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祝福の鐘を鳴らしたら  作者: 古賀幸也
第二章 愛を許容すること
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第二章21

 満足したように頷いたクロエは俺の左側へとのそのそと移動して、俺の手を抱え込んだ。最早彼女が近くに座っているときは俺の腕はクロエの手の中が定位置となっている。基本的に眺めながら弄ったり咥えたりするためだろう、顔のあたりまで持ち上げられているのだが、そうなると必然的に腕部分がクロエの胸元に押し付けられる形になる。

 自らの腕の境遇を羨ましがるときがくるとは思わなかった。膝上に乗っているときなどは二つのクッションの如き柔らかさに包み込まれていることもしばしばある。人を駄目にするクッションというか腕を駄目にするクッションというか俺を駄目にするクッションとでも言うべきか。柔らかさという浪漫が詰まったそれを前に男はどこまでも無力である。


 哀れな俺の左腕が堕落していく様を俺はただ見守ることしかできない。何故なら俺も一緒に堕落していっているのだから引き上げるどころか沈み込むのを早めるくらいしかできないからな。自分の理性になど最初から期待してはいなかった。

 それを見たアリスがにんまりと笑う。その反応にいつもの如く俺の全てを俺以上に理解しているのではないかと疑いそうになるほどの行動に移るのだろうと心中で全俺が対ショック用意を始めた。毎度心をグラつかされて倒壊の危機を迎えているものだから行動は迅速である。


 しかし、俺の右手を持ち上げようと触れた瞬間、何故か彼女の動きが止まる。いつもなら淀みない動きでクロエに負けず劣らず育った大自然の神秘でも内包しているとしか思えない双子山に押し当てるか、指どころか腕にまで舌を這わしてくるかと思ったのだが。

 自然に舐めるというアクションが候補に入ってくるあたり俺も最早後戻りはできない。行けるところまで行き、然るべき場所で食われる未来が見える。

 ただ今はそのような行動には出ず、ただ俺の右手に触れたまま俯いている。


「アリス?」


「い、いえ、これは、なんでも……」


 俯いたまま、そう言ってふいっと顔を背ける。触れていた両手が離れ、それを膝上で揃えると背筋をのばして少しだけ距離をあけようとするアリス。

 自然に手がのびていた。そっと腰のあたりを掴んで引き戻す。


「やっ、あの……!」


 本気で抵抗されれば呆気なく俺の手など振り払われるだろう。けれど、それほど力を入れたわけでもないのに、アリスは俺の腕の中におさまった。つまりは本気でどうしても離れたいと思ったわけではないということだろう。

 そっと顎に手をかけて顔を確認するためにこちらへ向かせる。


「ちが、ただ、ついさっきのこと、思い出してしまって、だから……」


 しどろもどろになって咄嗟に片手で口元を隠しながら、もう片方の手で俺の胸元を押して上半身を離そうとする。けれど彼女の全力からは程遠いそのささやかな抵抗は俺の体を押しやることはできずにいた。

 物理的には微動だにしていない。しかし心中は完全にノックアウト。レフェリーもアリスの勝利だと腕を上げ、観客はアリスの可愛さにスタンディングオベーションだ。


「アリスは可愛いな」


「そうですね……アリスちゃん、可愛い」


 俺たちの言葉に無言で体をぷるぷると震わせるアリス。

 どうにか落ち着こうとしているのか、何度か深呼吸をしながら、何かを思い出したように顔をあげて早口でまくしたてるように話しだす。


「そういえばリク様、エメリーヌ様とのお話はどうだったのですか? 夜間のお二人が抱き合って眠っていたことや帰ってきたときの様子と表情から察するに、彼女自身は味方になってくれたようですが、なにかしら他に問題がありそうな様子でしたが?」


「どうしてそこまでわかるんだ……?」


「さすがに、それは、ボクも……わからない」


 クロエと二人でどういうことなのかと驚いていると、その間にアリスは咳払いをしつつ息を整えて自身を落ち着かせることに成功したようだ。頬の赤みも引いていき、真面目な顔になって指を立てると説明を始める。


「抱き合って眠ったのであれば、その前に行った会話は良好に終わらせられたものだと思いますし、救うべき相手を救えず帰ってきたのであればもっと悲痛な表情をしているはずですからね。ですが私たちにすぐに気付いて笑顔を向けながら受け止める用意をしてくださるほどの余裕があり、かつ少し悩んでいるようにも見えたので彼女自身ではなく他に何か解決すべき問題を抱えて戻ってきたのではないか、と判断しました」


 すらすらと答えたアリスは然も当たり前のように語っている。しかし僅かな間の表情や挙動だけでそこまで読めるのはおかしいからな。

 なるほどと感心しているクロエも少しくらい疑問に思ってもいいんだぞ。

 ともかくとして、アリスの推測は正しい。


「たしかに、エメリーヌは俺たちの味方になってくれたと思ってくれていい。だが彼女を完全に救えたわけではない。だからこそ彼女を救うため、そして今後の俺たちのためにもやるべきことができた」


「やるべきこと、ですか……」


「貴族関係の、厄介事、かな……?」


「そんなところだな……一先ずは昼前にはこの屋敷を出ることになるから、そのときに詳しい内容は話すことにしよう」


 そう言えば二人は心得たように出立の準備を始める。それを見て俺も二人を手伝うために動きだし、数分もしないうちに屋敷から出る用意が整った。

 そして部屋で幾許かの時間待っていると、数度ノックの音が響いた。


 立ち上がり扉を開ければ、誰もいない。しかし気配は確かにあり、また横に柱と勘違いしてしまったギガースの人でもいるのかと思ったが、今度は見るべき場所が逆だった。

 つまり下、足元には所在なさげに立っている小さな人影があった。エプロンドレスを身につけたその女の子は俺の腰よりも少し低いほどの身長しかない。身に纏った服や短く纏まった栗色の髪の毛の上に載ったホワイトブリムを見るに彼女もメイドなのだろう。


