第一章16
店先で長々と触り倒すわけにもいかず、多少のお触りで一先ずのところは終わった。多少のお触り。確かに時間にすれば多少だったのだろうが、これが多少なのだろうか。そんな思考が過ぎるほどには、俺の手のひらには大きな幸せの残滓が残っている。
何もそれは胸の大きさがどうのという話ではなく、自身が相手だからこそ普通ならば触らせることのない聖域を触れさせてもらえるという好意の大きさからくる幸福だと俺は思う。それに関しては、胸の大小など瑣末なことだと俺は断言できる。
「……クロエさんの胸のほうが、触ってるとき幸せそうでした」
「アリスに触れてるとき俺は幸せそうじゃなかったか」
「い、いえ……幸せそうで、嬉しかったです……」
瑣末なことだ。そう、瑣末だがどうしても差はある。だとしてもそれは好みの話であって片方が好きだからと、もう片方が嫌いである必要など全くない。
これは偽らざる俺の本心だ。
「なので、もっと幸せになってもらうために、大きくなれるよう頑張ります!」
「そうか、ありがとう」
だがアリスが成長してくれれば俺は嬉しい。それはもちろん背丈や精神的な意味でもそうだが、今大きくなるように頑張ると宣言してくれた胸部的な意味でもだ。
今のアリスが嫌いなわけでは断じてない。
しかし、人間というのは好みという己の性には逆らうことができない生き物なのだ。俺はアリスの頑張るという言葉にとても優しい笑顔を浮かべていたと思う。
そんな俺たちの様子をクロエはカウンターから微笑みながら眺めている。
以前の無表情が嘘のような、柔らかな顔だった。
少しばかり気恥ずかしくなり、咳払いをしてから向き直る。
「それじゃあ、そろそろ完成した装備を見せてもらっても構わないか?」
「はい、こちら、です……」
クロエはカウンターにのせられた剣とメイスを、手のひらを広げて示す。
剣は片刃で小ぶりの直剣だった。クロエが鞘から抜くと、剣身は綺麗な銀色をしているのがわかる。その輝きはただの鉄や鋼には見えない。
メイスも同様で、その頭部は剣と同じく銀色の輝きを有していた。出縁のある金属片が複数ついていて、横から見ると菱形にも見える形をしている。
「どちらも、鉄と……鋼のかわりに、ミスリルを、使ってます……」
「ん? それは予算をオーバーするんじゃ……」
当初の予定では鋼を使ったものだったはず。
ミスリルの材料費がどれほどかはわからないが、安いということはないだろう。
「その辺りは、後で……ご説明と、お願いが……」
しかしその辺りはクロエに考えがあるらしい。
悪いようにすることはないだろうと信じて、そこは納得する。
「わかった……持ってみても?」
「どうぞ……」
クロエの許可を貰い、俺とアリスはそれぞれ自身の武器を手に取る。
それなりの大きさをしている金属の塊だ、結構な重量だろうと身構えたのだが
「見た目にしては、軽いな……」
思いのほか容易に持ちあげることができた。
重いことは重いが、苦にはならない程度だ。
「はい、今までの剣よりずっと軽いです。試しに振ってみてもいいですか?」
「そちらの開いたスペースで、どうぞ……」
以前も商品の試し振りをさせてもらっていた開けた場所で、瞳を輝かせてアリスが剣を振りだす。アリスからすれば軽い運動と変わらないのだろうが、その刃の一閃は素人目にも洗練されたものだとわかった。
祝福を与えられたというだけでなく、日々の実戦に加え、ダンジョンから帰ったあともアリスは宿の中庭で鍛錬を行っている。師がいるわけでもなく、ただ己の感覚のみを頼りにしたものではあるが、弛まぬ努力ゆえか日々その剣筋は磨かれているように見えた。
アリス一人では守りきれないこともあるだろうと、俺もその鍛錬には参加してある程度の自衛くらいはできるようにと、アリスから指導を受けている。
自分よりも年下の少女から指導を受けることに関しては今更のことであるし、俺の鍛錬への参加はアリスのやる気にも繋がっているようなのでありがたく参加することにした。
剣の持ち方、脱力の加減、力の入れ具合、振るときの角度と、自分に合ったものを試行錯誤して見つけては微調整を繰り返す。良いと思った状態を覚え込ませるためにその感覚が忘れないうちに百回ほど素振りを繰り返して、そこからまた調整を加えていく。
