第二章2
未だに余所行きの無表情を緩めていないクロエがおもむろに手を挙げた。
「一つだけ……気になる、ことが……」
「おぉ、だよな、普通は言いたいことくらいあるだろ。よし、言ってやれ」
自分という人間の感性というものへの自信でもなくなっていたのか、ベルナールは同じような意見を言ってくれそうだと感じたのだろう、手をあげたクロエに嬉しそうに頷いた。
劣勢の戦場で助勢を受けた将軍も斯くやという態度と顔だ。
ベルナールの中では恐らく、俺の考えなしにも思える行動に、クロエが異議を唱えるような光景が思い浮かんでいるのだろう。実際、色々と考えこそしたものの基本的にただの我が侭であるからして、考えなしの行動そのものにしか見えないのだから普通はそうなる。
しかしそういった一般的な対応というのは、あまり期待しないほうがいい。
少なくとも俺たちに対しては。
「フランソワさんの、装備も……ボクが、作ることに……なるんで、しょうか?」
「場合によるな、明確に仲間になるのなら、作ってもらうことになる」
「なるほど……わかり、ました」
俺の言葉にクロエが頷き、あげていた手をさげた。
「何故そこで装備の心配をする?」
そこで腕を組み笑みを浮かべながら俺を見下ろしていたベルナールがクロエに振り返る。
当のクロエはといえばむしろその質問こそ疑問なようで首を傾げていた。
「一番、大事な……こと、だし?」
首を傾げたまま、クロエがそう言い切る。
ベルナールは無言のまま片手で顔を覆い、天を仰いだ。
「いや、他にもあるだろう、大事なこと。もっと相談してから返事をするべきだったんじゃないのかとか、そもそも裏があるのがわかってるなら避ける選択肢もあったんじゃないかとか」
「……?」
ベルナールの尤もらしい言葉にクロエは首を傾げたままだ。
何でそんなことを聞かないといけないのだろう、とでも言いたげに見える。
「何で、そんなこと……聞かないと、いけない、の?」
言った。まんま言ってのけた。
その言葉に唸りながらベルナールは頭をかきむしり短髪が揺れる。
あーあー……せっかく綺麗にまとめてある黒髪がグチャグチャだ。
「何でって当たり前だろ、お前も関わってることなんだしお前だって意見くらいあるだろ! それとも何か、思考放棄してこの二人の言うこと聞いてればいいとでも思ってんのか!」
息を荒らげながらそれだけ言い切るとベルナールは疲れたようにソファへと座り込む。
かなりの剣幕で言葉を投げつけられたというのに、クロエは微動だにしていない。
「それで、いい……考えは、するけど……言うことを、聞いてる、だけで」
「お前、それは……」
「ボクが、考えることはくらい……二人なら、きっと、気付く」
言いながらちらっと俺を見るクロエ。
「……リクさんは、うっかり、気付かないこと、あるかも、だけど」
正しい。正しいぞクロエ。
でもそれを面と向かって言われるのはちょっと傷つくかもしれないな。
少し落ち込んだことに気付いたのか、ごめんなさいと謝りながらクロエがそっと頭を撫でてきた。完全なるマッチポンプだというのに許してしまう俺はきっと最高に幸せな男だと思う。
「でも、アリスちゃんなら……大丈夫だと、思うし」
そんなアリスはクロエと一緒になって俺を撫でている。というか抱きしめている。
腕を挟みこむように二つの幸福そのものを包み込んだような肉が形を蠱惑的に歪めながら迫ってくる感触に俺は呆気なく無抵抗を決め込んだ。俺の機嫌がどうすれば良くなり些細な問題は許容してしまうようになるかアリスは本当によく理解している。
「それに……もしそれで、問題が起こるなら……ボクも、一緒にいたい」
その言葉に俺の緩んだ表情が自然と引き締まった。
だらしなく表情を崩して俺を抱きしめ撫でていたアリスも居住まいを正してクロエを見る。
「だから、ボクは……装備のこと……考えてる、くらいで……いいと、思う」
言いながら、クロエはそっと俺の手をとった。
「信頼、してるから……ボクは、それでいい」
無色透明だった顔に、仄かに温かな色彩が宿る。
ベルナールは今まで見たことがなかっただろう、優しい笑みだ。
重なった俺とクロエの手のうえに、アリスの手のひらも重ねられる。
三人分の幸福な温かさが、手を通して交じり合うような錯覚を覚えて、クロエの笑顔に引きずられるように、俺とアリスも柔らかく微笑んだ。
「はぁー……ったく、そこまで考えてるなら、もう何も言わねぇよ。怒って損したぜ」
ずるずるとソファから崩れ落ちるように脱力したベルナールが溜息を一つ。
その様子を見ながらしみじみと思う。やはり彼を味方に引き入れて良かった。
「いいや、ベルナールが如何に優しいか改めて理解できたから、損はしてないさ」
「やめろ恥ずかしいんだよ」
怒ったように言うが、疲れたのかその声に覇気は感じられなかった。
しばらくそのままジッとしていたが、徐にパシリと頬を叩くと体を起こす。
「よし、ならアルターニュのお嬢様となにかしら関係を持つだろうってことでいいんだな。できる限り情報を提供する。俺とダフニーもお前らとある意味一蓮托生なんだ、しくじるなよ」
