第一章36
それからしばらくの間、俺の手はクロエの手の内、もとい口の内に囚われていた。
盾は既に外していて、二人とも椅子に座った状態で先ほどからずっとこのままだ。
しかし手際の良いアリスはすぐに用事をすませて戻ってくる。つまりそろそろやってくるだろうアリスが、現状をどうにかしてくれるはずだ。
嫌だというわけではない。断じて。
好意を隠すこともしないほどに自分のことを慕ってくれている少女に、愛しさが過ぎて手や指を口で愛でられるなどご褒美でしかない。
ただ夢中になりすぎてこのままだと指がふやけるまで続けるだろう。
一度クールダウンしてもらうためにも、他者からの介入が必要だった。
自分でクロエに声をかけるのが一番だということはわかっている。しかし必死に、幸せそうに、息を切らせてまで俺の手に夢中になっているのを見ると水を差すのも憚られた。
あと単純に手が心地好くて俺自身止めるタイミングを見失っている。
だからこそ工房の入り口から現れたアリスの姿を、天の助けだとすら思ったのだ。
しかし天は落ちた。杞人の憂えは正しかったようだ。
どうしてこうなっているのだろう。
右はクロエが、左はアリスが、俺の手を捧げ持つようにして跪いている。
いや、話は簡単だ。俺の手を、手と口で弄繰り回していたクロエを見たアリスが止めることなくむしろ羨ましそうに見てきたからだ。ジッとおねだりでもするように上目遣いで左手を握ってこられて、駄目だと言えるはずもない。
「はむ……んっ、ちゅむ……れぇー……」
唇と舌を使って磨くように小指を舐め啜り、吸いながら少しずつ引き抜いていく。ちゅぽんと、水気を含んだ空気が抜ける音が響き、小指が口内から解放される。
温かい口内から出され、唾液で濡れていることも合わさり少し冷たく感じた。しかしすぐにそれを労わるように舌が這い、徐々に薬指の方へと移動していく。
指と指の間の皺さえ押し伸ばすように舌をその暖かさと一緒に押し付けられ、じんわりと熱が移されるような感覚を覚えた。ちろちろと擽るように舌が踊り、今度は薬指を先端までゆっくり、ゆっくりとのぼってくる。
「はぁー……ちゅぷっ」
そしてまた口内へと誘い込まれるように咥えられる。丁寧に丁寧に、磨くように味わうように、宝物にするように、美食にするように、舐め清められた。
アリスは恍惚とした表情こそしているものの理性を残して、どちらかと言えば奉仕をしようと、したいと思いながらしている節があった。
対してクロエは本能とでも言えばいいか、彼女が言うところのドワーフが手を好む性質のままに、俺の手を求め味わっているような舐め方をしてくる。
「ちゅぷ、ちゅううううぅ……っぽん、あぁむ」
甘露でも啜るように夢中で指を吸い、好物をすぐに食べてしまうのを惜しんでいるかのように甘く噛んでくる。優しく労わるようなアリスのものとは違う、本気で求められていると実感するような形振り構わないそれ。
しかし傷つけるようなことはしない。噛まれたとしても、くすぐったく感じる程度で痛みを感じることは一度もなかった。大切に、それでいて激しく求められている。
「はぁ……れろ、ぺろ」
その感情を証明するかのように時折口内から指を出しては、見せつけるように、慈しむように俺の顔を見上げ舌を指へ這わせてきた。
それが右と左で五本ずつ、合わせて十本の指全てに施されるまで繰り返されていく。
「んっ、ぷぁ……はぁー……これは、中々……ん、ふぅー……いい、ですね」
五本目、親指から口を離して頬を赤く、息を荒くしながらアリスが言う。
離した唇と指の間に銀色の橋がかかり、それがぷつりと落ちてアリスの口元を汚した。
「はふ、はぁ……まんじょく、れす」
クロエは幸せそうに顔を緩ませて、唾液が唇の端から垂れるのも気にしていない。
解放された手を二人の口元にのばし、唇を拭うように動かす。