「わ、私はコロクルで……これでも一応成人していますので、きちんとお仕事はできます、ご安心ください。朝食ができたので、案内を仰せつかってきたのです。すみません」


 恐らくどうして子供が、という顔を俺がしていたからだろう。かわいそうになるくらい早口で説明してから、何故か謝られた。コロクルとは背丈が小さいという特徴を持った亜人である。ドワーフよりなお小さいコロクルたちは顔つきや体型まで成人になっても人間の子供と変わらないらしい。

 そんな種族である彼女に対してつい癖でアリスたちにするように頭に手がのびかけるが、動く前に気付くことができた。危ないところだった。さすがに怯えさせたくはない。


「こちらこそすみません。コロクルの方を見るのは初めてだったもので、つい驚いてしまいました。朝食でしたよね、知らせてくれてありがとうございます」


 なるべく背の高さで威圧してしまわないように距離を詰めずにそう答えてから、アリスとクロエを呼んで彼女についていく。

 丁寧に対応したことをギガースの彼と同じように多少驚かれる。しかしエメリーヌから聞いていたのだろう、聞かされたことが事実だと確認できたからか彼女はほっとしてから笑顔になり俺たちを食堂まで案内してくれた。


「おはようございます、皆様よくお休みになれましたか?」


 食堂に入ると既に席に座っていたエメリーヌが唯一見える口元に笑みを浮かべて挨拶を投げかけてくる。注意深く見なければわからないが、昨日よりも少し俯き気味で周りに顔が見えないようにしているようだ。


「おはようございます。おかげさまで、よく休めましたよ」


 俺に続いて二人も挨拶を返し、それぞれよく眠れたという旨の言葉を返していると、壁際に控えているメイドたちがくすくすと笑っているのが見えた。耳をすますと、やはりエメリーヌに対する陰口のようで、昨日の夜のことを言っているのだろう。


「そりゃ、気持ちよく寝られたでしょうね」


「やっぱり、あの母親から産まれた子だものねぇ……」


 そんな風にエメリーヌや俺の関係を勘繰っているのがわかった。まぁ、本来であれば体を報酬としてこの家から逃れるための依頼を頼む予定で露骨に誘っていたのだから、そう思われるのも仕方ないことではあるが、あのような言い草は気分のいいものではない。

 しかしここで俺が怒ってしまえばエメリーヌの今後を台無しにしかねない。エメリーヌ自身が耐えているのだから、俺が勝手に口を出すことは躊躇われた。


「この度は私の我が侭にお付き合いくださりありがとうございました。朝食がすみましたら馬車を用意いたしますので、そのままお帰りくださって結構ですわ。報酬はフランソワからお受け取りくださいまし」


 エメリーヌがそう言うと、今度は俺を見て用が済んだ男は金を渡してお払い箱だの、所詮は興味本位で呼び込んだ男だのと囁かれる。聞こえていないと思っているのだろうが、こっちは少しの音から敵を察知しなければいけないダンジョンを経験している身だ。音にはそれなりに敏感になっているので、多少は聞こえるのである。

 祝福を受けているアリスやクロエからすれば、丸聞こえなのではないだろうか。チラリと見れば剣をさしている腰のあたりでアリスの手がぴくぴくと僅かに動いている。深く被ったフードからチラリと見えたクロエの顔は寒気がするほどの無表情だ。


 色々と言われて怒りもわいてくるが、俺以上に怒ってくれている人を見ると冷静になるものである。二人をそっと撫でて宥めつつチラリとエメリーヌを見ると、笑っていた。

 その弧を描く唇を見た瞬間ぞわりと背筋が震える。先程エメリーヌのこと自身を言われていたときよりも、恐らく彼女は怒っていた。

 こうなってくると最早俺自身は怒りなど忘れてしまい、もうやめておけと陰口を叩いているメイドたちを止めたくなってくる。幸い朝食が運ばれてきたところで陰口はおさまったので一安心である。


 それから後は何事もなく食事をすませ、別れの挨拶をすませるとフランソワに案内されて馬車まで移動する。アリスとクロエを抱き上げ馬車に乗せ、フランソワに向き直る。

 彼はこちらをジッと見つめていた。真意を探るようなその視線は、恐らくエメリーヌからある程度のことを聞いたからなのだろう。

 朝にエメリーヌから聞いたが、彼女が一番信用している使用人が彼だ。だからこそ連れてくる冒険者の品定めなども任せていたのだろう。そんな彼にも話を通しておくとは聞いていたので、この反応もある程度は予想していた。


「今夜、本当にお嬢様をお任せできるかどうか、確かめさせていただきます」


「そうですか……もう少し、反対するようなことを言われるかと思ったのですが」


「まさか、お嬢様がお決めになったのであれば反対はしませんよ。明らかに間違った相手であれば考え直すように進言もしますが……正解か間違いか、まだわかりませんから」


「では、正解だと思っていただけるように頑張りますよ」


 そう言って報酬を受け取り、別れ際にギルドカードはしまってからただ手を差し出した。フランソワはそれを無言で掴み握手を交わしたあと、馬車の扉が閉まるまで俺を見定めるように見つめていた。

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