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祝福の鐘を鳴らしたら  作者: 古賀幸也
第二章 愛を許容すること
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第二章15

 それは思考そのものが塗り変わるようなものではなく、言葉にしてしまえば今まで見えていたのに気付けなかった部分に気付くことができるようになった程度のことだった。

 けれどそれで十分。自分の思考というものはこんなにも自由で、どこまでも使いきることができるものだったのかという全能感に包まれそうになる。


 気付いた事実、そこから導き出す新しい答え。止まらない。今この瞬間も私の頭の別の部分では想像の盤上に置かれた駒たちが絶えず動き続けていた。

 それと同時に、私の変化に対しての疑問の追及。原因はわかりきっている、先程の光。ではこの変化はどのような作用が働いたがゆえのものか。


 常に外部からの干渉を受け誘導されている。即座に否定。あくまでも私の中にある知識と倫理観、感性に基づいた思考しか働いていない。以前の自分との差異を認識し、別人であるとは言えない程度の変化でしかない。

 知識や別の思考を植えつけられた。これも違う。先程も言った通り私は私である。今までの記憶そのものが与えられた、もしくは操作されたものである可能性に行き当たるがそれを今は確かめる術がないことにも気付き破棄。


 あくまでも記憶力、思考速度などがあがっているだけである。恐らくこれが正解。複数の思考を同時に巡らせることもできるようになっている。そこまで考えて、とある福者が存在しているという話を思い出す。

 大国の軍師や宰相、膨大な富を築き上げた商人などが自身でもわからないうちに素晴らしい答えが思い浮かぶのだと主張することがあるらしい。予知などと呼ばれているけれど、恐らくそれは無意識に行われた膨大な計算の末に導き出された先読みなのだ。

 実際に私の脳内で似たことが行われている。お兄様のこれまでの動きや立場。使用人たちの話から知ることができた町の様子。この国の歴史から現在の亜人たちの扱いにいたるまで。様々な要素が駒となり想像の盤上に広がっていた。


 ばらばらのそれら全てをただ漠然と見ているだけでは気付けなかった事実。けれど素早く的確に、思い通りに働いてくれる思考はそれらを整理して、見えなかった部分……今までの自分では指すことができなかった妙手を教えてくれる。

 普段から嗜んでいる盤上遊戯で現状を表し、その先の手を考え続ける。そうして頭の中で駒を動かしていると、実際の盤上遊戯でも年季の差ゆえに今まで勝つことができなかったフランソワの父を相手にしても勝てるような気がしてくる。


 そんな万能感が大きくなっていく中、一つのことに気がつく。これを与えてくれたであろう人に対する自身の感情。それが大きくなるにつれ、思考がそれまで以上に速くまわるようになっていく。

 それで改めて確信する。この祝福の如き力、福者になったかのような私の変化は彼によって齎されたものであると。そしてこの感情による力の揺れ幅は、もしかしたらセーフティのようなものなのかもしれないとも気付く。

 自身が与えた力で害されることがないようにということなのだろうか。少女たちの様子を見る限り、恐らく彼女たちもこの力の影響下にあるのだろう。麗しい容貌に類稀なる力を自身に与する者にのみ与える力。


 何と人としての汚い欲望を満たしうるものだろうか。思考を止める。それ以上考えてはいけないわ。一度考え出すと早くに気付き過ぎる思考は容易には止まってくれない。けれど彼への感情の変化に伴い思考速度そのものが落ちてきたことで自然に余計な追及は止まっていった。

 彼の力に対する認識を改める。再度その力について考える。絶望の淵に落ちたものであろうと救うことができるものである。才能なく見捨てられた者ですら救いうる力であると。


 そうすることでまた思考は加速する。良かったわ。彼をあまり悪く思いたくはないもの。それはこの力を失いたくないからでもあるけれど、今さっき考えていた通り、実際に私が救われているからでもあった。

 それに、今後時間を共に過ごす機会も増えるだろう相手を嫌いたくもなかった。きっと恐らく今の私であれば、内心を隠しながらでも今まで以上に男に好まれる女を演じることはできるだろうけれど、嫌いな相手に無理に媚びを売るより、好ましく思える相手の好みに合わせてみせるほうがずっといい。

 だからこそ、彼を好ましく思おうと思考の一つをその作業にまわす。そうすることで加速した思考が一つの手を思い付いた。


 この手を指せば、貴族としての私も死ぬことなく、義母や兄に怯える必要もなく生きていくことができるかもしれない。それどころか相応の地位を得ることすら……。

 そこまで考えて、駒を進めようとしていた手が止まる。実際に手を動かしていたわけではなく、それはつまり頭の中に描いていた盤上と駒、今後の動きを表していたそれらの思考が止まったことを意味していた。


 私がそんな大それたことをできるのかしら、と。そんな疑問が頭に浮かんできてしまう。そうするとこれまでの人生を振り返り、地味で愚図で平凡で、お兄様のような才気溢れる光り輝くような人たちの陰でひっそりと生きてきたことを思い出してしまう。

