第一章35
ギルドへ着くといつも通りベルナールの待つ受付へ向かう。買い取りをしてもらうために素材と魔石を出すと、彼は感嘆の声をあげてハンターウルフの魔石を持ち上げた。
「おぉ、これはハンターウルフの魔石ですね……五階層到達、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「初級ダンジョン攻略まであとわずかですね。あなた方なら大丈夫でしょうが、五階層にはゲートキーパーがいますので、十分お気をつけください」
その言葉に頷きながら、調べた情報を思い出す。
ゲートキーパー、五階層ごとに存在する強力な魔物の総称。次の階層への階段や最下層の一番奥を守るように現れる存在だ。通路を徘徊している魔物とは一線を画す強さを持っているらしく、その階層の魔物を相手にできるからと油断すれば死ぬ恐れもある。
しかし、先に進むのであれば避けては通れない。
アリスとクロエであればゲートキーパーを相手にしたとしても勝てるだろう。ただ問題は俺だ。膂力や技術が不足しており、強敵が相手となると足手まといになる。
ただ、強敵との戦闘は未だ経験したことがない。アリスやクロエが手傷を負う危険性もあるし、その場合傷を癒せる俺がいるかどうかは彼女たちの安全性に大きく関わってくる。
そう考えるとゲートキーパーとの戦いで俺が引っ込んでいるという選択肢はない。
アリスたちも同じようなことを考えていたのだろう。魔石と素材の買い取りを済ませた後、家へと帰る途中に両側から服の裾を引っ張り心配げな目で見上げてくる。
「リク様、ゲートキーパーとの戦闘には無理に参加する必要はないですからね」
「そう、ですね……待機していても……いい、かと」
真剣に俺のことを案じてくれているのだろう。
足手纏いであるとかそういうことではなく、ただ純粋に俺が危険な目に遭うのを嫌がっているのがよくわかる。嫌な想像でもしたのか、目尻に少しだけ涙が浮いているのが見えたからだ。
二人の涙を指ですくって、頭を軽く撫でる。
「心配してくれてありがとう。でも俺も二人のことが心配だからな、一緒に行くよ」
「それは……わかり、ました。ありがとうございます」
「リクさん……ずるい、です」
アリスは頬を染めてから、嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。
対してクロエは少し拗ねたように顔をそらす。しかしそれでも口元は緩んでしまっていて、喜んでくれているのがわかった。
ただ、どちらにしても、二人が心配しているのは変わらないようだ。
だって、二人とも服を握っている手の力が凄いからね。破れちゃうよ。
苦笑して、そっと服を握っている二人の手をとる。そうすると二人の手から力が抜けて、指を自然に絡めてきた。手のひらを合わせて握ろうと思ったけれど、二人とも満足そうな顔をしているので、これでもいいか。
家に着くまでの間、三人で手を繋ぎ続けた。
帰宅するとアリスは部屋の清掃や水汲みをしにいく。毎日のように部屋は綺麗でベッドも整えられており、手伝おうとするといつの間にか終わっているのだ。むしろ手伝おうとするとやんわりとやめて下さいと言い含められるくらいなので、今は完全に任せている。
なのでアリスについていくことはしない。それに今日はクロエに用がある。
「クロエ、そろそろ完成するんだったよな?」
「はい、あとは仕上げに細かいところを整形するくらいなので、少し待ってくださいね」
「あぁ、わかった」
工房に入りラフな格好に着替えたクロエが、板のようなものを取り出す。
金属の部分に鑢をかけ、木材部分をナイフで削っていく。
持ち上げては傾けたり裏返してみたりと形を確認してからまた作業を続ける。それを数度繰り返してから一つ頷くと、手元が仄かに光り輝いた。恐らく魔力を込めたのだろう。
「よし、完成です。どうぞ」
「ありがとう」
手渡された盾を受け取り、軽く構えてみる。
そう、クロエには新しい装備として盾を頼んでおいたのだ。
木材も使っているからか、それなりの大きさでも重すぎるということはなかった。
