第一章18
目が覚めると腕の中には自分を慕う愛らしい姿の少女。
ここ最近、これが朝のお決まりの光景となっている。相変わらずの肌触りの良さでこちらに擦り寄るように抱きついてきているアリスの体は温かく、早朝の冷えた空気を感じると無意識にこちらからも抱き寄せてしまう。
それは今日も同じで、首筋に冷気を感じて毛布を引っ張り、首元までかけなおすと改めて腕の中にアリスを抱き込むようにする。すると小さい体はすっぽりとそこにおさまった。
「おはようございます、リク様」
最近は殆ど俺より先に起きていて、じっと俺の顔を見ながら抱きついて毛布の中を暖めてくれている。今日もそうだったようで、俺の動きからどうしたいのか理解したように動きを合わせて、抱きつきなおしてから笑顔で挨拶をしてくれた。
「あぁ、おはよう……ん?」
ふと、そこでいつもとは違う感触がした。いつもなら体全体で密着するように抱きつかれているのだが、今日は隙間を感じる。だからといってアリスが距離を離しているというようなこともない。実際に今も両腕を俺の背中にまわしている。
寝惚けた頭が覚醒していくにつれて、お腹のあたりにある感触が幸せなものであることに気がつく。確かめるように横からそっと触れてみた。
「んぅ……ふふ、どうですか、リク様? 幸せな気分に、なれますか?」
陶然と微笑むアリスのその表情は、艶のある女のものだった。幼げな顔立ちでそんな表情をしてはいけません、性的嗜好が歪んでしまう。いや、とっくの前に歪んでいた。
やはりアリスには、倫理観や他にも色々と削られて、かつ目覚めさせられている気がする。クスクスと微笑むアリスはとても楽しそう……いや、幸せそうだった。
「大きくなってほしいと、昨日はずっと願っていたんです。それで朝起きたらこうなってました。きっとリク様のおかげですね……リク様が望んで、リク様のために私が願って、そうしてこうなったので……これ全部、リク様のためのものですよ?」
そう言って腕を寄せるようにしてアリスは大きくなった胸を強調してくる。
そう、胸だ。クロエほどではないが、それに迫らんとするほどの重量を持ったたわわだ。
幸せな気分になるかと問われた。答えは既にこの手のひらが知っていて、その答えをアリスに伝えている。手のひらから伝わってくる俺の幸せを感じとったのだろう、アリスは笑みを深くして、自身も幸せだとその体の熱を押し付けるようにして教えてくれた。
まだ日が昇り始めたばかりだということを窓から確認して毛布をかぶりなおすと、もうしばらく俺たちは幸せの熱を交換し続けることにした。
いや、ただ胸を触っているだけなんだがな。
そうしてアリスのたわわをたぽたぽさせながら思う。クロエのときにも思ったが……なるべく目立たないようにするっていう方針は諦めたほうが良さそうだ。
そろそろ出かける準備を始めようと考えながら、声をかけようとして視線を下に向けると、ずっと見上げていたのだろう、アリスと目が合った。そのままジッとこちらを見つめたまま、何かを言いかける。
「言いたいことがあるなら聞かせてくれ、悩んでいるならちゃんと待つ」
真面目な話だろうと、さすがに手は背中にまわしてぽんぽんと背中を軽く叩く。
アリスは嬉しそうにはにかむと、ぎゅっと拳を握って、口を開いた。
「リク様は、私のことを大切にしてくれますし……私に魅力を感じてくれて、触れると嬉しそうですし、その……」
「大切だし、アリスは魅力的で、触れさせてくれるのは嬉しい」
「あぅ、つまり……わ、私のことが、好きということで良いのでしょうか……?」
「あぁ、好きだ」
迷う必要もない。
この世界にきて、初めて俺の味方になってくれた少女。
神らしく振舞おうと足掻いていた俺を素直に慕ってくれて、俗な部分を見せても失望することなく受け入れて共にいてくれる。
そんな彼女のことを好きだと思うことも、それを言葉にすることも、躊躇いはない。
「神と信徒として……というだけでは、ないですね」
俺の言葉と表情から感じ取ったのだろうか、頬を染めながら嬉しそうな笑みを浮かべる。その目尻には涙が浮かんでいて、睫は震えていた。それがわかるほど、アリスはこちらに顔を近づけてきている。
「私も……お慕いしています。信徒としてだけでなく、女としても」
「そうか、嬉しいよ」
一瞬、日本での倫理観が頭を過ぎる。しかし、今アリスを拒絶すれば先ほどの言葉は途端に重みをなくし、彼女を傷つけることになるだろう。
