第二章12
日も完全に沈んだ頃、フランソワが迎えにきて食堂へと案内される。
夕食の間はすぐに本題のため切り込んでくるということはなく、本当に冒険者としての話の続きを語って聞かせながら食事を楽しむだけの時間となった。
エメリーヌは体が弱いと聞いていたがよく食べる。昼過ぎに結構な量のお菓子を食べていたはずだが、それでいて夕食も美味しそうに食べている。
その様子を見ている壁際に控えているメイドたちが小さく笑っていた。エメリーヌからは見えない位置ではあるが、そのすぐ後ろだというのに明らかに嘲りを含んだ笑みで。
フランソワがメイドたちに憎憎しげな目を向けているのも視界の端に見えた。その様子から考えると、どうにもこの屋敷の使用人たちは全てがエメリーヌに直接仕えているわけではないように思える。
そうなるとあのメイドたちの主は、エメリーヌの兄であるエドガールなのだろうか。そのあたりにも彼女が救いを求めていることが関係しているのかもしれない。
「今日はありがとうございました、とても楽しい時間を過ごすことができましたわ」
食事を終えたエメリーヌが口元を拭き、目礼しながら感謝の言葉を述べる。
浮かんでいる微笑を見るに、本当に楽しんでもらえたようで、そのことについては素直に嬉しく思った。なので、そこについては本心で答える。
「エメリーヌ様を楽しませることができたのであれば光栄です」
「えぇ、それはもうとても……ですから正規のもの以外に私個人からも報酬を差し上げたいと思うのですが……この後、私の部屋で、よろしいでしょうか?」
きた。アリスも言っていた通り、今夜中に動くようだ。
しかしこうも堂々とくるとは……何も知らない状態であれば、夜のお誘いのようにしか思えなかっただろう。実際メイドたちは彼女の言葉に、益々嘲りの笑みを深くしている。
これは使用人たちに対するカモフラージュも兼ねているのだろうか。
だとすれば、ここで深く言及するのは得策ではない。ちらりとアリスを横目で見て、彼女が頷くのを確認してから、できる限り嬉しそうに頷いた。
「まさか追加で報酬をいただけるとは……ありがたく受け取らせていただきます」
嬉しそうに笑みを浮かべる。演技がそれほど得意なわけでもない俺でも楽なものだ。
アリスやクロエと接しているとき、隠すことなく晒している低俗な部分をそのまま出してしまえばいいのだから。今の俺はきっと、どこから見ても貴族の息女からのお誘いにだらしのない笑みを浮かべる男そのものだ。
「ふふ、喜んでもらえたようで良かったですわ……では後ほど、私の寝室で」
僅かに頬を染めながら、その羞恥の証には似つかわしくない妖しい笑みを浮かべてエメリーヌが立ち上がる。その恥じらいは本物だというのに、誘う姿は艶かしい。
裏があることを知っている俺でも少しくらりとくるほど、むせ返るような色気を感じた。
しかし、そんな彼女がつまずいたのか姿勢を崩す。傍に控えていたフランソワが支えたおかげで転ぶようなことはなかった。
口元を押さえて頬を赤くしたエメリーヌはそそくさと扉へ向かう。
「フランソワ、少し時間を置いてからリクさんをお部屋に通してくださいな。その後は誰も部屋に近づけないように……お願いしますわね?」
「はっ、かしこまりました」
部屋から出る際にフランソワにそう言いつけてから、彼女は自室へと戻っていった。
それから俺たちもまた客室に戻るが、俺は一時的にそこで待機するだけだ。そのうちにフランソワが呼びにくるだろう。
「しかし、アリスがあんなに簡単に頷くとはな」
「この屋敷には護衛ができる程度の者はいるみたいですが、それだけのようです。なので何か起これば……いえ、何か起こる前に駆けつけることすらできそうですから」
何か起ころうとしていることはどうやって察知するのだろうか。
アリスは千里眼のようなものでも持っているのか。
「一応言っておきますが、リク様以外に対しては無理ですよ? この屋敷の中くらいならリク様の気配はある程度把握できて、リク様の気配の変化ならわかるというだけなので」
言っていることがよく理解できなかった。
いや、意味はわかるのだが、どうしてそんなことができるのかがわからない。
「愛ゆえに、ですかね……アリスちゃんのこれは理屈で考えたら駄目だと思いますよ?」