「まぁ、二人がこれで満足するなら、俺も嬉しいよ」
結局指がふやけるまで行為が続いたことに苦笑しながら、二人の口元と俺の手を奇跡を使って綺麗にしていく。光が瞬くと、どちらからも唾液は消えていった。
そしてそのまま二人の頬に手を添えるようにして撫でる。
癒しの奇跡の光はまだ消えず、俺の手に合わせるように二人の頬を包んでいる。
それなりの時間口を動かし続けていたのだ、顎も疲れているだろう。そんな二人を慰撫するように頬を撫で続ける。
この奇跡の光には、多少の心地好さや安心感を与える効果もあるようで、労わるときにこうするのは二人のお気に入りだった。
アリスもクロエも、気持ち良さそうに目を閉じている。
「……あぁ、そうだ、そのままでいいから聞いてくれ」
二人に話があったことを思いだし、丁度いいので今すませてしまうことにした。
首を傾げて話を聞くために目を開いた二人を確認して、話を切りだす。
「実はクロエに盾を頼んでいたのは、あることを思いついたからでな……」
反対されるだろうなと思いながらも、俺は自分の考えを語った。
◆◇◆◇◆◇
翌日、ダンジョンの中では二つの台風が吹き荒れていた。
「はぁあああああああ!」
「ぜりゃぁあああああ!」
その台風の目は、アリスとクロエである。もう既にここは五階層であり、ここまでほぼノンストップで辿り着いていた。
そして今回、俺はほぼ戦闘で動いていない。
以前のように後ろに下がっているわけではないのだ。
ただ俺が何かをしようとする前に、二人がすぐに終わらせてしまう。
それに、俺が魔物へ向かって駆けようとすると、前方で戦闘しているのにどうやって察知しているのか、身を翻したアリスがその魔物を即座に倒してしまう。
原因はわかっている。昨日した話のせいだ。
俺が危ないというか痛い目に遭うような提案だったからだろう。なるべくそうならないように、その必要がないことを示すために、二人は全力で魔物を屠っている。
しかし無茶をしているわけではない。それでは意味がないとわかっているのだ。
俺を守るために力を使い果たして、結局守ることができなくなるのでは本末転倒。だからこそ、過度に疲労しないように気をつけている。
体力が続かないのではないかと聞けば、そんなことを言われた。
では二人が何故これほど動けているのか。
意思の力である。
根性論のようなものではなく、恐らく二人は意思の強さで体も強くなっているのだ。
祝福の力は俺への信仰心や信頼などの感情により効果が増す。俺のことを案じてくれている二人は、現在祝福にブーストがかかっているようなものなのだろう。
俺が危ない場面で、アリスやクロエが的確に助けてくれていたことがあるが、そのときも祝福の力が強まっていたのかもしれない。
そんな二人を阻めるものはなく、ここまで凄い速さで進んできた。
ハンターウルフの群れが暗闇に紛れて襲いかかってきても、見えているかのようにそれを察知したアリスとクロエに切り捨てられ、両断されてしまっている。
鎧袖一触とはこのことだろう。
「ふぅー……では、リク様どうぞ」
「周囲の警戒はしておきますから」
「あぁ、ありがとう」
しかし、二人は心配もしているが、俺の提案を認めてくれてもいる。
だからこそこうして実戦で、魔物を相手に特訓もさせてくれるのだ。
今回出会ったハンターウルフの群れをほぼ全て倒してから、二人は距離をあける。
そして、俺の前には残されたハンターウルフが一匹。
獰猛に唸りながら床を蹴り、牙を剥いてこちらを睨みつけている。
昨日のアリスからの指導、そして今日の実戦での訓練。どちらでも手応えは感じている。
奇跡を使える俺だからこその戦い方だ。そんな実感を得つつ顔をあげた。
飛びかかってくるハンターウルフを睨みつけながら、盾を構える。
ただの思いつきを確固とした現実のものとするため、俺は強く足を踏みしめた。




