第一章3
アリスの話、正確には酒場に来ていた冒険者の話では、ダンジョンには等級があるらしく、入るにはギルドへの登録が必要だが、初級だけはその限りではないらしい。
「公言されているわけではありませんが、緩やかな棄民が主な目的だとか。ダンジョン内で手に入る物を餌にして、乞食や孤児が自主的に減るのを期待して、制限を設けていないらしいです」
「それなら、中級や上級も解放したほうが、減るのは早いんじゃ……いや、そこから有用な者が出てくる可能性もあるからこそ、初級だけなのか」
「はい、いくら才能があろうとも、初級より上のダンジョンでは死ぬ可能性が高いので、初級で死ぬならそこまで、そこを越えることができれば有能な冒険者になる可能性もあるかもしれない、ということのようです」
ダンジョンなんて不可思議なものを、上手いこと政策に組み込んでいるものだと感心する。きっちりと討伐をこなしてきた者には、ギルドが色々と便宜を図るらしいのも、力をつけた者を取り込むためなのだろう。
棄民や死んだらそこまで、というのは残酷だと思うが、それは平和な世界に生きていたからこそ思えることなのかもしれない。此処ではそういうものなのだと、これからの自身の立場と同様、少しずつでも受け入れるしかないだろう。
それよりも、今の俺たちにとってこの話の大事なところは、初級ダンジョンには入ることに制限はなく、乞食や孤児であろうとも才能があれば金を稼ぎ再起を図れる場であるということだ。
つまるところ、俺たちはその初級ダンジョンに向かっている。
ダンジョンに潜る才能。罠や隠された通路や宝を見つける洞察力や技術、魔物なんていう超常の存在と戦う力。そんなものが俺にあるとは思えないが、その力を与えることはできる。アリスに与えた祝福がそれだ。
とはいえ、アリスはまだ子供。正直なところ少し不安である。
「しかし、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ、例えば……見ていてくださいね」
俺が疑問を口に出すと、そう言ってアリスは人通りのない脇道に入り、手招きしてくる。素直にそれに応じてついていき、黙ってみていると、急にアリスが壁に向かって軽く駆け出した。
壁にぶつかりそうになり、咄嗟に手をのばそうとしたが、どうやら杞憂だったらしい。
アリスはそのまま建物の壁を蹴るようにして上へ上へと駆け上がり、なんでもないように屋根の上に立つ。そしてそのままふっと背中から落ちる、かと思えばくるりと空中で身を翻して足から着地し、数度地面を軽やかに転がって衝撃を逃し、一つの負傷もなく戻ってきた。
「リク様から祝福を授かってから、身体がとても軽いのです。大丈夫だと思って試しにやってみましたが、やっぱりできましたね」
このような力を貰えてとても光栄だというように、にこにこと笑いながら誇らしげにそう語る。それに対して俺は子供の身ながら凄まじい身体能力を見せてくれたアリスに感嘆の念を覚えながら、しかしそれをあまり表には出さないようにして彼女に近づく。
「どうですか、これならリク様を守りながら魔物なんて、うぐっ!?」
「アリスが戦える力があるのはわかったし、それを示して俺のために頑張ろうとしてくれたのも嬉しい、ありがとう。でも、わざわざ危ないことをするのはやめるように」
ビシッとあまり痛くないだろう力加減でおでこに手刀を落としてから、言い含めるようにそう言いつつ、頭を撫でる。
「ご、ごめんなさい……。リク様に祝福を受けた体であって、リク様のためにあるものですもんね、無闇に危ない真似をしないように気をつけます。それに……心配してくださってありがとうございます」
叱られたことにショックを受けた、というよりも、失望されないか心配だったのだろう。手刀を落とされた直後は怯えたような表情をしていたが、心配する言葉をかけるとすぐにそれは感激するものへと変わった。これがただ喜んでいるだけならもう少し叱るが、どうやらきっちりと理解はしているようだ。
その理解の仕方が少しずれているが、結果的に危ないことをしないように気をつけるのであれば良しとしよう。
ともあれ、まだ疑問はある、話を続けよう。
「ただ、武器がないだろう? それはどうする?」
「この町の初級ダンジョンの浅い階層に出現する魔物はゴブリンだそうで、粗末ではありますが武器の類も落とすようです。それを使おうかと」
「なるほど、最初の一匹は?」
「最初は、そうですね……転ばせてから、頭を手ごろな石で叩き割りましょうか」
そこら辺に転がっている石ころを物色しながら、至極真面目な顔でアリスはそう言いきった。これは信仰心故なのか、それともこの世界の常識的に、魔物相手ならこれくらいのことを言ってのけるのは普通なのか……。
どちらにせよ背中に寒々しいものが走るが、これもまた必要なこと。
そう言い聞かせながら、アリスとこれからのことを話し合いつつダンジョンへと向かう。自分に何かを言い聞かせることが多い気がするが、それもまた、仕方ないことなのだろう。