「お前、本当にいい奴だよな……」
実際彼が怒ったのは俺たちを思ってのことで、指摘していたことも当たり前のことばかり。
ずれているのは俺たちのほうなのだ。
問題だと思った部分をはっきりと注意してくれる存在というのはありがたい。
俺がもし機嫌を損ねて祝福を取り上げでもしたら、彼はとても困るだろう。そんな状況でも真正面から意見をぶつけてくれる。それも俺たちを思ってだ。
いい奴だと言いたくもなる。
「ったく……あぁ、わかったわかったありがとよ。わかったから大人しく聞け」
「あぁ、頼む。アルターニュはここの領主だっていうことくらいしか知らないからな」
それからしばらくの間、ベルナールからアルターニュ家のことについて知っていることを教えてもらった。受付に戻らなくていいのかと聞いたが、普段の勤務態度がいいから依頼のことで相談を受けていたと言えば問題ないようだ。ある意味事実だしな。
それに、相手が俺たちであることも関係しているらしい。貴族の耳に入る程度には噂になっている福者だ。ギルド職員を一人宛がってご機嫌がとれるのならとっておいたほうがこの先のことを考えると有益だという判断もあるのだろう。
時間を気にすることなく話を聞けるのは実際ありがたいので遠慮なくベルナールを借りる。
現在ここを治めているのは件のエメリーヌお嬢様の兄である、エドガール・ド・アルターニュらしい。先代は既に病で亡くなっているらしく、息子であるエドガールが若くして家督を継いだという話だ。
若輩ではあるものの有能らしく、地方領主たちをまとめあげるほどの腕を見せている。
しかしその気性とやり口は苛烈らしく、噂では地方領主たちは逆らうことができないからこそ彼を中心に纏まっているという。それもアルターニュの軍は強卒ばかりであるという背景を考えると嘘だと言い切れないだろう。
このアルターニュ辺境伯領はバルトリードと呼ばれる地域と隣接しており、それが軍が強くなくてはならない理由となっている。
元々この辺りの土地にはエルフやドワーフといった亜人たちが住んでいた。そこへ攻め込んだのがアルターニュ領を含むリアン王国である。争いの末亜人たちは南へと追いやられ、広大な森林と山岳で守られたバルトリードから出てこなくなった。
険しい道に加えて魔物も潜む森林や山岳を大勢の軍を統率しながら攻め込むのは難しく、リアン王国はそこで進軍を諦めた。そして亜人との争いにおいて多大な貢献をしたアルターニュ家は辺境伯としてバルトリードに隠れ潜んだ亜人たちからリアンを守るよう命じられた。
このような経緯があるために、アルターニュ家は他の領主よりも軍に対する大きな権利を持っている。専属の軍人も多く、統率力や錬度も抜きん出ているのだろう。
そんな軍力を背景にエドガールはアルターニュ家の地位を磐石のものとしているようだ。
ただふりかざすのでは意味がない。苛烈なやり口であろうと、まとめあげているということは、それを上手く使える能力があるのだ。
苛烈で才気溢れる若き領主。それがエドガールという男らしい。
対して、俺たちが直接関係するエメリーヌはどうか。
彼女は正妻の子ではなく、噂では先代が晩年にメイドに手を出して産ませた子供であるという。母親は既におらず、彼女を出産すると同時に死亡したらしい。
才気溢れる兄と比べて大人しく、容姿も地味だというのが周囲からの認識のようだ。病弱というほどではないがあまり体は強くないらしく、ほとんど屋敷から出ることはない。
現在はアルターニュでも端の地域であるこのトゥールにある屋敷で暮らしているらしい。
「兄のほうは色々と話を聞くんだが、妹のほうは表にあまり出てこないからな……これくらいしか話せる内容はない、すまねぇ」
「いや、アルターニュのことがよくわかった。ありがとうベルナール」
「気にするな、俺のためでもある」
他にも色々と貴族やアルターニュ領のことを聞かせてくれたあと、乱れていた髪の毛を整えてベルナールは立ち上がった。
そろそろ受付へと戻ると言うのでついていき、諸々の魔物の素材を買い取ってもらい、最後にクレイジーベアの魔石を提出する。
「本当にもう初級ダンジョン全てを踏破してしまったのですね……さすがです」
すぐに仕事時の表情と口調に戻るあたり、仕事人である。
ギルドカードを渡して、入金と等級の変更を行ってもらう。
初級ダンジョンを踏破することが、七級になることの条件だからだ。
「リク様たちもこれで七級、おめでとうございます。これで冒険者としては一人前といったところ、これからの更なるご活躍を期待しております。ギルドカードの確認も、お願いしますね」
にこやかに称賛と激励、注意まで流れるようにすませるベルナール。
彼の言う通り、ギルドカードを確認すれば等級を示す部分はしっかりと七になっている。
それを見ながら、上級ダンジョン最下層で待つという何者かのことを思い出した。
貴族、ダンジョンに潜む謎の人物。
どちらも未だに謎が多いが、確固とした目的ができたのはある意味良かったのかもしれない。
まずは貴族のことだ。明日に備えるためにも、俺たちは三人で手を繋ぎ家へと戻った。




