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祝福の鐘を鳴らしたら  作者: 古賀幸也
第一章 愛を大切にすること
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第一章13

 熱気が頬を撫でるように吹きつける。額から流れる汗が頤を伝って床へと落ちていくのを無視しながら、ボクは一心にハンマーを赤熱している鉄へと打ちつけていた。

 鉄を打つ手は以前よりも精確に力強く、どこを打てばより強く粘りのある剣身になってくれるのか自然と理解しているように動いていく。


 作業を始めたばかりの頃は気のせいだと思っていたけれど、それが実感できるようになり、彼を信じれば信じるほど今までとの違いが顕著になっていった。

 いつもより集中できている。周りの音も光景も消え去って、目の前の炉の熱と自身が打つハンマーと鉄だけが自分の世界に残ったかのような感覚。

 だというのに、心中は何故かふわふわとした心地で、彼の姿と声が脳裏に浮かぶ。


 心臓が早鐘のように脈打ち、目の前の作業に没頭しながら、あの人への想いも強まっていく。本当にこれがあの人のおかげなのだとしたら、ボクはどうすればいいのだろう。

 疑う気持ちはハンマーを打ちつけるごとに消えていく。既に人間だとか、ただのお客さんだとか、出会って間も無い人だなんてことは関係ないほどに、その存在はボクの中で大きくなっていた。


 いつもなら圧着させるための鋼を取り出すところで、今日はミスリルを手に取る。

 それは、永続的に装備へ魔法を付与するのに適した素材。本来ならいつも通り鋼を使うつもりだったけれど、自身の変化に知らず興奮して、つい僅かに在庫に残っていたミスリルに手をのばしていた。


(エンチャント、本当に、できるのかな……)


 少しだけ、手が震えた。今までなら、もう諦めてしまっていた。けれど今は、期待してしまっている。その期待を裏切られるのが、怖かった。

 それでも、作業に慣れた手は止まることなく動いていく。接合剤と一緒に整形した鉄の上へとミスリルを置き加熱。ハンマーを握る手にぎゅっと力が篭る。過剰に力んでしまっているのを自覚しながら、しばらくそのまま強く握り続けた。


 頃合いを見て鉄とミスリルを金床へと移動させる。

 適度に力を抜き、ハンマーを振りあげ、魔力を練り上げる。

 そして、振りおろした。


 それが決定的な瞬間だったのだろう。


 気付けば涙を流していた。それでもハンマーを持つ手は止まらず、作業を続ける。

 打ちつけるごとに、剣身は仄かに光を帯び、染み込むようにその光は中へと消えていく。その光は、ボクの練り上げた魔力だ。つまりボクは……。


「でき、た……ボク、できたんだ……成功したんだ……!」


 そう、ずっと、ずっとやろうとして、努力して、それでもできなかったエンチャントに成功していた。でも、まだ完成したわけじゃない。ちゃんとやりきらないといけない。

 だから、零れる涙はそのままに、必死に手を動かし続けた。


 もう、駄目だ。駄目だった。これはもう、戻れない。


 涙を流しながら、口元は笑みを浮かべている。諦めていたはずだ。諦めようとしていたはずだ。それなのに、今ボクはずっとずっと心の奥底で望んでいたものを手にしている。手にしてしまっている。

 心の柔らかい部分を鷲掴みにされたような感覚。でもそれが心地好い。


 ボクは、自身にとって全てだと思っていたものからすら捨てられた。もうボクには何も残っていないはずだったのに、気付けば拾いあげられていた。失ったはずの大切なもの、そして心から欲しがっていたものと一緒に。


 こんなの、ずるい。溢れてしまう。彼への感謝の気持ちで胸が一杯になってしまう。


 そうして、気持ちが強くなるのを感じるたびに、練り上げられる魔力すら溢れだすように強くなっていくのがわかった。彼への好意、感謝、信じる心。それがボクの力になっているのだとしたら、こんなにも嬉しいことはない。


 全てを失ったボクに、全てを与えてくれた。そんな彼のことを想うだけで、彼のために職人として成長できるのだ。彼にこの返しきれないほどの恩を少しでも返すことができるのだ。

 なら、ボクは彼のために職人としての腕を振るおう。それを求めてボクを救ってくれたのだとしても、むしろ今のボクは喜んでしまうだろうから。


 それほどまでにボクはもう、彼に狂っていた。


 ◆◇◆◇◆◇


 あれから数日の間、俺とアリスは初級ダンジョン二階層の探索を進めながら装備の完成を待っていた。そして今日はその完成予定日。探索は早めに切り上げて店へと向かう。

 相変わらず奥まったところにあるクロエの店へ入ると、一瞬体が固まった。ぽふっとアリスの軽い体が背中にぶつかったのを感じ、謝ってから一緒に店へと入る。


 それから改めてカウンターにぼーっとした様子で座っていたクロエを見た。こちらに気付いた彼女は、わかりやすく柔らかい笑みを浮かべて椅子から飛び降り、こちらへぽてぽてとでも擬音がつきそうな足取りで近づいてくる。

