第一章24
結構な距離を歩き、目星をつけておいた宿に到着するとチェックインを済ませて部屋に入り、一息つく。
以前のような辛うじてクローゼットがある程度の部屋と違い、燭台やベッドのわきにあるサイドテーブルなどの内装がしっかりとある。ベッドもスプリングのあるものと比べると少し硬く感じるが、木の床板に薄いマットレスを敷いたものよりはずっとマシだ。
宿につく頃にはもう日が沈みかけていて、今はすっかり暗くなっている。
いつもなら鍛錬に食事、寝る支度をすませて、早々にアリスと一緒にベッドへ入っているところだが、今日はまだ話さないといけないことがある。
先ほどとは違い、帰っていったベルナールを除く三人で机を囲む。
「それで、どう思う?」
「リク様の望むままに」
にっこりと笑顔を浮かべながら、アリスが即答する。
支持してくれるのは嬉しいが、それでいいのか。いや、アリスが何も考えずに答えているわけがないとわかってはいるんだが、俺への信仰心の強さとか、普段の言動から少し心配になるのだ。
「勿論、ちゃんとリク様の今後を考えての判断ですよ?」
「あぁ、うん……そこも俺基準なんだな」
「はい……? はい、当然ですよね」
アリスの中ではそれは当然のことらしかった。
心底不思議そうに、むしろ心配するかのように見つめられるとこちらがおかしいのだろうかという気になってくる。しかし、大体全ての行動基準が他人にあるというのは普通ではないのだ。
きっと、信仰をキメた人はその限りではないのだろう。
「とにかく、アリスはベルナールの話に乗ることには賛成ってことでいいのか?」
「そうですね、ダフニーさんと実際に会って、問題がなければいいと思います。リク様はベルナールさんのことを気に入っているようですし、ギルド職員の協力が得られるというのもありがたいですから」
「そうだな、恐らく彼が話した内容も、概ね事実だと思うし」
「はい、こちらを陥れようとしている風ではありませんね。むしろ互いに利用し合おうという考えのようですし、ある程度信用しても良いと思います」
そう、向こうからすれば語った内容の通りに動いたほうが利益が大きい。
ギルドに俺たちのことを報告したところで、彼にとっては少しばかり上からの覚えがよくなる程度だろう。対して俺たちと協力関係を築けば、俺たちの特異性を利用して利益を得ることができる。リスクも大きくなるがリターンも大きいのだ。
「よし、それじゃあ、クロエはどうだ?」
「彼らの装備もボクが作るかどうか、確認しておきたいくらいですかね」
ごく自然に彼らに協力することを前提の話をポンと投げてくる。
それに対して額に人差し指を当てて、悩むようにしながらクロエに再度問いかける。
「あー……クロエも話に乗ることには賛成ってことか?」
「そうですね、だって言ったじゃないですか」
両手で頬杖をつくようにして、クロエが少しだけ俺のほうへと顔を寄せる。
そのまま少しだけ顔を傾けて、ジッと俺の目を見つめた。
「貴方がいいですって……助けてくれた、全てをくれた貴方を信じますって」
全幅の信頼を寄せた言葉。
俺たちの、俺の判断を信じているという意思の表明。
これはきっと、俺ならば間違えないという類の信頼ではない。間違えたとしても後悔しない。そういう信頼だ。もしも地獄に落ちるというのなら、黙って、むしろ喜んでついていく。そんな重い、重く過ぎる信頼だ。
「俺が判断を誤って、クロエが危険な目に遭うかもしれないんだぞ?」
「そのときは、その危険に一緒に立ち向かいますよ」
少しの動揺もなく、表情に揺らぎもなく、微笑んだまま俺の心へ腰掛ける。
それは柔らかで大切な、強く突いてしまえば傷を負うものを預けるような行為だった。
それをまるで、自然なことのようにできてしまうのは、それだけの想いがあるからだ。
それが今、俺に真っ直ぐと向けられている。
