第二章19
瞼の裏に朝日だろう光を感じて目を覚ます。腕に違和感を覚えたので目を開きそちらを見てみれば、遠慮がちに腕を引っ張ってそれを枕にしようとしているエメリーヌの姿がった。
「あ、いえ、これはその……」
未だにぼやけた頭でそれを見ながら、自然に彼女の頭に手がのびる。一瞬体を震わせてぎゅっと目を閉じるエメリーヌの頭に手をのせて、そっと引っ張っていた腕に押し付ける。
「ふぁ……? ん、んぅ……」
縮こませて固くしていた体が、驚いたような声と共に弛緩していく。そのまま自分からも腕に頭を預けて上目遣いでこちらを見上げてきた。
そんな彼女に腕枕をしてあげながら、微笑みを浮かべぼんやりとしたまどろみの中、頭を撫で続ける。そうして手を動かし続けていると段々と意識が覚醒してきた。
はっきりとした視界の中に彼女をおさめる。エメリーヌは顔を赤くしながら、それでも幸せそうに腕枕に頬ずりしてじっとこちらを見ていた。その様子を確認すると、俺は少し離れていた体を彼女に寄せて緩く抱きしめる。
「……昨日までは残された時間をどう使うかだけを悩み続けていたはずなのに」
彼女の方からも体をすり寄せて、お互いが重なるほどに近づきながら小さくこぼす。
「不思議ですわ、今はただこの時間がずっと続けばいいなんて思ってる」
「それくらいなら、満足するまで付き合うぞ」
俺がそう答えれば、彼女はくすぐったそうに笑ってぎゅっと一度強く抱きつく。
しかしすぐに離れると体を起こしてベッドから立ち上がった。
「エメリーヌ……?」
「あなた様はずるい人、一緒にいると幸福に溺れて駄目になってしまいそうですわ。いえ、実際に駄目になってしまっていましたね……ですが、駄目なままでいる気はありませんの。あなた様を愛しているからこそ、あなた様の愛にたゆたい続けることはいたしません」
背中で手を組みながら、くるりとまわるように振り返り、笑顔でそう言い切ってみせたエメリーヌ。体に合わせて髪が揺れ、朝日に照られてはっきりと見えた顔はいたずらが成功した子供のような、満面の笑顔だった。
恐らくその顔を見るに、俺は間の抜けたような呆けた表情をしていたのだろう。
「でも、たまにはあなた様の愛で、満たしてくださいましね?」
そう言って彼女は背中で手を組んだまま屈むように顔をこちらに近づけ、そっと口付けを落としてきた。軽く触れるだけのそれ。そして静かに離れた彼女は、恥ずかしげに笑っていた。
やはり俺は勝てそうにない。そして、きっとそれでいいのだ。
「わかった……エメリーヌが望んでくれるなら、いつでも」
それから今後のことについてや俺が使うことができる奇跡について話し合ってから、一時別れて俺はアリスたちが待っている部屋へと戻ることになった。
扉をあけると、横に昨日はなかった柱があった。なんだろうかと見上げてみれば、その柱には顔がついている。顔である。柱だと思っていたものは人だった。
「っ!」
驚いて咄嗟に数歩離れる。こういうところで以前の自分との差異を感じるな。アリスとの鍛錬やダンジョンで反射神経が鍛えられているのが実感できる。
そして離れた位置からよくみれば、恐ろしく背が高い筋骨隆々の男がそこにいることがわかった。日本人の平均身長よりもそれなりに大きいと自負している俺でも見上げるほどだ。
「……驚かせたようで申し訳ありません。私は見張りを仰せつかっております下男でございます。どうぞ、石像か柱とでも思い、お気になさらぬよう」
低く響く声で彼はそう言った。なるほど、エメリーヌが言っていたことを思い出した。だからこそ思いつけたというわけか。
ざんばら髪にごつごつとした印象を受ける強面の顔。彼はギガースという巨体が特徴の亜人だった。商家や貴族の邸宅で下男をしている亜人はそれなりに多い。彼もその一人だろう。
「いえ、フランソワさんと交代してからずっとここで見張りをしてくれていたのでしょう。早くからありがとうございます。それと、こちらこそ驚いてしまいすみません、この後も頑張ってください」
そう礼を告げてから今度こそエメリーヌの部屋から離れる。ギガースの男性は俺が礼を言うと少しだけ固まっていた。しかしすぐに持ち直すと頭をさげて見送ってくれる。
エドガール側の使用人たちとはどうかわからないが、エメリーヌたちとはそれなりに上手くやっているのだろう。彼の反応からそれが窺えた。
部屋に戻ると、俺が戻ってくるのを待っていたのだろう。扉を開くと同時にアリスとクロエが胸元に飛び込んでくる。距離がそれなりにあり受け止める準備はちゃんとできていたので無様に倒れることなく受け止めることができた。
「おかえりなさいませ、リク様」
「おかえり、なさい……リクさん」
「あぁ、ただいま二人とも」
強く抱きついてくる二人を抱き上げたまま、部屋の中へ入る。少女二人を両脇に抱えるようにしながら普通に歩けるとは、結構鍛えられたものだな。