もしもアリスと共に日本に戻れたとして、関係がばれれば非難される立場となるだろう。そう考えて、だからどうしたと、俺はもうそう思うほどにアリスが大事になっていた。
名前も知らない大衆に非難されようと、俺はアリスを大事にしたい。
これが例えば、ただの知り合いから恋愛感情を覚えたというようなものだったら、彼女を諭すなりしたのだろう。けれど俺たちはもう、離れることはできない。ここで俺が拒絶すればそれこそ彼女は、今度こそ寄る辺を無くしてしまう。
そんなことは、一度手を差し伸べ、利用することを決めてしまった俺がしてはいけない。最後まで、きちんと彼女を救った責任をとらなければいけない。
……と。
理屈をあれこれ引っ付けることはできるが、結局のところは俺もアリスも答えは同じなのだろう。
好きだから、触れたいし、キスだってしたいだけだ。
そのある意味では綺麗で純粋な、人間が誰しも持つ汚い欲望のままに、俺たちは唇を重ねた。
「……しかし、急だったな」
「ん……これからはクロエさんも、もっと仲良くなっていくでしょうしね」
唇を離してたずねると、何故かクロエの名前が出てきた。
あれ、もしかして……。
「信徒で初めてのキスは、譲れません」
人差し指で自分の唇を撫でるようにして、アリスは笑う。
その姿を見て、これからも俺は絶対にこの子に勝てないと確信した。
日々の触れ合いからおねだりまで、色々と考えてのものだったのだろう。しかしそれでも俺は嬉しいと感じてしまう。何故なら、そこには好意があるからだ。
「……リク様、神だからと品行方正である必要はありません。あまり自分のやりたいことを抑えつけないでくださいね。私は、あなたの望みを叶えたいのですから」
俺のことを考えてくれているのに、怒るなんてことはできない。
「勿論、私がしたかった、というのもありますけどね」
悪戯っぽく笑うアリスに、俺は笑ってそうか、と頷くしかなかった。
その頬は赤く染まり、恥ずかしげに少し震えていたことを指摘するのも、野暮だからな。
出かける準備を終えて、俺とアリスはクロエの店へと向かった。以前と同じ時間にくるのであれば、今から向かえば十分間に合うだろう。
そう思っていたのだが、さっさと金の回収をすませたかったのか、既にあの男が店の中にいた。それを店先で確認すると、俺とアリスは頷きあって店内へと入る。
「わかんねぇ奴だな、ギルドから脱退するなら、この店もいらねぇだろ。家賃だけ払ってどうするってんだ。趣味で鍛冶でもやるつもりか、ドワーフ様は良い趣味してんだなぁ」
扉を開けると、小馬鹿にするように男がまくし立てている声が聞こえた。
それに対してクロエはフードを被り、俯いてその言葉を受け止めている。
ドアベルの音で俺たちに気がついたのか、男が振り返る。
そして、驚いた顔をしてクロエと俺たちを見比べるように首を振った。
「あ……? あんたたち、もしかして本当にこいつを専属として雇うつもりか?」
「もう話は聞いていたようですね。はい、そうですよ」
俺の答えに呆然とした表情を浮かべてから、まくしたてるように口を開いた。
「この前の忠告聞いてなかったのかよ。それにあんたたちまだ初級ダンジョンの二層あたりに潜ってるんだろう。そんなんで専属なんて雇え……」
こういう場合は、言葉よりも証拠を見せたほうが早いだろうとギルドカードの残金を表示させて男に示した。
「まだ、俺たちはダンジョンに潜り始めて一ヶ月経っていません」
「……福者か」
その言葉に頷いて返す。
男は不機嫌そうに頭をかくと、諭すようにこちらに指を突きつけ言葉を続けた。
「だったら余計にわからねぇ。福者なら時間をかければもっと深く潜れるし、中級や上級のダンジョンでも通用するようになるかもしれねぇ。ならエンチャントされた武器や防具が必要になってくるだろ。何でこいつなんだ」
口こそ悪いが彼女に対するような暴言を発してこず、俺たちを心配するような言葉を投げてくるあたり、悪人というわではないのだろう。クロエに対しては、亜人への差別意識や、職人としての劣等感もあったのかもしれない。
それでも、クロエに対して悪感情を抱き、暴言を吐かれて良い気分がするわけもない。
「彼女のことを、彼女の職人としての腕を、必要だと思ったからですよ」
だからこそ、俺ははっきりとそう告げた。




