだ。そしてそんな行動に対する疑問が頭の中にいくつか浮かび、やっているのはアリスだという一つの答えを出した瞬間、なら仕方ないなと脳内会議は即時終了した。
そうだった、その行動をしているのはアリスだった。
「私のことで悩んでいました? 寝顔を見ていることについてでしょうか」
「そうだよ、相変わらずの観察眼だな」
「今回も簡単なことですよ? 私が寝顔を眺めていたと言った瞬間目元が不自然に動いていたので。そのあとに悩んでいれば考えているのはそれについてでしょう? まぁ、やっているのは私だということを顔を見て再確認したら、納得したようですけれど」
「いや、聞いてもやっぱり相変わらず凄いなと思うよ」
それが簡単というのが認識のずれだと思うのだ。普通そこまで人のことを観察していることはないと思う。表情を見るくらいはするだろうが。
さすがにそれが簡単だと言われると首を傾げる。そんな俺に対してアリスはクスリと微笑むとちょいちょいと俺の胸を指で突き注意を引く。
なんだと思い顔をアリスに近づけさせれば、彼女は俺の耳元を手で覆うようにしてからそこへ顔を近づけて、囁き声で小さく言葉を送ってきた。
「男の人も、好きな女性の変化をどうにか探して褒めて、振り向いてもらおうとするじゃないですか。つまりそういうことですよ。いじらしい努力……ってことにしておいてください」
あれ、胸が痛い。心臓が鼓動の大きさを間違えたかな。しかし許そう。こんなことを言われて平静でいられるはずもない。己の心臓に罪なし。
何も言えなくなった俺を見てアリスがにんまりと笑みを浮かべた。ずいっと距離を詰めて真っ直ぐ俺を見つめながら体を押し付けてくる。そうすれば俺にとっての弱点が俺に丁度いい具合に当たることを理解しているのだろう。
ぐいぐいと胸元に押し付けられてくる幸福を包み込んだ柔らかさに城下はあっさりと占領されて本丸まで陥落寸前である。まだ降伏しないのかと文句が聞こえてきそうだ。
頭の中が乱世乱世レボリューションしている間にするりとアリスは手を俺の頬へと滑らせてきている。挑発的な瞳が俺の視線を絡めとる。がんじがらめにされてしまいそうになっていたそれは、しかし次いで聞こえてきた柔らかな声で解けていった。
「リクさんは、どうなの……?」
「クロエ……?」
アリスとは反対の方向から聞こえてきた声に、クロエが起きたことを悟った。
そしてその言葉にどういうことかと首を傾げる。
「アリスちゃんは、リクさんの、特別だし……同じような努力、してないかな、って」
日があがりきっていないとはいえ、窓から見えている白んできた空でもクロエにとっては多少影響があるのだろう。最早聞きなれた独特なゆったりとした口調でそう聞いてくる。
そしてその言葉について少し考えてみて、アリスに向き直る。
「ぴゅいっ」
クロエの言葉で既に意識してしまっていたのか、先程の笑みは既に消えていて、締まりなくだらしのないにまにまという擬音が似合いそうな笑みに変わっている。そして向き直りその顔を見つめると、アリスは甲高い鳴き声のようなものを発した。
それを指摘するのも野暮なので、そのまま思っていることを話す。
「そうだな……アリスと出会ってまだそれほど長い時間は経っていないが、もうこうしているのが普通だと思えるほどに大切な存在になっている。そんな相手のことだから知りたいとも思うし、それはできてると思っている。だからこそ、言葉や行動を多少変に思ってもそれがアリスがしていることだと思えば嬉しいし受け入れられるんだろうな」
俺の言葉にアリスは顔を真っ赤にしてうろたえる。視線を右に左にせわしなく動かして、手のひらを意味もなく握ったり開いたりさせる有様だ。
「努力ってほどのことじゃないかもしれないけどな。俺が知りたいってだけのことだし」
「ひゅー……アリスちゃん、思われてるー……」
アリスは両手を広げて顔に押し当てている。そのままの状態で横たえた体を真っ直ぐにのばし空を仰いだ。僅かに見える頬と、丸見えの耳は赤く染まったままだ。
「アリスちゃん、撃沈……さ、フランソワさんの、ところに、どうぞ」
「助かった、ありがとう」
クロエにぐっと親指を立ててお礼を言いながら上半身を起こす。
それに対して彼女はいいのいいのとでも言うように笑顔を浮かべながら、先程のサポートの報酬とでも言うように数度俺の手に頬ずりした。
「うぅ……あのまま手を引いて、連れていこうと思ってましたのに……」
「それは、リクさん、生殺し、では……?」
「その分後で積極的になってくださるでしょう」
「うーん、策士……」
そういう会話を目の前でしないでいただきたい。いや、俺としては別にいいのだが、本人に思惑を語ってしまっては意味がないのではないだろうか。
そう思ったのだが、アリスの本気の挑発に乗っからない俺というものを俺自身が想像することができなかったので別に構わないのかと一人で納得してしまった。恐らくアリスもそのあたりを理解しているからこそ俺の前でも普通に答えているのだろう。
とにかくこれ以上待たせるわけにもいかないので、急いで着替えをすませて中庭へと向かうことにする。ベッドから立ち上がると慌てたようにアリスも起き上がった。
「一応、護衛のために私もいきます。あ、お着替えこちらです、脱がせますので腕をお上げになってくださいね」
「あぁ、いつもありがとう」
アリスに着替えさせてもらい、俺もアリスの着替えを手伝う。いつもの光景だ。
そうしているとのそのそとクロエも起き上がってくる。そしてもったりと両腕を俺へと向けてくるので、苦笑しながらアリスと同じように着替えを手伝ってやる。
神と信徒としては相応しくない状況かもしれないが、俺たちらしくはあると思う。だからこれでいいのだ、きっと。改めるつもりもないしな。
「ん、ありがとう、ございます……ボクも、ついてきます、ね」
着替え終えて、合流したあとにダンジョンに向かうことになるだろうことも考え装備も軽く点検したあと身につけていく。
準備を終えるとフランソワを迎えに出るために全員で部屋を出た。
そして廊下を歩いている途中クロエにも言うべきこと、言いたいことを言っておく。
「そうだクロエ、さっきアリスに言ってたことだけど、クロエに対しても同じこと思ってるからな。そこのところは勘違いしないでくれよ?」
俺の言葉にクロエはぼんやりとした無表情をゆっくりと柔らかい笑みに変える。
歩みを少しだけ速くして横に並ぶと、彼女は俺の手をとりその甲にキスを落としたのだった。