剣の振り方一つとっても、そんな鍛錬を毎日続けているアリスが成長しないはずはなかった。
因みに、俺は明らかに駄目な振り方をしてアリスから注意を受けることが度々ある。
俺のための鍛錬ということもあり、そのあたりは遠慮することはしないでくれと頼むと、中々にアリスはスパルタに鍛えてくれた。
軽い試し振り。目の前で行われているそれの中には、そんな背景が隠れているわけで。それを知っている俺からすれば、贔屓目もあるだろうが、アリスが剣を振ったあとに残る銀色の軌跡と、長い金の髪がふわりと翻る姿は、絵画に残したいほど様になっているように思えた。
俺の視線に気がついたのか、剣を鞘に収めたアリスは頬を赤く染め、髪の毛を撫でつけるようにして照れている。
「綺麗だったぞ」
「あ、ありがとうございます……」
どうせバレているのだから、素直に褒めたほうがアリスも嬉しいだろう。
そう思って口に出したが正解だったらしい。
益々顔を赤くして縮こまってしまった。そのまま両手を揃えて顔を俯けたまま小さい歩幅で恥ずかしそうにこちらへ戻ってくる。
それと入れ替わるようにしてクロエに断りをいれてから俺も試しにメイスを振らせてもらう。
持ち手は吸い付くような握りやすさで、長さも俺の身長に対して丁度良いのか振りやすい。そのあたりは、しっかりと調べて作っていたからなのだろう。
「うん、凄く使いやすい。良い出来だと思う。ありがとう」
「私も凄く使いやすかったです。それにいつもより体が軽く感じたような……」
俺とアリスの言葉にこくりと頷いたクロエは、椅子を飛び降りてから店の奥を指差す。詳しい説明は奥でしてくれるということだろう。アリスを伴って工房へとついていく。
以前のときのように体全体を隠すようなワンピースを脱ぐと、その中身も以前と同じようなタンクトップにズボンというラフな格好でこちらに向き直った。
「ん、んー……さてと、日の光もなくなってシャキっとしたところで、詳しい説明をさせてもらいますね。まずはアリスちゃんの直剣から」
大きくのびをして、息を整えると、眠たげだったクロエの表情がはっきりとしたものになる。
ドワーフというのも大変そうだ。
「少し借りるね」
「はい、どうぞ」
アリスに一言断ってからクロエが剣を受け取る。
彼女はそれを鞘から抜くと剣身が見えるようにこちらへ向けて持ち上げた。
「アリスちゃんはかなりの膂力があるけれど、その太刀筋を見ると叩き潰すよりも斬る方に寄っていると感じたから片刃にさせてもらったよ。両刃よりも切れ味は良いけど、その分折れやすくなっているから、扱いには気をつけて。それからさっきも言ったけれど、剣身にはミスリルを使用してる。魔力を付与する際、どれほどの効果にできるのかは職人の技量とその素材に比例するんだけど、その点ミスリルは通常の鉄や鋼よりも魔力が浸透しやすく、武器に対するエンチャントを行う際には最適なんだ。今回付与したのは軽量化と自己修復。そして通常なら剣のみに効果を及ぼす軽量化だけど、この剣の場合は持ち手にもその効果が発揮されるようになっている。どれほど軽くするかは、魔力によって調節ができるので実戦前に何度か試してみて、感覚を掴んでおいたほうがいいと思う。自己修復にも魔力を使うから、使わない日にも少量でいいから魔力を注いであげて。それと、自己修復するとはいえそれは刃毀れなどの小さい傷程度で、完全に折れてしまった場合は打ち直す必要があるから注意してね」
そこで一度言葉を区切り、アリスへ直剣を返す。
今度は俺の方へ歩み寄って、お借りしてもいいですかと確認をとってからメイスを手に取る。俺は素直に頷くことしかできなかった。