大通りの先にあった大きな建物、どうやらそこがギルドらしく、そこに隣接するようにダンジョンへの入り口も存在していた。三つあるうちの一番小さいもの、初級のダンジョンを目指す。
初級ダンジョンの入り口は特に見張りのような者が立っていることもなく、地面が盛り上がるようにぽっかりと開いた穴の周りを覆うように石造りの建物が建てられ、木の扉で外と隔ててある。
出入りが自由というだけあって、それなりに人の往来はあるようだ。俺たちが入るときにも入れ違うように出ていく者が居り、それに軽く会釈をして穴の中へ入ると地下深くまで螺旋階段が続いているのが見えた。
それを降り一番下までつくと、石造りの通路が横へと続いている。壁自体が薄く発光しており、少し暗くはあるが何も見えないということはなさそうだ。
「リク様は後ろに、私が先行します」
「あぁ、頼む」
ダンジョンの中へと入り、アリスを先頭にして進む。大人の男である俺が後ろで、子供で女のアリスが前を行くというのは何とも情けない限りだが……今のアリスと俺では多分、腕相撲をしようが徒競走をしようが、純粋な身体能力の差で負けるはずだ。
まぁつまり、格好をつけて俺が前に、なんて言ったほうがアリスの負担は増えるだろう。更に言えば、俺には奇跡がある。俺が無事なら、もしアリスが傷を負ったとしても癒すことができるが、俺が大怪我を負い意識を失ったりなどして、奇跡を使えない状態になったらまずいのだ。
後ろで大人しくしているほうが、二人のため。
半ばそう言い聞かせるようにしてアリスの後ろに引っ込む。
しばらくの間警戒しつつ前へと進んでいると、ふとアリスが足を止めた。手で俺に止まるように指示してから、そっと近づき声を潜めて話しかけてくる。
「前のほうに気配を感じます、恐らくゴブリンかと」
「やれるか?」
「我が神に誓って、やってみせます」
それ、俺だろう。思わず突っ込みそうになったが、アリスは真剣だ。
真剣な表情のアリスに対して、こちらも努めて神妙な顔で頷いてから、駆け出すアリスを見送り、邪魔にならない程度の距離をあけて後を追う。
そのすぐ後、前のほうから数度鈍い殴打の音と、濁ったような汚い悲鳴があがった。更に進むと、倒れ伏している緑色の肌をした小人のような者と、石を片手にそれを見下ろしているアリスがいた。
「あ、リク様。やりました!」
俺が追いついたのを確認するとアリスは振り返り、狩った獲物を誇る猫のようにこちらへと笑顔で駆け寄ってくる。
「平気か?」
「はい、初めてのことなので、苦戦するかと思いましたが、呆気なかったです」
それもあるが、生き物を殺すことへの忌避感などについても聞いたつもりだったのだけれど、深く考えるのはやめておこう。
大丈夫そうだということがわかればそれで……
「初めてリク様に供物を捧げることができて嬉しいです……あ、魔石を回収してきますね」
(信仰をキメていらっしゃる?)
頬を薄っすらと赤く染め、恍惚とした表情で嬉しそうにそう言うアリスを見て咄嗟にそんな言葉が頭を過ぎった。パタパタと駆けていき、なおも笑顔でゴブリンが使っていたのだろう粗末な剣を使ってそのゴブリンを解体しているアリスを見て、改めて自分はとんでもないことをしているのだなと実感した。
しばし呆然とその様子を眺めていると、解体が終わったらしくアリスがビー玉ほどの大きさの歪な石ころのようなものを持ってこちらに戻ってくる。
「これが魔石です。魔物の体内にある魔力の塊のようなもので、ギルドで買い取ってくれるらしいですよ。どうぞ、リク様」
そう言いながら、期待に満ちた笑顔で、魔石を差し出してくる。
それに対して、俺は魔石を受け取り、ポケットへと仕舞いこみながら笑顔でアリスの頭を撫でた。犬のように手のひらに頭を擦りつけ、尻尾があればぶんぶんと振っているだろうというほど、満足そうな笑顔を浮かべてくる。
この短い間に、だんだん慣れてきた自分が少し怖い。
その後ダンジョンは、アリスの独擅場を眺めるだけの場と化した。粗末な剣であってもアリスが扱えば名剣の如くと言ったところだろうか。通りすがりの一閃でゴブリンの首はその半ばまで切断されてあっさりと絶命する。
途中からは魔石の回収は俺がすることにした。アリスが多少難色を示したが、俺が回収している間アリスが周囲の警戒をしてくれたほうが安全だと説得すれば納得してくれた。
それに、万が一怪我をしたときの保険が俺であるとはいえ、何もしないというのも居心地が悪い。アリスに責める気などなくても俺自身の精神的な問題である。
生き物の解体ということで、多少の吐き気を覚えたが、アリスの前で嘔吐するわけにもいかない。喉をせりあがってくるものを飲み込んで作業を続けた。
ゴブリンを見つけ、アリスが倒し、俺が魔石を回収する。一連の作業と化したそれを繰り返し、ジャージのポケットが片方一杯になってきたあたりでダンジョンを出てギルドへ向かった。