第一章26
アリスにからかうのをやめるように言って、騒ぐクロエの頬を俺の手でむにむにと揉んでやり、どうにか宥めることに成功する。
彼女が落ち着いた頃には、丁度夕食時になっていた。
前の宿と同じく夕食は辞退してこちらで作る、もとい創る。
大人しく机に空の食器を並べていくアリスと、首を傾げているクロエ。
机の上に手をかざし、念じると同時に光が瞬く。それが収まると、一瞬視界が遮られるほどの湯気が立ち上る。見れば、食器の中にはできたての料理が入っていた。
今日の献立は炊きたての白米に豆腐と葱の味噌汁。にんじんと油あげも入ったひじきの煮物に、ごろごろとしたじゃがいもたっぷりの肉じゃがだ。
最初は完全に和食にするのはどうかと思ったが、普段の食事ではアリスにも好評なのでクロエに対しても大丈夫かどうか、確かめる意味でもこのようにした。無論、今のところいくらでも出せるので、無理そうなら別のものを出して、クロエの分は俺とアリスで食べるつもりである。
「クロエ、あまり見たことのない料理だと思うが、口に合うか試して……?」
「凄い……リクさんの手は本当に凄いですね……」
クロエは瞳を輝かせて俺の手を見ていた。
既に祝福を与えるという奇跡を体験しているからか、思いのほかすんなりと受け入れてくれた。彼女曰く、魔法の手だからな……。
しかし、相変わらずこういう純粋な反応をされると面映い。
それに、この世界にやってきたのと同時に知らないうちに使えるようになったこの力。祝福を与えたり、自由に食べ物を生み出す奇跡の力。使えるから使う、利用しているけれど、どうしてもこれが自分の力だという認識には繋がらない。
そんな力を振りかざして、神と嘯くことを決めた身ではあるが、やはり手放しでこうも褒められると違和感があった。嬉しくないわけではないが、後ろめたさとでもいうのか。
「……リク様?」
「ん、あぁ、大丈夫だ。ちょっと考え事をな。それよりクロエ、食べられそうか?」
「あ、はい。では試しに」
特に迷うこともなく、スプーンで肉じゃがを掬って口へと運ぶ。中までしっかりと火が通った芋はそれはもうほくほくで熱いだろうに。案の定少しでも冷まそうと空気を求めてはふはふとしている。
見かねて水を差し出そうとしたら、既にアリスがクロエの手元へと渡していた。
「んぐ、ごく……はぁ、何だか甘辛くて、不思議な味ですね。でも美味しいです」
「そうか、気に入ってくれたなら良かった」
その後も白米がパンのかわりに主食だと説明して、おかずと一緒に食べると美味しいぞと説明しつつ食べてもらった。どうやらそちらも気に入ってくれたようで、ぱくぱくと食べてくれている。
そのうち箸も欲しいなと考えつつ、俺も自分の分に手をつけた。
湯気の立つほどにほかほかの白米を噛み締め、仄かな米そのものの甘味を感じつつ、味噌汁を流し込む。米と味噌はどうしてこうも合うのだろうか。
そのまま肉じゃがと煮物にも手をつけ、こちらもそれぞれ白米と一緒に味わう。よく味の染み込んだ肉やひじき、暖かな白米と一緒にそれらを噛み締め嚥下するごとにただ美味いと感じる。日本から遠く離れた地であっても、まともどころか、とても美味しい和食を食べられることに感謝しつつ、暖かな緑茶をコップに生み出し飲んで幸福な溜息を一つ。
最近はアリスからもリクエストがあったりして、今日も途中で沢庵を所望された。何というか、自分が好む文化を受け入れてもらう安心感のようなものを感じる。
おかずを粗方食べ終えると、漬物と残った白米を緑茶で流し込むようにして平らげた。
三人揃って緑茶を飲みつつ、ほっと食後の一息。
その後、アリスが貰ってきてくれた水を使って互いに体を拭いたりと寝る支度を済ませて、三人揃って床へつく。俺を中央にして、アリスとクロエが両側から抱きつく形だ。
「……」
なんだか凄く自然に、夕食からここまできた気がする。少女と一緒にベッドに入るなんてことは、アリスと出会うまでなかったはずなのだが、当たり前のような状況だ。
「リク様、寒くないですか?」
「あぁ、アリスが温かいからな、ありがとう」
今日もアリスはその体を絡ませるようにして抱きついている。左足を跨るように足を軽く乗せられて、左手は俺の胸元を撫でるようにして添えられていた。
無論、大きく育った二つの山も、俺という大地に対して山崩れでも起こしたかのようにその形を崩しながら押し付けられている。登頂する間もなく頂上の方から大地に向かってやってくる山とはどういう了見なのか、ありがとうございます。
いやそうではない。感謝の気持ちは大事だし、アリスへの感謝は日頃から耐えず止むことはないがそうではないのだ。
一人の少女相手でも同じベッドで寝ることは俺にとって普通のことではなかった。だというのに二人一緒なんていう異常事態。心の警報が鳴り響き緊急避難だと思考がどこかへ飛んでしまってもおかしくはない。いや、ある意味今も飛んでいるのか。
少女との同衾は普通、日常。いつの間にかそこまで俺の意識は変わっているのではないか。だとするならば、この数週間で俺に対してそこまでのパラダイムシフトを引き起こさせたアリスに戦慄。