きっとこれは、アリスの想いと同じくらいに重い。そして、俺が背負っていくべき想いでもあった。何よりも、これだけの感情を女の子に向けられ、心を預けられて、それを喜んで受け入れない男はいないというものだ。
「そうか……わかった。ありがとうクロエ」
「いいえ、アリスちゃんの言葉を借りれば、当然のこと、ですからね」
「はい、そのときは、私も一緒ですよ」
二人からの信頼が重い。
そしてその重さが心地よかった。
二人分の心の重さが、俺の心にかかっている。それはきっと負担にもなるものなのだろう。けれど、ただ負担であるだけものではない。
底へと沈んでしまったときは、浮かびあがるための浮きになってくれるだろう。
寒いときには、身を寄せ合い体温を分け合う暖かなものとなってくれるだろう。
だからこそ、二人が信じてくれた分、俺もそれを信じて受け入れるのだ。
◆◇◆◇◆◇
話し合いを終えて、足早に家へと向かう。
彼らのことを一刻も早く話さなければならない。
しばらく歩き、家につくと急いで扉を開き、勢いをつけすぎたのか少し大きな音が鳴る。
「ダフニー、ダフニー! ただいま、帰ったぞ!」
「無駄に大きな声を出さずとも聞こえておりますよ、お帰りなさいませ坊ちゃま」
黒と白のエプロンドレスに身を包んで、猫のような耳を頭から生やした、女性にしては長身の少女が言葉面だけは丁寧で、けれどぶっきらぼうな語調で出迎えてくれた。
いつもならば、もっと丁寧に出迎えろとか、坊ちゃまはいい加減にやめてくれとでも言っただろうが、今日のところはじゃれあいは後でいい。
「あぁ、すまん。それよりも、話がある」
「はい……? いつも変ですが、今日はいつにもましておかしな坊ちゃまですね」
不思議そうに首を傾けると、彼女の首のあたりで揃えた銀髪がさらりと揺れた。
いつも思うが、褐色の肌に映えるな、こいつの髪色は。
「坊ちゃまが私に見惚れるのはいつものことなので構いませんが、話があるのでは?」
「おっと、そうだった。とりあえず部屋にいくぞ」
俺が何も言い返すことなく部屋へ向かうのが不思議なのか不満なのか。少しだけ眉を寄せたあと、彼女は黙って俺についてくる。
部屋に入り、彼女が淹れてくれたお茶を飲んで落ち着いてから話を始めた。
「それでだな……まぁ、とりあえず座れよ」
「はぁ……私は坊ちゃまの奴隷で、使用人だと、幸せな頭はお忘れになっているようで」
「忘れてねぇし、だから茶を飲み終わるまでは気を使って座れとは言わなかっただろ」
「気の使い方を間違えておりますよ、相変わらず残念ですね坊ちゃまは」
そう言いつつ、ダフニーは大人しく俺の前の席へと座る。
奴隷だろうが使用人だろうが、どちらにしても不適当な話し方と態度をしているが、俺がそうするように言っているので問題はない。俺と二人のときはそうするように言ってからどれくらい経ったか……。
そんなことを考えていると、前に座ったダフニーが軽く咳払いをする。
「おほん、それで坊ちゃま、お話とは?」
「ん、あぁ……」
どう切り出したものかと少しだけ悩む。
だが結局、そのまま話すしかないかと、諦めて口を開いた。
「ダフニー、自由になりたくないか?」
「……捨てるのですか?」
その言葉に、先ほどまでの様子が嘘のように不安げな顔をして手をのばし、机の上の俺の手を握る。そこに涙はない。ただ表情を少し歪めただけ。
いつかこんな時がくるのでないかと思っていた。そんなことでも思ってるのかもしれん。
「馬鹿が、そんなことするくらいなら死んだほうがマシだ」
「馬鹿は貴方ですよ坊ちゃま。絶対に死なないでください。私が路頭に迷うでしょう」
全くこいつは。捨てられないとわかった途端にこれか。
図太いのか繊細なのか本当にわからん奴だ。そこも可愛いが。
特に、死なないでくださいとか言ったときに、やけに手に力がこもってるあたりとかな。
「それで、先ほどのは、どういう意図があっての質問で?」
「あぁ、それがな……」
そんな可愛いダフニーの未来のために、俺はあの三人についての話を切り出した。