重さを確かめるように二人を抱きなおしてみる。うん、軽い。鍛錬はこういう意味でも重要だなと改めて認識した。
そのまま立っているわけにもいかないので、二人と一緒にソファへと座る。
ここのところ毎日一緒に寝るのが当たり前の状況だったので、一晩離れていただけでも寂しかったのだろう。二人は座ってからも俺を離す素振りは見せなかった。
クロエにいたっては俺の左手を持ち上げてすりすりと頬ずりしている。
「はぁー……落ちつき、ます」
それに苦笑しながら、やりたいようにやれるよう左手から適度に力を抜いて、軽く頬を撫でるようにだけ動かす。そうすればクロエは満足そうに笑ってくれた。
アリスはアリスで何やらふんふんと鼻を鳴らして俺の匂いを嗅いでいる。
「どうした、何か匂うか……?」
「いえ、気配からわかっていましたけど、閨事などはなかったのだな、と。それはそれとして抱き合って寝るくらいはしていたようですけど……」
気配とか匂いでそこまでわかるのか。凄いけど背筋が震えるぞ。
まぁ、エメリーヌが色々と吐き出せるように俺がお節介を焼いたからそういう空気ではなくなったというのもあるが、他にも理由はあったりする。なのでどちらにせよ俺がそういう行為に及ぶことはなかっただろう。
「ん……? リク様、そういうことをするつもりは、なかったのですか?」
「絶対に詳しく心の中読めてるよな……?」
「いえ……今のは、ボクでも……わかりました、よ?」
「ばかな……」
クロエにまでバレたようだ。何故だ。
俺が眉を寄せていると、アリスとクロエはくすくすと笑い合っている。
「そういうことは、しないって……顔に、書いてありました、よ?」
「正確に言うと、何か事情もあったのでしょう、それについて考え込むような顔をした後に私たちを見て凄く優しい顔をしてくださいましたよね? それで、私たちのことを気遣ってくださったのかな、と思いまして」
凄く見られていた。というか二人の前だと割りと顔に色々と出ているようだ。外ではなるべく表情を作っているつもりなので、それほど出ていないことを祈ろう。
「……面倒臭い男の拘りだと思ってくれていいんだけどな。この世界にきて、最初に味方になってくれて、最初に好きだと言ってくれたアリスがまだなのに、他の女性に手を出すのは嫌なんだよ。それなら複数囲おうとするなって言われたら、何も言えないけどな」
かなり恥ずかしいことなうえに最低なことを直球で言ってしまったので少し顔が熱い。とはいえ信徒となってくれて、しかも愛まで与えてくれる相手には平等に責任を持とうとは思っているものの、アリスはその上で特別な存在なのだ。
見知らぬ異郷の地に放り出され、不可思議な力を手にいれたとはいえ、最初はたった一人きりだった。動かなければいけないと気にしないようにしていたが不安はあった。それを払い人との暖かな繋がりや、生きていくための手段を最初にくれたのがアリスだ。
そんなアリスを特別視してしまうのは、非難されても変わらないと思うし、これはただの我が侭である。つまりはこの意思は変えられない。本人がどう思うかはわからないけどな。アリスのことだから案外あっさりとではすぐにしましょうとか、私のことを見てくれるなら構わないのですよ、とか言ってくるかもしれないが。
ただアリスの体のことを考えると少なくともあと数年はそういう行為は慎むべきだと理性が本能を叩き潰してくるので結局のところ、今はそういうことはしないという結論になる。それはそれとしてご褒美は貰うのだが。浪漫の前に男の矜持など無力だ。
などといつもの如く思考を飛ばしていたのだが、アリスが大人しい。いつもなら俺の思考を完璧に読んだかのような発言や、信仰が極まったような言葉が飛び込んでくる頃だと思ったのだが。そんなことを考えつつ、アリスを見る。
「は、わ……え、あぅ……」
可愛い。お顔が真っ赤。どうしたと言うのだろうか。
アリスに対しては以前から結構色々言ってきたと思うのだが。
「アリスちゃん、特別扱い……いいなぁ」
「や、やめてくださいクロエさん! そんな、普通の酒場の娘で、病気で死にかけていたような、ただの町娘の私なんかがリク様のと、とくべ……!」
なるほど、特別扱いというのがきいたらしい。信徒で最初のキスは自分だと主張していたがあれは自分からのアピールだから平気だったのだろうか。
アリスはどうにかこうにか赤みの引かない顔を隠そうとするのだが、首筋や耳まで真っ赤なので隠しきれていない。彼女の珍しい反応に頭がグラグラしている。
見ないでください見ないでくださいと呟きながら必死に顔を背けるアリス。その様子を固まったままガン見する俺。クロエはなおもマイペースに俺の手に頬ずりをしていた。
面倒な男の意地だと非難されることは覚悟していた。これから先言われることがあるかもしれない。だがアリスがこんな風になるまで喜び恥ずかしがってくれていたことを思い出せば、誰になんと言われようと大丈夫だと、俺は確信した。