「あの、ボクも一緒だと、狭くないですか?」
対して、クロエは控えめだった。拳一つ分ほどの距離をあけている。
いや、手はしっかりと握っているから、控えめというほどでもないかもしれない。
むしろアリス以上のその豊満に腕を挟むようにしてホールドしているのだから、より積極的と言っていいかもしれなかった。
「いや、大丈夫だぞ。クロエも近づいていいくらいだ」
「そうですか? じゃあ……」
クロエは腕をホールドした状態のまま、素直に体を寄せた。埋もれる。
いや、体は小さいし、実際に埋もれるわけはない。しかしそう錯覚するほどの質量。
体は埋もれないが、腕は完全に挟み込まれているわけだし。
「ふふ、暖かいですね」
「あぁ、そうだな」
体を密着させたクロエが嬉しそうに笑う。
俺はただ二人の間で天井を見上げることしかできない。
両側からの幸福な感触に意識をどこぞへ飛ばしそうになりつつ思う。
アリスに慣れさせられたのもあるだろうが、俺自身がもともと下品で低俗な男なんだろうなと。そうでなければ、ここまで喜んで順応はしないだろう。
やはり、感謝の気持ちは大事だ。ありがとうアリス。
そんなことを考えている俺の顔を覗き込むようにしながら、アリスは笑う。
「クスクス、素直な方が、私も嬉しいですからね」
俺に対する把握能力はやっぱり少し背筋が震えた。
◆◇◆◇◆◇
翌日、今日は朝からアリスとクロエを伴ってダンジョンへと向かう。
二階層以降の探索は防具を揃えてからと決めているので、今回は次の階層への階段を見つけても少し確認する程度だ。その後は二階層へと戻る。
昨日と同じように、アリスとクロエの連携で、手早くゴブリンもジャイアントアントも倒されていく。解体に慣れてきたというのに、結構苦労するような早さだ。
問題なく探索は進み、三階層への階段を発見する。朝に決めた通りに、確認だけすませてから二階層でジャイアントアントをあと数回ほど狩って地上へと戻ることにした。
三階層で現れる魔物はキラービー。巨大な蜂だ。
飛行しており、毒針を持っている。キラービーの甲殻はジャイアントアントほど強固ではないものの、冒険者の間ではこいつも厄介な相手として認識されている。
何せ攻撃を当て難い。相対すれば殆ど常に飛んでおり、攻撃するために近づいてくるとき以外は、そもそも攻撃が当たらない高度にいることなんてざらにあるらしい。
動きそのものも素早く、タイミングを上手く合わせないと、攻撃を当てることはできないだろうと言われている。
「はぁっ!」
毒針をむき出しにしつつ、それを刺し込んでやろうと飛来してくるキラービー。
それをアリスは体を横へずらすようにして僅かな動作で避け、横からその体を両断した。
「ぜぇい!」
クロエはアリスよりも避けるタイミングが早い。そして避ける動作と一緒に既に戦斧を横向きに振りかぶっている。キラービーが通り過ぎる場所へ置くように、まるで野球のバッターの如く戦斧を振り切って、その体を叩き潰した。
毒を受けたとき、すぐにでも治せるようにと構えていたが、必要なかったようだ。
「向かってくる個体を斬ればいいだけなので、戦うのは楽な相手ですね」
「飛んでるのはちょっと怖いかな。リクさんのところまで飛んでいかれるかも」
「そうですね。三階層では、どちらかが常にリク様の傍にいたほうが良いでしょう」
過保護。いや、俺がこのパーティの要で、回復担当でもあるから仕方ないのだが。そもそも二人に比べてずっと弱いわけだし、心配なのもわかる。
今は、二人の邪魔にならないようにするのが賢明だろう。
キラービーにも対応は可能なことを確認できたので、二階層へと戻る。そのあと三回ほどジャイアントアントの群れと遭遇して、これを討伐してから地上へと戻ることにした。
帰り道でも何度か戦闘を繰り返し、魔石と素材を増やしながらギルドへ到着する。
いつものにこやかな営業スマイルのベルナールに買い取りをしてもらい、そのままギルド内で彼が仕事を終えるのを待つ。
同業者と情報の交換などをしていると、ベルナールがやってきた。話をしていた同業者に別れの挨拶をしてから、ギルドを出て彼についていく。基本的にダフニーは家の外には単独では出さないようにしているらしい。
「しかし、キラービーの素材ってことはもう三階層か、本当に将来有望だな」
「ダフニーさんも交えた話し合いで問題がなければ、お前もその仲間入りだろ」
「そうなることを願うよ。あいつの未来のためにもな」
そんなことを話しながら通りをしばらく歩き、ベルナールの家へと辿り着いた。
「ダフニー、ただいま。話していた奴らを連れてきたぞ」
ベルナールが扉を開き、俺たちもそれに続いて中へと入る。
ダフニーとの初めての対面だ。果たしてそこに彼女はいた。
「お帰りなさいませ坊ちゃま。そして、ようこそおいでくださいました、お客様。ダフニーと申します。どうぞ、以後お見知りおきを」
猫のような耳に、褐色の肌。短く揃えられた銀髪と引き締められた表情は、どこか冷たい印象を受ける、そんな女性だった。