「少し大きめの手盾で、材料は基本的にトレントの木材を、外縁などの補強として鋼も使っています。盾なので勿論攻撃を防ぐのが主な役割ですが、この大きさでしたら振りかぶることも可能ですし、押し付けるように叩きつければ牽制として十分に使えるかと。武器を使って素早く向かってくる魔物を迎撃するのに技術的な不安が残っているという話でしたけれど、この盾であれば突進などを防ぎやすいですし、そのあと相手を押しのけてからメイスで攻撃するなど、安定した戦い方ができると思いますよ。注意点ですが、体全てをカバーできるほどの大きさではないので、足元などへの攻撃には注意してくださいね。あと強度の面で不安があるかもしれませんが、そこはご安心を。この盾に付与したのは自己修復と硬質化。他の装備と同じように多少の傷やへこみ程度なら直りますし、生半可な攻撃では殆ど傷もつきません。勿論どちらも魔力を使用するのでご注意を」
最早慣れてきたクロエの説明を聞いて、試しに魔力をこめてみる。
少し力をこめてメイスをぶつけてみるが、金属でも叩いたような音がして弾かれる。
なるほど、これなら確かに強度の心配はいらないだろう。
「いつも良質な装備をありがとう、クロエ」
「いえ、あなたのためにこの腕を振るうのがボクの生き甲斐ですから」
それが誇張でもなんでもなく、事実なのだから感謝しか浮かんでこない。
「それでも、お礼がしたい気持ちはあるからな。何かしてほしいことはないか?」
「手を触らせてください」
即答だった。本当に手が好きなんだな。
俺は苦笑して頷くとクロエに向かって手を差し出そうとして、思い出す。
「あぁ、少し待ってくれ、帰ってきてそのままだから汚れてる。綺麗に……」
言いながら奇跡を起こそうとすると、素早くクロエの手が伸びてきて遮られる。
そのまま、まるで愛しい子供にするように俺の手を胸元に掻き抱いた。
「大丈夫です、今日もたくさん頑張ってくれた証ですし……」
クロエが小さく溜息を吐く。呆れの含んだものではない。
その目は恍惚としたように蕩け、口元からは熱っぽい吐息が吐き出されていた。
胸の間に腕を挟まれるように抱かれて、その間から顔に向かって手がのびている。
当然、そんな風に抱かれているのだから密着していて口元に時折手が当たっていた。
「すぅー……ふぅー……」
俺の手の甲にクロエの手が重ねられ、彼女の口元に押し付けられる。
そのまま深く深呼吸をして、手の匂いを嗅がれた。どういう状況だろうか。
「そうだ……汚れが気になるなら、ボクが綺麗にしますね……」
どういう意味かと訊ねるより先に、手に違和感。
濡れたような、それでいて熱い感覚。ぬめったそれが手の内側を這い回っている。
ゾクゾクと背中が震えた。手元を見れば、クロエが舌を出して俺の手のひらを舐めている。
「ん、れろ……しょっぱい……」
そりゃそうでしょうよ。ダンジョン探索でたくさん汗をかいたからね。
汗をかいた手の味なんて気持ち悪くないのだろうかと思ったが、クロエは幸せそうにぺろぺろと俺の手を舐め続けている。綺麗にするという建前はどこに消えたのか。
「指も……ちゅ、あむ、ちゅぷ」
下から舐め上げるようにして親指の先に舌が到達すると、クロエは口を開いてそれを中へと迎え入れた。親指がまるでぬるま湯にでも浸かったように温かくなる。
とぷりと、口内に溜まった唾液に親指が浸っていた。軽く吸われ、口の中で蠢く舌が指紋の一つ一つを清めるかのように舐られる。そのままクロエの唾液と、俺の指の塩気を混ぜ合わせるかのように舌を動かし、こくりと小さく嚥下した。
「ぷはぁ……おいし……」
ただ肌と汗の味がするだけだろうから、美味しいとは思えないのだが。
しかしクロエは本当に美味しいと思っているのか、満足げな溜息をゆっくり吐き出す。
「リクさんの、味がします……」
なるほど、俺の手だから美味しく感じるということらしい。
愛情が一番の調味料という話はよく聞くが、食べる側が過剰に添加するのはどうなのだろう。それで美味しく感じるのならいいとは思うが。
しかし、一つだけ言えることがある。
今の言葉は、凄くグッときた。