 俺の目の前までくると、ぎゅっとお腹のあたりに顔を埋めるように抱きついてきた。


「お待ち、してました……」


「え、あの……?」


 いきなりの行動に困惑していると、彼女は抱きついたまま陶然とした瞳で見上げてくる。振り返りアリスに助けを求めようとしたが、何故か腕を組みながら頷いている。あーわかるわかるみたいな反応をされてもこっちはよくわかっていないのだが。

 いや、順を追って考えれば、何故抱きついてきているのか、これほどまでに好意的な行動に彼女が出ているのかは、何となくわかってきた。

 俺が今彼女から感じているアリスに負けず劣らずの信仰心が原因だろう。そもそもクロエが俺を信じてくれたことは、彼女の姿を見たときに気付くことができた。


 その肌は日を避けているからだろうもとから白かったが、今や病的なほどの白さであって、退廃的な美しさを感じさせるものに変わっている。

 頓着していなかったのだろう乱れたままだった黒い長髪は綺麗に纏まり、磨かれた黒曜石のような光沢を放っていた。

 ぼんやりとした表情を浮かべるその顔は、あどけなさを残した美しくも愛らしいもの。


 そして何よりも、今現在足に当たっている圧倒的な肉の暴力。ドワーフの特性なのだろう、もとから背丈に対して大きいとは思っていたが、これはもうそういうレベルではない。

 大きめのゆったりとした服、体のラインがわかりにくいものであっても主張されたそれはどうしても視線が引き寄せられる。抱きつき密着しているせいで惜しげもなく俺の足に押し付けられ蠱惑的に歪んでいた。

 こちらへぽてぽてと近づいてきたときには、激しい動きでもないのにたっぷんたっぷんと上下に柔らかく弾んでいた。俺の視線もたっぷんたっぷんしていたのは不可抗力だろう。


 つまるところ、彼女の容姿はアリスと同じく激変していた。しかもアリスと違い、毎日その変化に慣れていったわけではなく、唐突に変化したものを見せられたのである。この数日間でアリスと同じように信仰心が育つにつれて綺麗になっていったのだろう。店に入ったときは驚いた。

 そう、だから、ここまでの変化を齎すほどこちらを信じてくれているのであれば、この好意的な態度もわかる。しかし、それほどまでに信じてくれた理由は……。


「えーっと、そろそろ説明が欲しいのですが……どうしたんです?」


「どう、した……? えっと……」


 俺が考えこんでいる間もすりすりと頬ずりしてきていたクロエは、こちらの問いかけにゆるゆると首を傾げる。

 口の中で言葉を転がして吟味するようにもごもごとしてから、これだと思ったものが見つかったのだろう、こちらを見つめて口を開いた。


「あなたを、信じました。欲しかったもの……なくしたもの……全部くれた、から」


「エンチャントが、成功したということですか?」


 俺の問いにこくりとクロエは頷いた。それを聞いて思わず俺も嬉しくなり、顔が綻ぶ。

 なるほど、改めて聞けばそれなりに納得はできた。彼女自身が全てだと言っていた職人の道を再度歩ませることができたのであれば感謝もされる、ということか。


「それは良かった、おめでとうございます」


「……」


 俺が祝いの言葉をかけると、クロエは感じ入るようにきゅっと目を瞑る。

 抱きついた手に少しだけ力をこめて肩を震わせた。


「ありがとう、ございます」


 小さく、くぐもった声。

 しかし、そこに込められた万感の想いは、確かに感じることができた。

 だから、しゃがみこむようにして、こちらからも彼女を抱き返す。先ほど感じた喜びのままに、彼女のそれと共感するように。彼女が幸福な道を歩むことができるようになったのなら、俺もまた幸福だと示すように。


「あなたが幸福になれたのなら、本当に良かった」


「あぁ……もう……」


 クロエは熱い吐息を零しながら、俺の肩に顎を乗せるようにぎゅっと抱きついた。


「本当に、駄目に、なっちゃった……ボク……」


 耳元で囁かれた声は、アリスが陶酔しているときのようにジットリとした、濡れたような響きが含まれていた。それに少しばかり背筋が震えるが、抱きしめる手を緩めることはしない。

 神と嘯くことを、信徒を増やしていくことを決めたのは、俺なのだから。

 彼女たちを受け入れると決めたのも、俺なのだから。

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