 そして何よりも、私にはもう時間がない。毒に侵された体はきっと数年のうちに私という存在をこの世界から消し去ってしまう。半分死人のような女が、何をしようというのだろう。

 今まで胸のうちにあった万能感なんてただの張りぼてに過ぎない。与えられた力で調子に乗ってしまっていただけ。行動を起こす前に気付けて良かった。


 思考が萎えていく。そうすると自然に手が彼に向かって伸びていた。

 当初の予定通りでいい。この人に媚びて生きていけば、少なくとも憧れていた世界を知りながら残された時間を生きていくことができる。こんな力を持っている人だからきっと酷い生活になんてならない。もっともっと上の等級にもあがることができるだろうから。

 汚い。汚い打算。彼のために尽くすから大丈夫だと、この期に及んで貴族である自分の価値を上に見て、尽くすと思いながらも彼を密かに見下したような思考が過ぎっていく。

 あぁ、やはり私は毒婦の才能があるのだろう。使用人たちの言葉を思い出して耐え切れず涙が零れてしまう。その涙すら利用しようと、彼に見せつけるように見上げながら。


「大丈夫ですか? 何か良くない影響でも……」


 そうして、狙った反応通りに心配してくれたことに安堵する。

 大丈夫。この人はきっと優しいから、見捨てられたりしない。今日一日観察していた彼の言動とフランソワからの報告を思い出して、そんな風に自分をさらに安心させていく。


「いえ、私のような卑しい者に過分なお慈悲をいただき、感謝で涙が出てきてしまっただけですわ」


 そんな風に嘯いて、どうにか彼の気を惹こうと考えていく。もう大それたことなど望んだりはしない。夢に思い描いていた世界を知ることができることですら幸運なのだから。

 でも、何故なのかしら。これ以上の涙は不審がられてしまうだけだろうから止めるべきなのに。止まってくれない。何故なのかしら、もう救われているはずなのに、助けてほしいと考えてしまうのは。


 わからない。以前よりも巡りの良くなったはずの頭でもわからない。自分のことなのにわからない。自分のことだからわからない。私は地味で愚図な私しか知らないから。

 乾いた音がからからと頭の中で鳴り響いているような錯覚。そんな思考の音を聞いた気がした。

 ふと、肩から温かさを感じる。それと、ごつごつした感触。彼の手のひら。


「私はあなたを救いたくて、この部屋にきました」


 耳から入ってきた言葉で、私の胸の内がそれを求めていたように温かくなる。

 そんな言葉はいらないはずなのに。ただ安穏とした未来があればそれでいいはずなのに。


「だから、そんな風に無理に笑わないでください。助けてほしいときは、素直に助けを求めてもいいんです。誰に言えばいいかわからないなら、私がその言葉を求めます。だから言ってください、本当は言いたいだろう言葉を」


 たくさん本を読んできた。似たような台詞は物語の中で見たことがある。

 安っぽい言葉。ともすれば純粋な子を騙そうとする悪い人間のような言い草。

 なのに、今の私がほしがっている言葉だった。


 なんでそんなことを言うのだろう。なんでそんなことが言えるのだろう。

 恥ずかしげもなく、みっともなく、必死に。

 今日会ったばかりの相手だというのに。

 わからない。わからないけれど心地好かった。ただ彼に委ねてしまいたくてそう思いたかったのかもしれない。


「私は……あなたのおかげで気付くことができました。私が貴族として死ななくてもすむかもしれない、どころか地位を高めることができるかもしれない可能性に」


「それは、凄いですね。でも、それなら何故すぐ言ってくれなかったのですか?」


「私にできるわけがないんです」


 言葉を選んでいたはずなのに、その言葉だけは口をついて出てしまった。

 そして、一度口に出してしまえば止まらない。止まってくれない。


「私みたいな地味で平凡な、兄たちとは全く違う貴族らしくもない人間に、大それたことなんてできるはずがないんです。娼婦の娘だからと使用人たちからすら毒婦と蔑まれ、そのことを否定しながら、結局打算に塗れたことを考えてしまう意地汚く卑しい女ができることなんて精一杯媚びを売って、慈悲に縋ることくらい。毒に侵されあと数年生きられるかわからないこんな体でも、求めてくださるのであればですが……」


 言ってしまった。言うべきではないことほぼ全てを。

 彼を押しやるようにして、背を向ける。


 馬鹿みたいね。さっきまで頭が良くなったと思っていたはずなのに、今の私の様子は子供の癇癪そのものだわ。

 思い通りにいかなくて、駄々を捏ねて拗ねるみっともない子供。


 彼もそう感じたからだろうか、本当に子供にするように頭を後ろから撫でられる。自分でしたことなのに恥ずかしくて文句を言いたくなってしまった。けれど言葉は口から出てこない。

 口をもごもごとさせていると、頭上から温かく柔らかな光が広がる。先程見たものとは、感じたものとは少し違う。

 撫でられたところから心地好さが体に広がっていくような、気だるさが消えていく感覚。気を抜いてしまえば倒れてしまいそうだったはずなのに、今は体が子供の頃よりも軽く感じた。