「リクさんは剣や長柄の扱いが得意ではないとのことでしたので、ある程度雑に振り回しても使うことのできるメイス、それもなるべく軽くするために、出縁型の頭部を採用しました。これは軽くするためだけでなく、叩きつけた際ぶつかる部分を狭くすることで衝撃が集中しやすくなるようにという設計です。剣に必要な刃を相手にしっかりと立てる技術や、槍などのように的確に狙った部分を突く技術などが必要なく、取りまわしが比較的楽という長所から選んだというところが大きいですが、今お二人が攻略しているのが初級ダンジョン二階層ということを考えると、かなり有効な武器でもありますよ。ジャイアントアントなどの堅い甲殻を持った魔物は、剣や槍などの場合、関節や目などを狙う必要がありますが、メイスであれば甲殻を叩き割るという選択肢もできますからね。そしてメイスに付与したのは重量化と自己修復。振る力が弱くとも、振った瞬間に重くすることでその重量を威力に変えることができます。これならばリクさんであってもジャイアントアントの甲殻を叩き割ることができるかと。ただ重くするタイミングを間違えるとバランスを崩して転倒してしまう恐れがあるので、これも実戦前に試して感覚を掴んでおいてくださいね。そして軽量化と同じく、こちらも持ち手にも効果を発揮することができます。振り下ろす際にメイスと腕の重量を合わせることができる分、ただメイスを重くするよりも高い威力を期待できると思いますよ。自己修復に関してはアリスさんの剣と同じものですので、こちらも定期的に魔力を注いであげてくださいね」
言い終わり、ありがとうございましたと喋りながら説明している箇所を指でさしたり、実際に振ってみたりと実演してくれていたメイスを渡してくれた。
「ふぅ……これで大体の説明は終わりですかね」
めっちゃ喋るな君。クロエは凄いやりきった顔をして椅子に腰掛けている。
確かに凄いやりきったと思うよ。どれだけ喋ったんだ。普段とのギャップが凄い。
アリスも呆けた顔をして鞘に収められた剣を抱きしめながらクロエを見つめている。見られている本人はといえば、説明していて体が熱くなったのかタオルで汗を拭きながら、呆然としている俺たちを不思議そうな顔で見ていた。
因みに、説明しているときクロエの顔はとても楽しそうだった。
「装備については良くわかった、ありがとう……それはそれとして」
「はい?」
「鋼ではなくミスリルを使ったことの説明と、お願いがあるんじゃなかったか?」
「あ、そうでした。すみません、装備の説明になると、夢中になってしまって」
「あぁ、それについてもよくわかった」
本当によくわかった。思わずそのことを聞くのを俺も忘れそうになるくらいには武器の性能と、クロエがどれだけ自分が職人であることを大事にしているのかという情報で頭が一杯になっていた。
とはいえ、クロエがこのまま俺の信徒になってくれるとしても、職人と客であることまでは変わらない。代金があがったのならきっちりと払わないといけないし、そうしなくてもすむのなら、その理由は把握しておきたかった。
クロエは居住まいを正すと、俺を真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「ボクを、専属の職人にしてくれませんか」
「専属、つまり俺たちの装備だけを作ると?」
「はい、もし専属にしてくれるなら、ボクは職人ギルドから脱退します。そして貴方と一緒にダンジョンに潜り、貴方のために職人としての腕を振るいます。装備に対する代金はいりません。商売ではありませんから……そうですね、奉公、でしょうか? どうでしょう、この話、受けてくれますか?」
そう言うクロエは楽しげで、無理をしている様子はまったく窺えなかった。
腕の良い職人、しかもこちらを慕ってくれている。そんなクロエが専属になってくれるのはこちらとしては喜ばしいことなので断る理由はない。
「是非お願いするよ……でも、いいのか?」
「商売ができなくても、職人であることはできますから。それに、職人としてのボクを救って、職人でいられるようにしてくれたのは貴方です。なら、あなたのためだけの職人であることは、当然だと思いますよ」
職人ギルドから脱退するデメリットというのもあるのだろうけど、こうまで幸せそうな顔で言い切られると、そこを指摘するのは憚れた。
だから、幸せそうに柔らかな笑みを浮かべて差し出された彼女の手を、俺は迷うことなくとったのだった。