日も沈み俺たち以外に誰もいない室内に入ったことでフードを脱いですっきりした顔になっているクロエが、少しだけ笑いながら言う。
いや、ちょっと待ってほしい。
「クロエまで言葉にしなくても俺の内心理解してないか?」
「アリスちゃんからコツを聞きました、大事なのは愛と観察力ですよ」
そこまで思ってくれるのは嬉しいがやはり少し驚くぞ。
「とはいえ、アリスちゃんほどじゃないですけどね」
「クロエさんもかなりリク様を見ていますし、もっとできると思いますけど……」
「ボクはつい、視線が手にいっちゃうからなぁ……あ、でもリクさんが胸に触りたがってるときは手の無意識の動きでわかるよ」
待ってほしい。待って。
そういうことを察せられるのはかなり恥ずかしいのだが。
というか胸を触りたがってるときの手の動きってなんだ。無意識に胸を揉もうと指先が動いているのか。俺の手は未来の可能性を掴もうといつでも必死なのか。必死かもしれない。
「手の動きだけでわかるのは凄いですね……私は視線や鼓動、声の調子や喉の動きなど諸々から把握しているので、そこまではできません」
アリスにも把握されているようだった。いや、アリスならそれくらいは把握しているか。
しかし観察しているとは言っていたが、アリスは俺をどこまで見ているのか。
傍らでこちらを見上げているアリスに視線を向け目が合うと、アリスはにっこりと微笑んでみせる。こうして何気なく見上げているときも、色々と観察しているのだろう。俺のために。
そう考えると、自然にアリスの頭を撫でていた。
「リク様……?」
目を細めて嬉しそうにするが、さすがに何故撫でられているのかはわからないようでアリスは首を傾げた。
羨ましそうにしているクロエの頬にも手をのばして撫でながら、感じたことを口に出す。
「いや、俺のためにそこまでしてくれてると考えると嬉しいしありがたいと思ってな。だからこうして感謝の気持ちを表してる、いつもありがとう、二人とも」
「自分のためでもあるんですけどね」
「ボクも、リクさんの手を見てるだけで楽しいから……」
これからのことを考えると暢気なことをしていると自分でも思う。
しかし、いつも通りにしてくれる二人のおかげで俺も気が楽になった。
二人から感じる体温が、もはや俺の日常になっている。手のひらから伝わってくるその当たり前と安心感が俺を平静にしてくれた。
「……きましたね、恐らくフランソワさんです」
まだ俺には聞こえないが、どうやら足音が近づいてきているらしい。
アリスが背伸びをして耳元に口を近づけ、小声で教えてくれる。
「先ほども言いましたが、何かあればすぐに駆けつけますのでご安心を」
「ボクも動けるように待機しておきますね……頑張ってください」
「あぁ、いってくる」
それからすぐに俺にもフランソワのものだろう足音が聞こえてきて、客室の扉が開かれた。
いつかアリスから聞いた魔石を使ったランプだろう、仄かな明かりのみが揺らめく廊下をフランソワに先導され歩いていく。夜だからか、やけに足音が響いて聞こえる気がした。
エメリーヌの寝室の前までくると、フランソワは脇に控えて頭を下げる。
少しだけ深呼吸をしてから、扉を軽く叩いた。
「どうぞ、お入りください」
ノックの音に夜の静寂の中でさえ溶けて消えてしまいそうな、それでいて僅かな甘さを含んだ声で返答が返ってくる。扉を開くと、思わずその声に誘われるような足取りで室内へと足を踏みいれていた。
室内にランプの明かりはなく、月と星の僅かな光のみが窓から降り注いでいる。
窓辺に佇み、薄い影を室内に落とすように、彼女は立っていた。
こちらに振り向くと、微笑みながらゆっくりと手をこちらへ向け手招きを一つ。
それに逆らうことなく近づけば、そっと頬をなでるように手を添えられる。
「ようこそおいでくださいました。では、私からの報酬と……厚かましいとは思いますが、依頼の他にもう一つお願いがあるのです。どうか、聞いてくださいまし」
雲間から覗いた月が、はっきりと彼女の顔を照らす。
眉を寄せ、僅かに涙を滲ませながら、それでも笑みを浮かべて彼女は告げた。
「私の全てをお渡しします。ですからどうか、エメリーヌ・ド・アルターニュを殺してくださいませんか?」