「……え?」


 間の抜けた声が出てしまう。思わず自分の手のひらを見つめる。そんなことをしても毒の有無などわかるはずがないのに。感覚でもう、毒の影響が消えただろうことは確信しているはずなのに、それでも思わず動いてしまった。

 そう、毒を盛られてからいっそう弱っていたはずの体に活力が溢れている。

 そしてすぐに理解する。理解してしまう。最初から諦めていたはずのこの体を、この先の未来を、私の命を彼が救ってくれたのだということを。


 頭に置かれていた手が肩に置かれる。頭が真っ白で、抵抗するなんてことは考えられもせず彼に促されるまま窓へと歩く。

 けれど思考だけはぐるぐると走り続けていた。


「大丈夫です」


 彼の言葉が耳を打つ。やめてほしい。これは駄目よ。いけないわ。聞きたくない、聞いてはいけない。

 今彼からほしい言葉を貰ってしまったら、自分がどうなるのかわからない。

 それなのに、体は動いてくれない。動きたくない。


「誰かがあなたを蔑もうと、あなた自身が蔑もうと、私は助けると決めたからそのたびにあなたを褒めます。蔑まれたことを忘れるくらいに褒めます。今まで周囲がほぼ全て敵だった中これまで耐え切るだけでなく、自由を得ようと努力したあなたは凄いと、偉いと、とても強い人だと。それでも自信がないのなら、私が自信を持てるように手伝います。与えた祝福でも足りないなら、できる限りのことで」


 祝福。彼はそう言った。自身を神だとでも言うのだろうか。なんとも傲慢で勘違いした人なのだろう。そんな風に考えてみたところで、先程のように思考速度が落ちていくことはない。

 こんな力を持っているのだから、そのように振舞ったほうが都合が良いのだと冷静な部分が反論している。けれどそれもあまり関係がない。彼を信じていることに、信じてしまっていることには、殆ど関係はなかった。


 そっと肩を支えるように持ちながら、彼は窓を示す。

 そこには夜の空が広がっていて、月と星の光以外真っ黒だった。

 だからこそ、昼間よりもずっと鮮明に、私の姿がそこに映っていた。


「気付いていたでしょうが、私はあなたに魅力を感じています。それでもあなたは自分のことを地味だと言うのでしょうが、これならどうですか。毒に侵された体も治しましたよ」


 酷い人。遠まわしに自分も地味だと認めていたと言っているようなもの。

 そして綺麗にしてあげるから自信を持てと言われているようなものでもあった。


 でも……本当に綺麗だった。気にしていた平凡な顔立ちは洗練されて……思わず目元を隠していた前髪を自分で払ってみる。アメジストのように輝く瞳が私を覗きこんでいた。

 ぱっちりと大きく、愛らしくも妖しいその瞳はまるで見るものを捕らえるようで、自分の瞳だというのに一瞬呼吸が止まってしまう。そのままジッと、鏡の中の自分と見つめ合う。


 本当に祝福のよう。物語に出てきた神に娶ってもらった少女を思い出す。神の奇跡で麗しい姫のようになった少女が、意地悪な家族たちから救われて天界へと招かれるお話。

 まるで今まで読んできたそんな物語の主人公にでもなったかのような錯覚。いえ、錯覚ではないのかもしれない。本当に目の前にいる人は、少なくとも、私にとっては……。


「……あなたは、酷い人ですわ」


「はい、自覚しています」


 彼の手を払うようにして一歩前に出る。そして振り返る。

 彼の顔を見て、確かめるように自身の胸に手を当てた。


 鼓動が高鳴っている。どうやら私は本気で彼に好意を抱き始めているらしい。

 なんて、取り繕っても仕方がありませんね。いくつも同時にまわっている思考の殆どは、今どれも同じようなことを考えていた。


 救われた。肯定された。褒められた。そのどれもが嬉しくて嬉しくて嬉しくて……自分が如何に他人から受け入れられることに餓えていたのか、救われたいと願っていたのかを自覚させられてしまった。昨日今日知った相手に救われたからとすぐに好意を抱くなんて軽い女ですわね、はしたない。黙りなさい。そんな常識は今はどうでもいい。自分の冷静な部分にさえそんな風に苛々と思考を波打たせてしまう。それくらい彼のことが好きで好きで好きになってしまって好きにさせてくれて好きにさせられてしまって、それが腹立たしくて嬉しくて幸せで。


 そんな思考がずっとぐるぐると頭の中でまわり続けてしまう。

 自分から好きになろうとしたときよりも、ずっと速い思考速度で。


 くだらないこと。なによりも大事なこと。

 でも今は考えるよりもしなければいけないことがある。

 また彼の頬に手を添える。今度は何も考えず、ただしたいように。自然に体が動く、動いてしまう。


「私の全てをお渡しします。ですからどうか、エメリーヌ・ド・アルターニュをいつまでも救って、褒めて、肯定して……愛してくださいませ」


 そう、だからただ感情のままに、本気の我が侭をぶつけた。

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